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【アジア横断バックパッカー】#58 11ヵ国目:トルコ 国境で夜が明ける

 国境の柵まで行き、トルコ人の職員に僕のバスはいつ来るんだと訊いたが、英語が通じずまったく何も分からなかった。バスの写真を撮ったことを思い出し、写真を見せても結果は変わらず、しまいには追い出される始末だった。

 国境にはまだバスを待つ乗客がたくさんいたが、みな自分のバスが来ると嬉しそうに乗り込んでいた。3時間近く待たされているのだ。嬉しくて当然である。
 そのうちあることに気付いた。僕と同じように、バスが来るたびに近づいては結局乗れない、ということを繰り返している40代くらいの男性2人組がいるのだ。片方の男性には見覚えがあった。僕が国境を抜けた後トイレに行くとき、荷物を見ていてもらった男性だった。後で分かったがイラン人だった。
 何となくお互いを意識しだし、会話めいたやり取りをするようになった。彼らも置いて行かれたのだろうか。
 
 荷物を見てもらっていた方は眼鏡を掛けていて、英語が全くできなかった。もう片方はもうひとりより若く見え、こちらは多少の英語が話せた。
 僕の推測だが、彼らはタクシーか何かでイラン側の国境まできて、歩いて国境を抜けた後、トルコ側の国境でバスを探すつもりだったようだ。僕のようにイランを発って国境を超えトルコのなにがしかの街まで行くバスに乗ってきたというわけではないようだった。
 
 僕の調べが甘かったのかもしれないが、このトルコ国境から出る乗合バスはないはずだった。彼らがどんな情報をもとにここまで来たのかは不明だったが、何となく旅慣れていないような印象を持った。
 
 4時過ぎになって僕は完全に諦めた。理由はともかく僕はバスに置いて行かれたのだ。例のイラン人2人と国境施設内のカフェでひたすら時間をつぶす。どうしようもなく眠く、どうしようもなく不安で、冷静に物事を考えることもできなかった。なぜこんな目に合わなければならないのだ。真面目に生きてきて、もう旅のゴールは目前だというのに、誰かが僕の旅を阻んでいるような気がした。僕はノートに思いつく限りの言葉を書きなぐった。それ以外にやることもない。

 イラン人2人は、明るくなったらタクシーを捕まえて近くの街に行き、そこでバスチケットを買うつもりだと言った。若い方がいろいろ街の名前を口にしたが、行くならドウバヤズットが1番いいだろうと思った。ドウバヤズットにはバスターミナルがある。
 流れで一緒に行動することになるだろうなと僕は思った。

 空が白み始め、山肌に書かれた「TURKEY」という文字が姿を現した。トルコ側を見ればアララト山が遠くに見えた。アララト山は富士山によく似ていた。
 僕は退屈を紛らわすのと苛立ちを解消するため国境まわりをうろうろと歩き回り、捨てられた空き缶を蹴っ飛ばした。明け方に蹴っ飛ばす空き缶よりむなしい音を立てるものを僕は知らない。長時間にわたって何人もの人がいたので道はかなり散らかっていた。

 朝日が昇り、僕とイラン人2人は荷物を持ってトルコ側へと歩き出した。道は緩やかな下り坂で、ぽつぽつ民家が立っていたが、人通りも車通りもなかった。幅広の道路に出るとタクシーが客待ちをしていた。至る所にタクシーはいるものだ。
 3人で乗り込み、タクシーは出発した。夜通し眠れなかったので僕はすぐに眠り込んでしまい、目覚めるころには街中に入っていた。高い建物もない、小さな街中だった。イラン人2人がタクシーを停め、片方がパン屋に入って長いフランスパンのようなパンを買って戻ってきた。空腹なのだろう、パンくずをボロボロこぼしながら2人はがっついた。僕にも分けてくれた。
 
 タクシーを降り、路線バスに乗り換えた。タクシー代はイラン人がイランリヤルで計算してくれたので払ったが、バス代はイラン人が払ってくれた。
 
 バスの窓から街並みを眺めながら、僕の胸中にむなしさと諦めがわいてきた。
 このまま彼ら2人とバスターミナルへ行き、イスタンブール行きのチケットを買って、僕はイスタンブールへ行くのだろう。だがそこに僕の意志や決定は全く含まれていないのだ。なぜなら彼らに着いていっているだけなのだから。ドウバヤズットのバスターミナルを目指すのも彼らが決めて、僕は着いていっただけだった。
 
 今までの旅で、僕はほとんど全てを自分で決めてきた。決めることに疲れたり、成り行きで誰かと一緒になることはあった。だが誰かの決定についていったことは一度もなかった。だが今はどうだろう。あそこまで憧れ、目的地であるイスタンブールへ、僕は他人に着いていって到着するのだ。
 なんとむなしい旅の終わりなのだろう。(続きます)

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