見出し画像

きっと一生忘れない、元旦から号泣した番組

昔からテレビっ子でした。中高生のころは、年末年始になるとSMAPが表紙の『ザ・テレビジョン』と大量のVHSを買ってきて、観たい番組にマーカーで印をつけて録画しまくる生活をしていました。

彼女でもいればもう少し生活が違ったかもしれませんが、そんな気配すらなかった高校生の僕は、クリスマスイブに男友達数人と我が家に集まって朝まで『みんなのゴルフ』に興じたあと、午前中から駅前のカラオケボックスに行き、昼前に解散して帰宅するという、地獄のような聖夜と翌朝を過ごしていました。

テレビという娯楽に思春期をずいぶん支えてもらった僕ですが、数ある番組の中でも一番好きだったのは、ダントツで『めちゃイケ』でした。就職活動でも迷わずフジテレビを受けました。しかし「京大生は大学名を書いただけで受かる」と言われていた最初のWEBエントリーで落ちました(京大の歴史に泥を塗り申し訳ないです)。

あとでフジテレビから送られてきた適正テストの結果を見ると、忍耐力が10段階で1でした。忍耐力1でよく22年生きてきたなと逆に自分を褒めたくなりましたが、フジテレビへの夢は一瞬で閉ざされました。

とはいえ縁があって毎日放送に入社し(忍耐力が1なのはバレなかったのか?)、上司を交えた歓迎会での出来事。どういう流れか『めちゃイケ』への思いを熱く語った僕に、ある上司が「そんなにフジテレビが好きなら、フジテレビへ行け!」と大声で叱責しました。「行けたら行ってるわ!」と(心の中で)反論したのも、今となってはいい思い出です。

僕がテレビっ子ならぬフジテレビっ子になったきっかけが、先ほども書いた『めちゃイケ』でした。僕が「今まで一番凄いと思った企画は?」と聞かれて答えるのも、やっぱり『めちゃイケ』のとある回です。

それはレギュラー回ではなく、1999年の大晦日から元旦の朝にかけて生放送された『めちゃ×2愛してるッ!!』という特番です。『LOVE LOVE あいしてる』とのコラボ特番で、年明けと同時に岡村さんが5kmのミニマラソンに参加するという、『めちゃイケ』にしては少しぬるめの企画でした。

しかし始まってみると、5kmのゴールを過ぎても岡村さんは走るのをやめません。さんざんスタジオから呼びかけても止まらない岡村さん。しばらくして、矢部さんが気づきます。

「これ岡村さん、フルマラソンと勘違いしてるんちゃう?」

壮大なコントの幕開けです。大学生だった僕はテレビの前で鳥肌が立ったことをはっきり覚えています。放送時間は5時半まで。岡村さんが5時間半でフルマラソンを走り切り、フジテレビに到着できるかというドキュメント要素が加わり、番組は異常なテンションで進みます。

スタジオメンバーが『負けないで』や『サライ』を歌うと、岡村さんは日本武道館に向かってしまい、スタジオから盛大なツッコミを受けます。ずっとこの調子です。テレビ業界で働いている今だからこそわかりますが、想像を絶するシミュレーションと準備があったはずです。僕はずっと笑っているのにずっとドキドキしている変な興奮状態に入っていました。

放送終了直前、岡村さんがメンバーの待つスタジオに駆けこんできました。ゴールです。疲労困憊の岡村さんに、号泣しているマネージャーさんがおにぎりを渡すシーンを見ながら、僕もテレビの前で号泣していました。隣で母親は「そんなに泣くこと?」という顔で僕を見ていましたが。

出演者のパーソナルをベースにして作り込まれた構成、生放送ならではの緊張感とどうなるかわからないドキュメント的要素。僕は年明け早々、テレビの持つ圧倒的なエンタメ力に打ちのめされました。まだテレビ業界を目指すとははっきり決まっていなかった、19歳のころの話です。

あれから20年以上が経ちました。岡村さんのフルマラソンに影響を受けたからなのかはわかりませんが、僕が作る番組はどこかに「やってみないとわからない」という要素が必ず入っています。観ている人も、作っている僕らもドキドキしたいのです。

時代がどう変わっても、テレビは画面越しの娯楽です。僕が携わる番組が、画面越しに少しでも誰かを楽しませることができるよう、今日も明日も会議をしたり台本を書いたりしています。

※この投稿はnonnon_さんからの「今までで一番凄いと思った企画は?」というお題を元に作成しました。ありがとうございました!