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07.16

"とんかつ和幸"の読み方をずっと間違えてた話

最寄駅にとんかつ屋さんがある。
その名も"とんかつ和幸"だ。

出典 インターネットから

ショーケースに並ぶとんかつのサンプルを仕事終わりに眺めるたびにいつもよだれがこぼれ落ちそうになるほど、やっぱりとんかつの持つ魔力というものは心底恐ろしいと思う。

でもいまはその話は置いておくことにしよう。

そもそもの本題であるこの"とんかつ和幸"の読み方について。
正しくは"とんかつわこう"と読むのだけれど、僕はずっと"とんかつかずゆき"と読んでいた。

かずゆきと信じて疑わなかった日々。
かずゆきの前を何度も何度も通った日々。
それらが一気に崩れ去った。
そう、バベルの塔が崩壊するように。

僕「このかずゆきの前通るたびに、とんかつ食べたくなっちゃいますよね。とんかつ。」

上司「かずゆきちゃうよ。わこうやで。」








一気に恥をかいたじゃないか。
どうしてくれるんだよ、とんかつ和幸さんよ。

いままで築き上げてきたかずゆきとの関係性が突如終わり、明日からは突如現れたわこうとのお付き合いがいま、まさにはじまろうとしていた。

いや、絶対わこうよりかずゆきの方が親しみあるとら思うし、お店にも入りやすいと思うからかずゆきのほうが絶対いいと思う。
なんなら、とんかつ和幸の店長がかずゆきさんの可能性だってある。
というのもさ、店内入って席について、いよいよ注文しようと思ってメニューをぱらっと開いた一枚目に店長(かずゆき)が、「このとんかつを作ったのが、この私かずゆきです。」って写真付きでおすすめしてたら、とんかつを頼んでもらえる確率も少し上がるんではないか?と思うんだ。
トップバリュの生産者表示のシステムと同じ原理でさ、作った人が見えると安心感が高まるってやつがイメージに近い。
それと全く同じで、あぁこの人がとんかつ作ってるのかって調理者のことを我々が視認できるっていうのは安心感に繋がるし、十分なメリットでもあるように思うんだ。
(持ってくる人がその人だった時の感動も大きいしね。)

いや、本当に何言ってるか自分でも訳がわからなくなってきた。

とりあえずわこうさんよ。
お前とはどう接していけばいいんだよ。

かずゆきと一緒に過ごしてきたあの時間がもう帰って来ないことに軽く絶望する。

明日、どんな顔してあの店の前を通ろうか。
でもね、想像もつかない今が実は一番楽しくいかもって思いはじめてしまっているあたり、僕はかずゆきのことをそれほど好きじゃなかったのかもしれない。
けど、そんなことないよって否定してきている自分がいるから、僕はかずゆきのことを大切にしたいと思う。

かずゆきと過ごしたあの時間を返せ。


帰り道で

帰り道にもう一店舗、とんかつのお店に出会った。
その名も

「とん一」

出典 インターネットから

数字の一が漢字で書いてあるあたり、これはとんいちと読むのが定石だろう。
これがとんいちではなくて、とんはじめだった日にはもう人間不信、ではなくとんかつ不信に陥るだろう。
いや、逆に考えるとはじめでも悪くない。
いや、逆に考えるって何?
いやいや、はじめでも悪くないってどういうこと?


あぁ、もう自分でも何言ってるかわからなくなってきた。

とりあえずお前は一体誰なんだ?

最後に一言。
かずゆきと過ごしたあの時間を返せ。

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