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還りたい

純粋に体の具合があまりよろしくなく、うだうだうだうだnoteをやったら、1日に9記事くらい出していた。
テストと称して2つ投稿したものを差し置いても、どうかしている。

水、食料、物資。
noteより大事なものが、世の中にたくさんあるのだと、あえてnoteに書いてやる。
だが同じように文化は大事なのだそうだ。


文化をいっさい失くして生きたことがなかった。
食料を失くしたこと。
服が無かったこと。
家が無かったこと。
あるよね。
あるあるみたいにいうけれど。

こういう経験がない人は、いるのか?
むしろ、このくらい当たり前ではないか?

しかし、文化は存在した。
文化を失ったことがなかったから、文化がない状態を私は知らない。
失ってみないと、なかなかその大切さに気づけないのだろう。

失いかけたことはあった。
それは普通に私が命を失いかけたときだ。

命と文化が、並列に並んでいる。

ああ、文化に頼らない人間に私はなれないのかもしれない。

文化を捨て去るときは、命も消え失せているときなのか。

身軽でいたい。
文化が捨て去れない。

例えば私が歌という文化を捨て、言葉という文化を捨てられるのなら、あるいは想いもだろう、すると声を失う苦痛は軽くすることができるかもしれない。

あらゆる文化を捨てられるのなら、命が、己が、削られる苦しみを軽くできるのかもしれない。

しかし文化が捨てられない。

最期に残るのは、文化を失くしたくないという想いだったと記憶する。

文化さえ、手放せれば。

「文化の手放し方」

検索しても出てこない。

文化を手放せないことで起きる支障と、文化を手放すことで起きる支障を、天秤にかけてやるとか。

結局、文化が手放せない。
それでいいのにな、って私はまだ思えない。

文化が私をまだ生かそうとしてくる。
約半年前、つらい生活に耐えられなくなって私は。
大きなテレビとゲーム環境を導入する。
動画も大画面になった。
ああ、これが文化の味。
文化に頼って自分を生かそうとしている証拠だ。
文化のない生活に戻れなくなる。

つらい生活が、反作用する。

スマホという文化を持つと情報が飛び込んでくる。

ゲームがこんなにあるのだと。
私にカルチャーと教養を知らせてくる。

還りたい。
還りたい。

すこやかに、
過ごしたい。

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