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03.26

もし"疲れ"というものがかたちをもってこの世に存在しているとしたら、たったいま、間違いなくぼくのあたまのなか、正確にはおでこのあたりにそれはいる。おそらく500gの重さを伴っておでこあたりにいるのがわかる。なぜ、それがそこにいるのか。おそらく今日1日の小さな"蓄積"の繰り返しが"疲れ"としていまこうやって小さな塊として、しかもほんのり重さを伴っておでこにいるんだろうと思う。だから今日一日何が起こったかを疲れ切ったあたまで少しだけ考えてみることにした。ちなみに集中力というものはもう、ない。どこにも、ない。


1日のはじまりに

朝起きてからだの異常を感じる。外の天気を確認しにスウェットのままベッドを離れて窓辺に立ち外の景色を眺める。雨だ。しかも裏山の森の木々がなびいていて、かなり強い風が吹いているのがわかる。雨が降ると体調が思いのほか悪くなる傾向になるのはわかっていたから、今日もそんなことだろうと朝目が覚めた時からそう思っていた。

まずこれで"1蓄積"だ。


改札を抜けた後に待っていた悲劇

会社の最寄駅に降り立ち、いつものように定期をかざし改札口を抜ける。ここまで降ったり止んだりを繰り返していたから、改札を出た時には雨は止んでいるだろうかと小さな期待をしていたがそんな期待を嘲笑うかのように雨はしっかり降っていた。「やんなっちゃうなぁ。」そういう意味合いを込め、はぁ、と深いため息をつく。

勝手な期待とそれに対する裏切りへの蓄積。
ここで"2蓄積"だ。

ただ、駅での蓄積はもう一つある。雨に備えてビニール傘を自宅から持参していた。だから、会社までの雨晒しの道をしっかり傘をさして歩きはじめる。1歩、2歩、と傘をさして歩きはじめて10歩に達したとき、強い風にあおられて傘が「バンッ!」と音を立てて裏返る。まさに一瞬の出来事だったのであたまがついていかなかったが、冷静に裏返った傘を眺める。傘の骨が2.3本変な方向に折れ曲がってしまっていた。なんとか直そうと傘本来の形に元通りにしてみたけれど、もうそれは傘ではなかった。元に戻す過程でもう2.3本骨組みがおかしくなってしまったみたいだ。雨が降ったときにこそ頼りたい傘に裏切られてしまった。

これも"蓄積"。

そして極めつけは、その一連の動作をまわりの人に見られており、一気に注目を浴びたことだった。周囲を確認してみてもどうやら傘が裏返ったのはぼくだけだったみたい。周りの人がぼくに向ける視線はなんだろうか。非日常の類でおもしろいものをみれたという笑いの感情?それとも可哀想といった憐れみ?そんなことはまったくわからない。けれど、確かにあのとき、ぼくの中には恥ずかしさしかなかった。通勤という日常の中で、1人だけ傘が強風にあおられ裏返るという非日常を醸し出したという事実。逆にぼくが傍観する立場だったら、間違いなくその光景を見てしまう。果たしてその時に何を思うんだろうか。それに関しては一種の怖さを感じたため敢えていまは考えないようにしよう。ただ、繰り返しにはなるがあの時、たしかにぼくの中には恥ずかしさしかなかった。

これはかなりの"蓄積"。
おそらく"10蓄積"はあるだろうなと、1日を終えたいまならそう思える。


営業先での世間話に花が咲く

雨が踏んだり止んだりの午後13時30分過ぎ。営業先に到着しものの40分ほどで話をまとめることができたので早めに帰社して溜まっていた書類処理でも行おう。そんなことをぼんやりと考え、そろそろ帰らせてもらおうと帰るタイミングをうかがっていたぼくに、営業先の奥様がマシンガンのように世間話の数々を語りかけてきた。これがまたおもしろい。会社への要望からはじまった話が、コロナ事情、地域のお祭り事情、長野県、長野県のおすすめスキー場、ゲレンデ食が美味しいところ、ゲレンデ食が進化していたこと、インターネットのこと、最近よく見ているドラマのこと、山崎賢人のこと。さもマシンガンから銃弾が次々と放たれるかの如く話題も変わるし、奥様の流れに乗せられたぼくにはもうどうしようもできなかった。ここで思ったことは大きく二つ。まず一つ目はどの話題にもついていけるほどの知識がなぜかぼくの中にあったことに驚いたことだ。これに関してはいままでぼんやりと無意味に生きてきたんじゃなくて、毎日のひとつひとつの行動にはしっかり意味があったんだなと再認識できたので自分自身の評価につながった。そして肝心の二つ目。それはマシンガントークを繰り出す奥様がとても"笑顔"だったことだ。笑顔でどんどん話しかけられ、その度にこちらも笑顔になる。お世辞ではないけれど、本当に面白かったのだ。だから奥様には気の済むまで笑顔になってもらおうと思い、一心に聴き役に徹する。会話が途切れそうになればすかさず合いの手をいれる。そしてマシンガン再開。マシンガンが切れかけたら弾倉をかえるかのごとく質問を投げかけ燃料補給。その繰り返し。そして気づいたら15時。もう既に世間はおやつの時間。どうりで小腹がすいたわけだとかそんなことを少しだけ思ったけれど、奥様との別れ際はちょっぴり寂しかった。もっと話をしていたかったけれど、もう帰って書類に手をつけないと…。「ありがとうございました。」と感謝の意を伝え営業先を後にする。さっきまで降ったり止んだりの雨はこの頃にはすっかり上がっていた。

これには蓄積カウントなしにしたいところだけれど、奥様ごめんなさい。
"1蓄積"だけいただいてもいいですか?
ごめんなさい。


帰社後の書類処理

これは特筆事項なし。
"10蓄積"。
以上。


バスを降りると

1日の業務が終わったので退勤し、会社の外に出るとまた雨が降ってきていた。ただ、今のぼくの手元にあるのは傘だったもの。途方に暮れて…となってしまうはずだがそんなことはなかった。いつ雨が降ってきてもいいようにと折り畳み傘をしっかり持参していたのだ。しめしめと思いつつ、折り畳み傘を開く。小さい。思ったより小さかった。折り畳みはあくまで折り畳みなんだなと小さく納得し、帰り道の水たまりを避けながら最寄駅まで足をすすめる。そして最寄駅についた時にはズボンの裾はしっかりびちょびちょに濡れてしまっていた。

これは"5蓄積"だろうな。

そして自宅の最寄駅に着き、バスに乗車する。よしもとばなな先生の"デッドエンドの思い出"を読み進め、気がつくと最寄りのバス停に到着していた。急いで本に栞を挟み、カバンに入れドタドタとバスを後にする。バスを出て夜空を見上げる。もうその頃には雨は降っていなかった。

"1蓄積"。


1日の終わりに

合計の"25蓄積"の代償としてnoteを書いているいまもおでこのところに"それ"はある。1日を通しての一つ一つの行動とその選択に伴った代償が"それ"なら、"それ"はまったくそのとおりだなと一人納得する。お風呂に入ったら"それ"はどうなるだろうか。湯気と一緒に、はたまたシャンプーの泡と一緒に"それ"は流れていってくれるんだろうか。根本的にそれそれいっている"それ"は一体なんと呼ぶんだろうか?noteを書き終えた今はそんなことがあたまのなかで気になってぐるぐるしている。
あ、これも"蓄積"だ。そう思った。

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