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何故をつきつめて考えた先に世界の広がりを実感した。

最近仕事でたくさんの人に会う。
その中で人それぞれの違った考え方を間接的に知ることができている。

大袈裟に言うようではあるけれど、その仕事の日常の繰り返しに僕個人としての世界の広がりを感じている。

そして嬉しいことに、それを楽しんでいる。

こういう考え方もあるんだなとか、え!あ、こう言う視点からそう考えてたんだな、とか。

自分が絶対に関わることのできない世界に、その人から見た世界に間接的に関わることができているのだ。

それを持ち帰ってどうするとかそんなことは決めていなくて、ただただ知るだけ。
そうして自分の中で再度考えてみて、なるほど、だから僕の中でもそう考えてみようかとか自分の世界に活かしていく。

そうしたら、たくさんの人と関わる世界に身を置くことで緩やかに自分の世界が広がっていっていることに気づいた。

だから、もっと世界を、人を知っていきたい。
今はそう思っている。


なぜ、"何故"をつきつめるのが楽しいのか

これは万人に当てはまることではないけれどとりあえずなぜ僕がそこまで人を知りたいと思うようになったのかを考えてみたら、大きく3つのことがわかった。

1.その人だけの"理由"がある

営業先でよく目にする光景を紹介したい。
玄関入ってすぐに目につくものとして、ゴルフバッグ、たくさんのおしゃれな靴、床に散らばった子供用の玩具、ディズニーキャラグッズ、素敵なアロマディフューザー、ゲーム機。

これはあくまで一例だけど、そう。
訪問先にはその人の世界を構築するもの=好きなもので満ち溢れている。
そしてそれを"何故"好きになったのかを聞くと、やっぱりその人だけの好きに至った経緯があった。

「ディズニーが好きで、よくアニメ見るんです。アナ雪見ました?」
→おそらくディズニー+入ってる。

「子どものご機嫌取るのに必死で。
最近おすすめのアニメあります?」
→パウパトロール好きかも。

「このアロマディフューザー、無印で買ったんですよねー。」
→ぜったいご飯にかけるシリーズ好きそう。

プライバシーの関係で経緯はお話しできないが、僕としては次に続く会話を連想できる。
言ってしまえばこれは、その人の世界に、第三者としての僕の世界を合流させるということだと思う。
そしてその化学反応がすごくすごく楽しい!
例えるならそう、織姫と彦星みたいな感じだろうか。(いや、そんなロマンチックではない)

そういう経緯があって僕はすっかり人に興味を持つようになった。

例えばあなたの職場の人のお昼ご飯のこだわりとか、そんな小さな気づきにもその人だけの理由がきっとありそうって考えてみると、少し興味湧いてきませんか?

2.人は好きなことは無限に話せる

例えば僕自身が好きなもの、好きなことについて聞かれたとしたら延々と喋れる自信がある。

それは聞いてもらいたいと言うこともあるけれど、話す側としては純粋に楽しいから、これに尽きるところが大きいのではないかと思う。

また、好きなものを好きになった経緯に関してはその人しか経験したことがないことなので、
そのきっかけとしての
「なぜ好きなんですか?」
を聴いてみると、やっぱりどんどんその人から言葉が溢れ出てくることに気づく。

その言葉をまとめた結果が好きにつながり、その人を形作っている。

そしてそこから僕は学び、自分の世界の広がりを実感するのだ。

「あ、麻雀ってこんなに面白いんだ。」
「DIYすげー」

そういう小さな気づきが僕の世界を広げてくれる。

だから、あなたの部屋に溢れたものの一つ一つにも必ずそこにある理由があるし、それは人それぞれ絶対に違う価値観から成立しているあなたオリジナルの世界であるからとてもおもしろく、少しだけでも知ってみたい。
そう思えるようになると、世界の見方もゆっくり変わってきた。

自分の部屋を眺めてるだけでも最近は少し楽しくなっている。

3.自分の世界の広がりを実感できる

先に書いた通りこうして日々自分の世界を少しずつ広げていくこと。

その繰り返しに無限の楽しみを感じている。

だから、次会う人とはどういう話ができるのかなとか物事を肯定的に考えることができるようになってきた。

これも人と会う中で培ってきた僕だけの考え方なのだとしたら、やっぱりまだまだその人だけの"何故"を知っていきたい。

それが今の僕の原動力だ。


おわりに

「人生はきっと、知らない世界に飛び込むことよ」

映画「LIFE!」

最後に僕が好きな映画「LIFE!」の一つのセリフを紹介したい。

この映画を見たのは大学生の頃だったんだけれど、その時は世界を知ることはいままで自分の見たことがない世界の景色を知ることそのものだと思ってきた。
例えばそれは世界に散らばる世界遺産であったりだとか、その国にある異文化にふれるとかそういう普段の日常では味わえない非日常的な体験を探しに行くことがそうだと思う。

でも、社会人9年目にしてもっと身近な日本でも見たことのない世界が広がっていたことを知った。
またその方法が誰かと話す何気ない会話であったり、読書を通してだったり、普段の日常でできることの延長線上にあることを身をもって知った。

そして、その世界こそがこの地球をカタチづくっている世界そのものなんじゃないかと今では思うし、その世界を知ることこそが僕の中で一番やりたかったことだったんじゃないかと思う。

ただ、それでもやっぱり世界に飛び出して見たことのない世界を舌で、耳で、空気を吸い込んで感じてみることはこれからも僕には必要だと思う。
なんたってその国をカタチづくっている人は日本に住む人とはまったく違う考え方を持っているんだから。

そうやって、また明日も世界を探しにいく。

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