見出し画像

出世。

近所に『出世の階段』なるものがあることを知り、先日登ってきた。急角度の石段は威圧感があり、何かしらの関門のようにそびえ立っていた。意を決して登り始めると、階段の中腹で太ももが張り始め、登り切る頃にはすっかり息が切れていた。

階段の上には愛宕(あたご)神社があり、そこでラムネを買って飲みながらしばらく休憩した。出世って一体なんだろうと、改めて思った。

テレビの仕事の出世ルートといえば、一般的にはAD→ディレクター→チーフディレクター(総合演出)→プロデューサー→チーフプロデューサーという感じだろう。しかし個人的にはディレクターとプロデューサーの仕事には大きな違いがある。

キー局と地方局ではまた違うと思うが、僕の周りのプロデューサー陣は管理職の役割が大きい。予算管理、コンプライアンスチェック、タレント事務所や制作会社との向き合いなど、番組内容を支える大事な柱を作り、整える役割という印象だ。

番組内容の責任を取るのは、総合演出の役割。どんな構成にして、どんな収録をして、どんなテロップを入れて、どんな音楽をつけるのか。「おもろい」も「おもんない」も矢面に立って受け止める(そして適度に受け流す)、それが総合演出。東京に来てからは、レギュラー番組の総合演出はやっていないので、年に数本の特番でその立場を味わっている。

今は総合演出の仕事が一番楽しく、やりがいがある。誰も観たことのない番組が目の前で生まれ、そして大勢の元へ届けられる。毎回しびれる。

小学生のころから何かしらの実行委員をやりたがる子どもだった。自然学校や修学旅行など実行委員になり、生徒に裁量が任されている部分の内容を考えるのが好きだった。自分の考えたプログラムで人が楽しんでいるのが好きだった。

中学に入るとそれなりの思春期が訪れたこともあり、しばらくはなりを潜めていたが、就職活動をするころには「楽しいことを考える仕事をしたい」と言っていた。そのひとつがテレビ業界だった。

縁があってテレビ局に入社し、希望だったテレビ制作の現場に配属になり、18年目になった。出世とはなんだろう、ラムネを飲みながら考える。

愛宕神社の神様に「出世できますように」とお願いして「了解、プロデューサーね」と思われたら、ちょっと困る。「プロデューサーといっても、演出寄りの人もいるよね。そっちの方ってことで承っておくよ」なんてテレビ業界に詳しい神様だったらいいけど、それは期待できないだろう。

結局「やりがいのある、納得できる仕事がこれからもできますように」とお願いした。「いつまでも総合演出なんてできないよ」という人もいるが、それはあなたの感覚でしょう、とはっきり言い返したくなる(言わないが)。別にプロデューサーになりたくないわけではないが、自分なりに納得できる形でその責務を果たしたい。

ただ、これからこの業界がどう変わって、自分がどう変わっていくなんてわからない。目の前の仕事に真摯に取り組む先に、きっと何かがあると信じてやっていくしかない。それを「出世」と呼ぶのかどうかはその時考えることにしよう。

お守りを買い、階段を降りたら『出世の階段』の由来が書かれていた。

昔、ある将軍が急な階段を見て「この階段を馬で登って、上にある梅の木を取ってこい」と命じた。誰もがひるむなか、家臣の一人が見事に馬を乗りこなし、階段を上りきった。見事な馬術だと男の評判は広まり、出世を果たした…ということらしい。

馬で登ってないやん。ゆっくり歩いて登ってんけど。

馬を乗りこなして再チャレンジすることはないと思うので、歩いて登ってもご利益があったかは、またここで報告させていただきます。