アンダルシアに憧れて 卓球とスペイン語
卓球をはじめてじきに2年になる。圧迫骨折他各種慢心の結果、半年くらいはサボったがそれでもなんとなく続けている。最近少し欲が出て「試合」を経験したいなどと無謀を考えるようになった。今まで私より「打てない」人にはあまり会ったことがない、つねに私より「打てる」人、上手な人が卓球台の向こう側にいる。なので「試合」はすなわち「負け」を意味するが、「負ける」ことはさほど私にマイナス感情をもたらさない。負けても構わないので試合、あるいは勝負を「経験」してみたい。
1時間ラケットを振ると顔が真っ赤になる。卓球台に立ち、こちらに弾むボールを打つとき、わたしはちゃんと息をしているのだろうか?生きているからもちろん呼吸はしている。でも向こう側のコートに強打を入れたいと力むとき、心も体もウルトラ級に尖る。余裕がまったくない。
上手な人はボールをいつも自分にとって最適な位置に引き寄せる。つまり脚を機敏に動かしボールの位置に自分自身を合わせていく。卓球人たちの脚はとてもすばしこい。
あまり素早く動いてくれない自分の脚をそれでも駆使して1時間を終え、帰宅途中に英会話のクラスに寄った。卓球直後の荒い呼吸を紅潮した顔のまま「朝1時間打ってたの、わはは」といって席についた。クラスのメンバーはみな温厚な方たちだ、「わはは」と迎えてくれた。ありがたい。
Hey, guys!
最近どうよ?
それぞれが各自のトピックをなんとなく喋る。家族の話、趣味や仕事の話、いろいろ出る。私は新しいスペイン語教師の話をした。(自分はスペイン語を軸に英語とバスク語の学びを続けている。たいした理由はない、残りの人生を埋めるのに語学は最適だとたぶん認識しているらしい)
新人スペイン語教師の名を仮にアレンハンドロとしておく。
どのような流れでそうなったのかを忘れてしまったのだが、アレハンドロは白いボードに
出歯亀
と書いた。カクカクとした大きな漢字でそう書いた。次に出歯亀の横に
痴漢
を書いた。
①アレハンドロはスペインの大学で日本文化、特に文学を専攻していると聞いた、つまり彼が漢字を書けることはまあ、納得するにしても、なぜ出歯亀なのだ。出歯亀、聞いたことはある、なんだっけ?
②出歯亀は痴漢を意味するとアレハンドロは言っている。スペインにも痴漢は日本のようにうようよいるのか?
①と②を思った。私とクラスメートが「出歯亀」は現代日本社会ではおそらくはほぼ使われていないと主張すると、アレハンドロは照れ「出歯亀」については忘れてくれと20代の可愛らしい笑顔でそういった。
という話を英語のクラスですると、親切な男性が「出歯亀」を電子辞書で調べてくれた。
すると「出歯亀」は痴漢というよりは「のぞき」の表現だという。なんでも明治の時代に池田亀太郎という名の男が女湯のぞきの常習犯で彼の名から「出歯亀」が派生したらしい。亀太郎は出っ歯だったのだろうか?調べればいいのだがいささか面倒ではある。
英語は出歯亀、あるいは覗きをpeeping Tomというらしい。米国ののぞきのプロの名はTomだったのだろうか?
マーシー氏を思い出した。マーシー氏の記憶はどこかおかしく同時にわびしい。
帰宅し食事をし洗濯物を畳み、夕方、ふたたび卓球場に向かった。1時間サーブの個人練習、そのあとコーチにレッスンを付けてもらった。
夜。ビール3缶とスーパーで買った3色おつまみセットで飲み、いろいろ思案するつもりが心も体も消耗しつくしている。なにも出ない。そういえば今日は家族の顔を見ていない。
眠る際、いつもスペイン語のラジオ放送をつけっぱなしにしてある。アンダルシアなまりのスペイン女性副大統領Maria Jesus Montero 氏の演説が聴こえる。わたしは彼女のすさまじい演説が大好きだ。スペイン女性政治家たちの衣装と髪と早口の主張が大好きだ。左と右。政党と政党がぶつかり合う際の生々しい衝突音も南欧のこの国ではどこか艶めかしい。
アンダルシアに憧れて。かつて東山紀之さんがセクシーなブラックスーツ姿でこの歌を歌っていた。マッチバージョンも聴いたが、個人的にはヒガシが歌う「アンダルシアに憧れて」を支持する。
グラナダ。セビーリャ。
光が悠久を孕んでいた。かつての記憶。
次にたずねる機会が訪れるまでに、わたしのスペイン語がさらに深まればいい。複雑な長い歴史とふんだんな芸術を誇るこの国の政治や文化についての具体的な知識を増やしたいとなんとなく日々思いを募らせている。
理由も野心もさほどない。
際限なく暇なのだろう。
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