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すれ違いが起こる原因

こんにちは。最近愚痴吐きマシンと化してきている私です。


昨日の次男は、2時間目気分が悪くなり保健室へ行ったそうですが、相変わらず担任からの連絡はありませんでした☺️

最近の次男は、ますますたぶんストレス性のものだろうなという行動や言動が増えてきている。

次男の担任とのやり取りが、そもそもずっと噛み合わないのは「担任」と「保護者(私)」の求めているものが違い、話が平行線のままだからである。


担任→とにかく学習面をどうにかしたい(他者にその答えを聞きたい)、それは、発達障害だから専門科から聞けば解決するはずだ(と思っていると思う)
病院の先生からの答え、伝えたらあからさまに残念そうやったもんなー笑


私→病院の先生は現段階で学習面より、学習・集団を嫌いにならないこと、社会性の遮断を本人が希望しない事が大事、本人は登校しているだけで充分頑張っていると言われ納得している。
そもそも、去年は問題行動がほぼなかった。クラスに参加していた。授業で手も挙げて発表もしていた。嫌いな連絡帳も汚くても毎日自力で書いていた。
これが今全部なんでできないのかは、「発達障害」は一因ではあるが、そもそも「クラスの居心地」や「担任の指導の仕方(性格含む)」に問題があるから今年になって一気に、しかもどんどん酷くなっているのではないかと思っている。メンタル面への配慮を一切感じられない。
今次男に必要なのは学習ではなく、メンタル面を支える事だと私は伝えたい。


生徒と担任の信頼関係もちゃんと築けているのか?なんかクラス内バラバラじゃない?と授業を見に行った日に感じた。

私の一方的な意見から言うと、4月末初めて行き渋りを見せた次男。担任は初手からもう信頼関係を築くことに失敗しているのだ。


次男は去年の先生が大好きだった。保育園も1歳からデビューし、先生達に恵まれ、行き渋りはほとんどなかった。
発達的に、なんか怪しいな…と思う出来事はチラホラあった。年長クラス時は立派にできたが、年少・年中の運動会はほぼ泣いているか違うことをしているか、ヤル気ゼロだった。(今思えば大学の体育館を借りたり、毎年違う体育館での開催でいつもと同じ場所ではなかったからだと思う)
園内の学習発表会、音楽会は全て普通にこなしていた。
私や次男本人、先生方が困るような出来事はなかった。
毎年担任の先生方に「発達的な問題は先生から見てどう思いますか」と聞いてきた。そして全員「個性の範疇じゃないかなぁ」との答えだった。


きっと、今までの先生方が次男の事をよく理解し、また同時にクラス内の子達をよく理解し、どのようにクラスを持っていくかの能力に長けていたのだと思う。


そしてなにより先生方がきちんと次男本人と向き合って接してくれていたから、次男も凄く頑張ってこれていたんだと思う。


それがプツリと切れ、一気に症状が出てしまった結果…なような気がしている。


担任が、次男は発達障害だから、専門科から答えを聞かなきゃと思っても、それが自分と思ってたものと違うのならば自分のしてきた事を見直すのが筋だと思う。


子どもは大人が思っている以上によくわかっている。
次男は両隣りの担任の方に懐いているが、それも実際学校で担任と放課後話し合いがあった日(9月下旬)、自分の目で見た時すぐ何故なのかがわかった。

次男は放課後時間をかけ連絡帳を書くのを知っていたので、授業終わってしばらくしてから話し合いに向かおうと思うと言おうと思ってたのだが、担任は「連絡帳書く姿とかも見れると思うので授業終わり辺りに来てください」と言った。


次男の性格、わかってないなぁと言われたまま学校へ向かった。次男は私の姿を見ると泣きだし「学童なんか行かない、ママが来たからママと帰る!」と言い出した。
私はこうなる気がしていた。この時は担任が自分が次男をどれだけわかってないかを自覚してくれるかなーと、まだ期待していた部分がある時だった。(現在はない)


そこで対応してくれたのは隣の担任の先生。声掛けが上手なのだ。他のクラスの担任なのに、うちの担任よりも次男の性格を把握した上での提案や助言ができるのだ。


担任はその時困っているだけで上手な声掛けはしていなかった。


結局、次男は隣の担任の先生と少し話をし、「学童が終わる時間にママもお話終わるから、ママと一緒に帰れるで!」と言ってもらい学童まで連れていってくれた。


担任ほぼなにもせず。


その後私の初のブチ切れ大会が行われた。
一通り思った事を伝えたあとは、同席していた通級の先生方2人としかほぼ話をしなかった。
担任空気。


それからはもう期待してもこのクラスで次男が心穏やかに過ごすのは無理だなと思い、担任に期待をしなくなった。話し方も普通を装いながら(相変わらず学習面の話しかしてこんな)と思っていた。


それからまぁどんどん問題は増えていく一方。
頭部の打撲を保健室内だけで終わらせ私に一報が来ず、違う学年のお母さんから保健室に来てたみたいやけど大丈夫?と言われ初めて保健室に行ったことを知る始末。

次男はマスクがないと不安(死に対して今年から恐怖を抱くようになった)なのに、運動会の演技が終わりかけの最中に担任が外した。
これは保育園の頃の年齢だったらパニック起こして中断していたと思うが、最近たまたま聞いたがこの時目の前に大好きな学童の先生がいたらしく、その先生の名前を叫んだようだ。不安だったんだと思うのと、大好きな指導員の前だから頑張りきれたんだと思う。


イヤーマフを気に入り次男が持っていくと「医師の診断や指示のものか」と喧嘩腰でその日に電話がかかってくる。学童の先生なんか「どんな聞こえ方なのかとか知りたくて私もちょっと試させてもらいましたーすみません☺️💦」と、次男の気持ちをわかろうとしてくれる言葉をくれたのに。
教師と学童の指導員だともちろん立場は違うので、イヤーマフの学校への持ち込み云々について考え方が違うのは当然だが、次男を思う心は1発で両者どちらが思ってくれているかがわかる。

つい先日珍しく落ち込んで帰ってきたと思えば「最近担任が話を聞いてくれない、今日は無視された」ときたもんだ。


今年は担任に恵まれなかった。


一言で済ましてしまえばこうだが、子供の1年はとても、とても大きいものだ。


そして次男はきっと見えない所でたくさん頑張り、傷付いている。


あのクラスへ通わせることへの罪悪感があるが、社会性の遮断を懸念されている病院で先生の言うこともわかる。


今日は遠足だったのでわりとご機嫌だったが、「俺のバス、担任の先生だった…(感染対策で、バスを複数台使い、違う引率の先生も違うバスで同行するっぽい)」と残念そうに朝になって言ってきた。


そして私は今日旗当番の日で朝バタバタしていて、さっき冷蔵庫の中に、次男のお弁当用に入れようと思っていたブドウが入ったケースを見つけた。


帰ってきたら全力で謝ろうと思う。笑

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