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【アジア横断バックパッカー】#34  6ヶ国目:バングラディシュ‐ダッカ 「金曜礼拝」を見学

 インドが近づいている。僕はインドが怖かった。騙しの国、ぼったくりの国、体調不良の国・・・。僕がインドに抱いている印象は以上のようなものだった。もちろんインドにはたくさんの魅力があることも承知の上である。だが怖かった。バンコクで会ったミサキが「インドには絶対行きたい」と言っていたが、僕はミサキのような気持ちは持てなかった。
 そんなに怖いならインドを飛ばせばいいじゃないかと思われるかもしれない。正論である。だが、ハノイからイスタンブールまで旅し、立ち寄った国を地図上で塗りつぶしていったとする。仮にインドを飛ばしたら、そこだけぽっかりと穴が開いてしまう。それではあまりに格好が悪すぎる。怖くて飛ばしましたよりも怖いけど行きましたの方が旅人として格好がつく。
 それにこの目的もないような旅を漠然と続けているうちに、当初決めた道順を踏襲したい、ちゃんとハノイからイスタンブールまでを一続きに塗りつぶしたいという気持ちが生まれてきた。旅も1ヵ月以上、ただの遊びで始めた旅に、意図せず真剣な雰囲気が漂い始めていた。

 オールド・ダッカの土埃のせいか、翌日目覚めると喉が痛かった。近所に薬屋を見つけ手ぶりで症状を説明すると薬を出してくれた。街の片隅の小さな薬局だったが丁寧に対応してくれた。
 その日は金曜日で、宿のバングラ人スタッフが金曜礼拝に行くというので、日本人宿泊客と共に見物に行くことにした。宿から歩いて少しのところに小さなモスクがあり、僕らが行くころにはすでに道にはバングラ人が溢れていた。
 金曜礼拝の時間は決まっているがその間も公共の乗り物は動いているし、店もやっている。だからバングラディッシュの全イスラム教徒が一斉にやるわけではなく、時間をずらしてやっているのではないか、と料理スタッフをやっている日本人旅行者が言っていた。
 
 集まったバングラ人はみな各々1人用のじゅうたんを持ち、足元に広げて並んだ。僕は後ろのほうで見学するつもりだったが、並んでいたバングラ人に手招きされ、礼拝の列に並んだ。時間になるとモスクから声とも音ともつかない音が聞こえ、周囲は静まり返った。礼拝が始まり、僕は見よう見まねで礼拝した。午後の暑い日差しの中、イスラム教徒たちは無言で全身を使い祈りをささげた。皆が一斉にしゃがみこみ、一斉に立ち上がった。静かで、不思議な光景だった。
 いい時期にバングラディッシュを訪れたと思う。ラマダンや礼拝はもちろんだが、僕がとりわけ興味をひかれたのは、若い子にすらちゃんと宗教が根付いていることだった。ミャンマーでも似たようなことを考えた。

 例えば夜、ショッピングモールのフードコートで食事をしたときの事である。久々のカレー味でないハンバーガーを食べていた時、周囲のバングラ人も料理を頼むのだが、運ばれてきたそれに全く手を付けないことに気付いた。あと少しでラマダンが明けるので、明けたら食べるつもりなのだ。フードコートの中で、食事しているのは僕だけなのである。なんだか申し訳ない気持ちになりつつ隣のテーブルを観察すると、高校生くらいの男の子が3人、これも料理を前にして手を付けていなかった。彼らもちゃんとラマダンを守っているのだと思った。ちなみにその高校生を含め、みな頼む量が尋常ではなかった。空腹なのだろう。
 ぜひラマダンが明けて皆が食べる瞬間を見たいと思ったが、こみ合ってきたので席を立った。宿へもどっているとアザーンが鳴り響きラマダンが明けた。道端の小さな屋台でバングラ人たちががつがつ食べていた。
 さっきの若者たちは、もし日本人だったらなんでもかったるく感じている年ごろで、何かを信仰し、礼拝して、一定期間絶食することなんてないだろう。
 若者に限らず日本人はみなそうだ。僕もそうである。僕はこの旅中、この宗教観について考えさせられ続けた。
日本は一応仏教国である。だが仏教国である東南アジア諸国を旅し、イスラム教国へ足を踏み入れたとき、日本は全く仏教国でないことを僕は確信した。いくらお寺の数がコンビニより多かったって、そこに住んでいる我々がなにも信じてなかったら同じことである。
 
 だから何なのだ、信仰がなくても別にいいじゃないかと言われればその通りである。年末年始にテレビでお寺への参拝の仕方を習ったって、クリスマスやハロウィンをやったって別にいいと思う。だが海外の人々の、宗教が根付いているさまを見るたび、僕はどうしてもそこに気後れを感じてしまうのだった。みんなと一緒になって走っていると思ったら、自分だけ周回遅れだと気づいたような気分だった。

 バングラディッシュ滞在最終日、僕は宿の日本食レストランでうどんを食べ、路上チャイ屋へ飲み納めに行った。僕はずいぶんこの路上チャイ屋が気に入り、このためだけにまたバングラディシュを訪れてもいいとさえ思っていた。
 時間をかけてコンデンスミルク入りの甘いチャイを飲み、代金を払った。去ろうとすると店主の青年が初めて僕に笑顔を見せ、何事か言った。いかんせんベンガル語で分からないが、毎日通っていたので顔を覚えてくれたのかもしれない。とりあえずサンキューとだけ言って僕も笑顔を返した。明日の朝発つからもう最後なんだ、と言いたかったが、それを伝える言葉がわからなかった。(続きます)

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