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テレビの仕事

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本業(副業はしてないけど)のテレビ制作に関する記事です。
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#私の仕事

特番が全然レギュラーにならない男(追記あり)

特番が全然レギュラーにならない男(追記あり)

先日、ある特番の収録をしました。収録は笑いあり感動ありで大変盛り上がり、観に来ていた上司にも「おもしろかった!」と声をかけられました。

大満足の収録だったのですが、収録後にここ数年一緒に番組を作っているスタッフに

「山内さんと作った特番、いつも手応えめっちゃあるし、評判もいいのに全然レギュラーにならないですよね…」

と言われました。その時は「いや、今度こそ!」「そうですね!」と話していたので

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「山内くん、ラブホやねんけど」

「山内くん、ラブホやねんけど」

皆さん、知らないことを「知らない」と言えますか。言えた方がいいと思うけど、知らないからOKというわけでもありません。でもOKな時もあります。その境目は曖昧…今回はそんな話です。

数年前、僕が総合演出を担当していた番組で、ある旅ロケをすることになりました。出演するタレントは男女1名ずつ、ディレクターのAさんは僕より年上の人です。僕は構成だけ詰めて、ロケ当日は会社で仕事をしていました。

すると、朝

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きっと一生忘れない、元旦から号泣した番組

きっと一生忘れない、元旦から号泣した番組

昔からテレビっ子でした。中高生のころは、年末年始になるとSMAPが表紙の『ザ・テレビジョン』と大量のVHSを買ってきて、観たい番組にマーカーで印をつけて録画しまくる生活をしていました。

彼女でもいればもう少し生活が違ったかもしれませんが、そんな気配すらなかった高校生の僕は、クリスマスイブに男友達数人と我が家に集まって朝まで『みんなのゴルフ』に興じたあと、午前中から駅前のカラオケボックスに行き、昼

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「お疲れ様でした」が言えなかった。

「お疲れ様でした」が言えなかった。

バラエティ番組の制作現場には、始業のベルも終業のベルも基本ない。色んな人が「おはようございますー」とフラッと現れて、「お疲れ様でしたー」とフラッと去っていく。

20代のころ、会社から帰るタイミングがめちゃくちゃ難しかった。仕事量が多いので基本的に毎日深夜まで働いていたのだが、たまに早く仕事が終わっても、他のスタッフがまだ仕事をしている手前、先に「お疲れ様でした」と会社を出ることができなかった。

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出世。

出世。

近所に『出世の階段』なるものがあることを知り、先日登ってきた。急角度の石段は威圧感があり、何かしらの関門のようにそびえ立っていた。意を決して登り始めると、階段の中腹で太ももが張り始め、登り切る頃にはすっかり息が切れていた。

階段の上には愛宕(あたご)神社があり、そこでラムネを買って飲みながらしばらく休憩した。出世って一体なんだろうと、改めて思った。

テレビの仕事の出世ルートといえば、一般的には

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『ちちんぷいぷい』という戦場

『ちちんぷいぷい』という戦場

21年半続いた『ちちんぷいぷい』が、この3月で終了した。僕は20代の頃に3年、30代後半で1年、計4年携わった。正確には会社から内定が出たあと1年間、バイトとして働いていたので、計5年。

視聴者の方から見るとほのぼの、のんびりした番組だと思うが、実情は毎日戦場の如く多くの人の汗と涙が流れ、バイトの時から一瞬も気の休まることのない番組だった。

数えきれない人が関わった番組なので、ここで僕が記すこ

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40歳になって。

40歳になって。

去年の夏に40歳になり、生き方を変えました。

これまで最大の目標は「ヒット番組を作ること」でしたが、やめました。ヒット番組を作るのを諦めたということではありません。それだけを目標にするのをやめた、ということです。

思えばずっと自分で自分を追い込んで来ました。「長くテレビ制作にいる以上は…」「東京に来た以上は…」と、誰に言われたわけでもないのに、1人でハードルを置いて1人で倒して…を繰り返してき

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