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奥底にしまっておいた疑問の箱


大人になる過程で、私は何度もその疑問について答えを出そうとした。
でも、できなかった。
それは年齢と共にその難解度を優に超えて私の前に立ち塞がるからだ。

悔しいことに、年々スケールを広げて複雑かつあらぬ方向へと問題の幅を広げていくものだから、私は思考の沼へとはまる前に匙を投げてしまうしかなかった。
向き合わずして放棄するという行為は逃げだ、という解釈が世に蔓延していることは重々承知の上で、自分の日常に没頭することでその問題から目を背けたかったのだ。
今となっては意志薄弱の私を恥じているので、どうか許して欲しいと誰に向ければよいのかわからない懺悔を抱えている。

そんな悔恨の念が通じたのか、私はついにその疑問に対する解答を見出すきっかけを得た。

「最近の少女漫画がすごい」

SNSを通じて、そんな内容のつぶやきがバズったのである。 

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私は長年にわたり、少女漫画の発展という思考の針を合わせられないでいる。
思春期に夢と希望を胸いっぱいに詰め込んでくれた思い出の作品たちは、いずれも「恋愛」という名のファンタジーを教えてくれた。
その残酷なほどピュアなハートが綴られた物語が今の自分の根幹になっていると言っても過言ではない。

しかし、気付くと私は少女ではなくなっていて、「少女漫画」は私の想像をはるかに超える壮大な異世界へと変貌を遂げていた。
それは恋愛という枠を飛び越えて、ギャグや友情、社会風刺とも呼べるヘビーなものまで豊富なラインナップだ。

これほどの情報量を詰め込んだ人々は、「少女漫画」を通してどんなファンタジーを育てていくのだろうか。
どういう角度から切り取ってみても、私が思春期に教授したファンタジーとは似てもに似つかない世界がそこには広がっているはずなのだ。


なんなん。
私の前で藤色の風が吹いた。
世相を少女漫画という媒体に落とし込む手腕はあっぱれやけど、それを飲み込める読者は賢すぎやしーひんか。


優雅にフレンチコースを召し上がっている人々の前で、あんパンを口いっぱいに頬張る私と目が合ってしまったような気恥ずかしさ。
少女漫画という枠には到底収まりきらない「少女漫画」という概念が、私の中で暴れまわってついにはエラーを起こしかけている。


時代が移りゆくとはこういうことなのかもしれない。


ご飯のように続々と与えられる教育と、どこからか聴こえてくる芸術と、砂のように果てしなく広がる情報を混ぜ合わせて出来上がる私の、そして誰かの思考や思想や価値観がどんなものかはわからない。
けれど、それは全く異なり交わるものであるはずがないのだ。
しかし、ここではそれがさも当然のようにみっちりと絡み合うのだから、不思議で恐ろしい世界に迷い込んでしまった気がする。


「少女漫画」から得たファンタジーを現実という箱の中に詰め込んで、
今日も漫画片手にあんパンにかじりつく。

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