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サボリ魔がnoteを100本書いて変わったこと

毎日僕は2記事を書くのに1~3時間ほど費やしているのですが、それもどうやら昨日で100本のの記事らしいです。


1日24時間のうちそんだけの時間しか使わないって思うかもしれないですが、


毎日2本投稿ってわりと大変なんですよー?


やってる人はわかるかと思いますが、遊びに行く時とかは早く起きるか前の日に書いてやるんです。


もしくは帰ってきてから書くか、1本しかあげないか…




昔から僕はサボリ魔でした。


学校には毎月休まなかった日なんてなかったですし、毎週遅刻しない日はありませんでした。


でもそんな僕でも、毎日2本noteを書いて昨日ついに100本いったんですよね。



なんで僕にそんなことができたのか、そしてnoteをやる前の僕と今の僕では何が違うのか、今回はそれを書いていきます。







こんにちは、まひろです。



今回は、サボリ大魔王である僕がなぜ毎日2本投稿を続けられたのか、そしてnoteをやる前と何が変わったのかを書いていこうと思います。


まず冒頭にも書いていた通り僕はサボリ魔です。


何をするにも自分が納得できたらそれでいいって思ってしまっていつも辞めてしまうんです。


何事もそうですが、物事を極めるという行為は学ぶだけではなくアウトプットの作業を徹底的に行う必要がある。


僕はその作業が嫌いなんです。わかりきっていることをできるまでたる、もうそこまで行くと学べることなんてないですよね、あとは実践あるのみなんですから。


そういった頭を使わないことは僕は大嫌いなんです。


だから昔から継続しているものなんて、心理学や経済学や金融工学とかぐらいです。


サッカーとか野球とかもやっていましたがやはりどれも続けることができませんでした。



それを踏まえて、なぜ僕がnoteを続けられたのかと説明するとやはり頭を使ったからだと思います。



ここで毎日2本投稿が僕にとって苦痛だったかというと、全くそんなことはありません。


それよりか、何をやっても飽きてしまう僕が飽きないこと、自分のあり方をこんな大人になってから見つけたようでなんとも言葉にできない嬉しさがあります。


どんな言葉の伝え方が読者に届くのか、どんな話題が自分もみんなも興味があるのか、毎日毎日考えてそれは充実しています。


そしてなによりめっちゃたのしい!


僕は毎日自分の考えが誰かの、何かの役に立てばいいなと考えているので、毎日どんな時でも「あ、この考え方いいな」とか「この見方があったか」と考えるようになりました。


毎日毎日発信するたびに僕は新しい知識に満たされている感覚があり、とっても幸せです。



そして思考レベルも格段に上がったと思っています。


今この記事を読んでいるあなたは読んだことがあるかはわかりませんが

これが僕が最初に書いた記事です。頭のプリンがすごいですね。


そしてこれが昨日僕が書いた100本目の記事

サムネや見出しからして大きく変わっています。そして何よりプリンじゃなくなった!



また今度から訂正版を出そうと思いますが、最初の記事なんてほんと読めたもんじゃないですよ笑


それでも、毎日楽しみながらやって今のこの記事に至ります。


僕は毎日苦しみながら知恵を絞り出して頑張って書いたとかそんな苦労はないのですが、それでも毎日楽しみながら考えて、記事のアナリティクスを見て一喜一憂してそれは幸福な毎日でした。



そして僕はそんな毎日がこれからも続いていくんだと楽しみで仕方がありません。




最初と変わった最も大きなことは、愛する読者達、今これを読んでいるあなたと僕の文章を通して繋がれたということです。


僕は人間である以上やる気にもクオリティにも波は必ずあります。


ですが僕は毎日愛する読者達の幸せを願いながら記事の投稿ボタンを押しています。


投稿ボタンを押したあと「伝われー!」って手を合わせています笑 ほんとですよ?

いやまじで。



しかし僕はその思いがたとえ伝わっていなかったとしても、僕の記事があなたを幸せに変える何かのきっかけの役に少しでも立ってればと、記事を書きながら考えています。


だからそう思える多くの存在に出会えたことに、僕を変えてくれたあなたに感謝を伝えさせてください。



いつもありがとう。



それでは


最後まで読んでくださり、ありがとうございました。





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