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ぐるぐる模様の真ん中でカエルが跳ねる

 肩にピンクのラジカセ、緑のポロシャツを着た浅黒い肌の男が向こうから尻をふりながら歩いてくる。腕にはラジカセと同じピンク色の腕時計を巻き、今風のサングラスをかけている。ピンクのラジカセはいかにもとってつけたアクセサリーでしかない、音はまったく鳴っていない。男はなにを聞いて、どんなリズムで尻を振っているのだろう?
 不思議に思って、わたしは男とすれ違ったあと、堂々とふりむいて男の姿を追った。あいかわらず尻を振っている。小さくてしまった尻だ。パンツの縫い目が尻の割れ目に食い込んでいる。あのパンツはサイズをひとつあげた方がいい。

 ピンクのラジカセ男が視界から消え、どことなくさみしい思いをしていたら次に頭の上に大きなカゴをのせた男が現れた。ひょろ長い身体の上に小さな黒い頭が乗っかって、さらにその上にこげ茶のカゴをのせている。カゴからベンジャミンの茂った樹が生えている。男の身長とカゴとベンジャミンの背丈をあわせると、地上3メートルの長い物体が向こうからよっこらしょとやってくるのだ。
 象を見るよりめずらしい景色に出会った。わたしはその場にとどまり、ベンジャミン男がわたしの前までやってくるのを待った。途中で男とカゴとベンジャミンの調和がくずれて、長い物体がてんでばらばらに地上に砕けるのではないかとハラハラ心配した。
 わたしの目の前までやってきたところで、男は頭からカゴを地上に降ろす、したがってカゴからはえているベンジャミンもカゴといっしょに地上に降りた。
「ベンジャミンを運んでいるの?」たずねる。
見ると男は日本人ではない。どこか遠い国の風貌をしている。
わたしは英語とスペイン語と韓国語と中国語とフランス語とイタリア語とドイツ語を駆使して「ベンジャミンを運んでいるの?」をくりかえした。
ところが何語で話しても、どこか遠い国の風貌をした男ははっきりとした反応をしない。ただ物憂げにわたしをじっと見ている。

ベンジャミンとひょろ長い男がその場からいっこうに離れようとしないので、わたしはどうも気まずくなって、じゃあとか、失礼します、とかいい加減な挨拶を小声で残しその場を離れた。

 ピンクのラジカセ男といい、ベンジャミン入りのカゴを頭にのせた男といい、変人だ。変人はしかしこちらの迷惑にならない限り、眺めていると単純に楽しい。駅にさしかかる。長いエスカレーターを下ってゆくと、エスカレーターが終わる地点にオレンジ色のTシャツを着たアジア風の男が立っている。エスカレーターから降りると、アジア風のその男がわたしの方に寄ってくる。男からは重い汗の臭いが漂ってきたのでわたしは遠慮なく顔をしかめた。男がいった。
「あなたは英語を話しますか?」
オレンジ色のTシャツの中央に緑の文字がある。
わたしはその文字を読んだ。
材木問屋。と書いてある。日本語だ。よくわからない。
ざいもくどんや。
 わたしは男のTシャツの文字を指さし、英語で
「なぜ材木問屋なの?」とたずねた。
男はたいへん嬉しそうに
「僕は日本のカルチャーが大好きです。このTシャツはひとめで気に入りました。東京の展示場で買ったのです。日本フェアが実施されていました。そこでこのTシャツに出会ったのです」これを英語でいった。
「そうなの。材木問屋、面白いわね」わたしがほめると男は嬉しそうに頬を紅潮させ、軽い足取りでわたしの周囲でステップを踏み始めた。

 6月のひざしは思ったよりも柔らかく、比較的過ごしやすい日だ。駅前広場を横切りしばらく歩くと商店街に出る。雑貨店、フランス家庭料理レストラン、婦人用帽子店、時計と眼鏡の専門店が並んでいる。フランス家庭料理レストランのメニューには白身魚のソテーがあった。サンプルの白身魚は日に焼けて黄色く変色している。婦人用帽子店のショウウィンドウにいくつかの変わった帽子が飾られている。灰色の麦わら帽子に黄土色のリボンが巻いてある。紫色のキャップには金のてんとう虫のブローチがついている。この帽子を買うひとがいるのかしら?

 商店街のつきあたりに花屋があった。青や赤やピンクや白の花がそれぞれ大きなガラスの花瓶の中で元気よく咲いている。気の利いた花束でも買おうかしら。中に入ると若い男が木の椅子に腰かけて腕を組み眠りこけている。店内には聞こえるか聞こえないかの瀬戸際の低音で「アヴェマリア」が流れていた。
「アヴェマリア」がほんとうの曲名かどうかは知らない。ただアベマリアと歌う女性ボーカルがこの小さな店の空気を洗うようにやさしく伝わってくるのだ。ふむ。若い男は黒いエプロンをつけた姿でしつこく眠っている。おそらくこの店の経営者に違いない。声をかけようか。「お花をくださいな」けれど彼のあまりに無邪気に眠る姿にわたしは不思議な感銘を覚えた。なにも声をかけずにこの場を去ろうと決め、わたしは花屋をあとにした。

 部屋に戻るとなんだかぐったりしている。歩きすぎたのかしら。冷えた麦茶を飲んだ。残り物の豆腐の和え物が冷蔵庫にあるのを思い出したのでそれを一口いただくと極端に眠くなる。
 ベッドに横になる。
 目を閉じるといろんな風景が順番に出てきた。
 ピンクのラジカセ、ピンクの腕時計、ベンジャミンの葉、ひょろ長い男、材木問屋と書かれたオレンジ色のTシャツ、花屋の眠る店主、黒いエプロン、アベマリア。

 ひと晩眠った。
 目覚めると、わたしは自分が一匹の小さなカエルであることを思い出した。黄緑色のカエルだ。あじさいの葉っぱの上を住処とするカエルだ。カエルは昨日見た景色を思い出そうとした。しかしすべての景色は色も匂いも入り混じった混沌としたぐるぐる模様でしかない。
 カエルはぐるぐる模様の中央で何回か跳ねた。

 どこかで誰かがカエルを見ている。
 ぐるぐる模様のまんなかで跳ねるカエルの絵を、誰かが見ている。
 


 

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