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【アジア横断バックパッカー】#42 8ヵ国目:ネパール-カトマンズ ついに倒れる(海外旅行保険の大切さについて)

 翌日街をぶらついていると、旅行代理店の軒先にニューデリーまでのバスチケットがあるのを発見した。なんと。遠すぎてバスなんてないと思っていたが、世界の観光業は僕の想像なぞ軽く超えていたのだ。
 店に入って詳細を訊いてみると、3500ルピーで時間は40時間だという。フォーティーンではない。フォティである。
 
 店を出て歩きながら考えた。一足飛びにニューデリーまで行けるのは願ったりかなったりである。しかし40時間のバス乗車。今までの最長は12時間程度だった。まったく未知の世界である。
 注意してほかの旅行代理店を見てみると、ニューデリー行きのバスは案外たくさんあることが分かった。値段は大体一緒だったが、時間がまちまちだった。30時間というのもあった。30時間くらいだったら行けるかもしれないなと僕は思った。まだ若干迷っていたが、もうこれは乗るしかないだろう。

 そう決めてからもしばらくカトマンズでぼんやり過ごした。朝はチャイ屋でネパール人に混ざってチャイを飲み、「ダルバール広場」を見物した。「ダルバール広場」は2015年の地震の影響であちこち倒壊の跡が見られた。

 食事もいろいろ食べた。モモを食べ、ステーキを食べ、ラッシーを飲み、夜はいつもの店でビールを買って宿の屋上で飲んだ。毎日通っていたので酒屋の兄ちゃん店員が顔を覚えてくれた。

 だがいよいよ心を決め、ニューデリーまでのバスチケットを買うことにした。綺麗な旅行代理店を選んで入り、カウンターに座った。
 対応してくれた女性は僕と同い年くらいだった。
「どこから来たの?」
 日本だ、と答えると女性は小さく頷いて手続きを進めた。
「あなたは中国人?」
 そう見えたので訊いた。
「ネパール。ラサの生まれ。ラサには行った?」
 ラサは大変いいところだと聞いていたが行く予定はなかった。
「そう、今度来たときは行ってみてね」
 行ってみるよ、と僕は言った。
 ラサ生まれでカトマンズ勤務の女性はチケットの詳細について丁寧に説明してくれた。バスは明後日の朝9時に出発する。ついにまた旅が動き出す、はずだった。

 その日の夜中、強烈な吐き気と腹痛で目が覚めた。僕はよろめきながらトイレに駆け込んだ。
 急性胃腸炎だとすぐに分かった。今まで2回罹ったことがあるので症状ですぐに分かった。トイレとベッドを何回も行き来する。ベッドに倒れこみ荒い呼吸を繰り返すうち、半分気を失うように眠るが、すぐに目が覚めてトイレに向かう。
 一晩経っても症状は変わらない。苦しさに僕はうめいた。声を出すとすこし楽になった。
 幸いなことにバスは明日出発だ、まだ何とか…。急性胃腸炎は水分を採って自然に治るのを待つしかない。横になっていたがよくなりそうな気配がなかった。僕はふらつきながら階段を降り、フロントのソファに倒れこんだ。
「病院に連れて行ってくれ…」
 死にそうな僕を見てスタッフが唖然とした。
「大丈夫ですか?」
 不幸中の幸いか、フロントに日本人男性がいた。僕が切れ切れに症状を説明すると男性が通訳してくれた。
 スタッフが病院に連絡し、しばらくするとライトバンが宿の前に到着した。僕は両脇を抱えられながら車に倒れこんだ。
 病院に向かう道中、道が悪いのか運転が荒いのか車はひっきりなしに上下に跳ね、僕はそのたびにうめいた。ただ後部座席に寝ているだけなので座席から落ちそうになる。10分ほどで病院に到着し中に運びこまれた。

 病院には3泊4日した。設備からすると昔ホテルか何かだったのを病室に作り替えたらしい。個室でwi-fiもあり、テレビもついていた。「ジュラシックパーク」を見て「シザーハンズ」を見て、リュックベッソン監督、スカーレットヨハンソン主演のトンデモ映画を見た。
 と言っても映画を見れるようになったのは症状が軽くなった後で、歴代急性胃腸炎の中でも一番症状はひどかった。立っていられないどころか、座ってもいられない。胃腸炎の症状が軽くなったかと思ったら強烈な震えが来て、高熱が出たこともあった。巨大な酸素タンクが運び込まれ、酸素を吸引した。
 不幸中の幸い、海外旅行保険に加入していたので持ち出しはゼロだった。退院して宿に帰るまでのタクシー代すら保険で賄え、ホテルの電話に日本語で状況を説明する電話が来た。保険とはすばらしいなあ、日本に帰ったら海外旅行保険の重要性を説いて回らなくてはならないと思った。
 
 本当に着の身着のままで出てきたようなものだったので、残してきた荷物が心配だった。パスポートや財布は持ってきていたが、腕時計を置きっぱなしにしてしまっていたので、もしかしたらと思うと少し心配だった。だが戻ってみると荷物は全く元のままで、何も無くなっていなかった。むしろ長い滞在で顔見知りになったほかの旅行者から「大丈夫だった?」と言うような言葉をかけてもらった。名前も知らない旅行者たち。ほんの数日宿を共にするだけで芽生える縁があるのだ。(続きます)

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