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「好きなもの」と「欲しいもの」の違い

物があふれる現代社会、それに反して物欲がないがない人々が若年層を中心に増えているそうです。
ミニマリストがもてはやされ、「買わない・欲しがらない」ことが意識高い系な人たちの一つのアイコンとなっている時代背景もあるように思います。

例えば人に「今度誕生日だけど何か欲しいものとかない?」と聞かれて即答できる人ってどれくらいいらっしゃるでしょうか。

もちろんこの質問からは相手が誕生日プレゼントを検討してくれているという状況が容易に分かるのですが、とは言えそもそもとして日々物欲のない私達にとってはなかなか回答難易度が高い質問だったりします。
奥さんが言う「今日の晩ごはんは何がいい?」も然り。そもそも私達には欲も意志もない。(いや、でも嫁さんに晩ごはんを聞かれたら笑顔でちゃんと答えましょう。無理にでも。頑張って)

一方で我々には「好きなもの」というものは存在しています。
自分はコーヒーが好きだし、米津玄師が好きだし、スニーカーが好きです。

でも欲しいものとは違う。もちろん美味しいコーヒー豆や米津玄師のCDやAllbirdsのスニーカーをもらったら嬉しいとは思いますが、それを「自分が欲しいものか」と言われるとピンと来ない。

なんかそう言ったもやもやについて、もやもやしたまま、もやもやした文章を書いていこうかなぁと思います。
もやもやしていますが、このへんの線引ってUXなどを考える場合において意外と重要な要素になってくるのでは?とも思うため、自分の頭の整理も兼ねてnoteに書き記してみたいと思います。

欲しいかどうかは充足度による

ちょっと自分のコーヒーの話を例に考えていきたいと思います。

自分は毎日コーヒーを飲みます。豆を粉末にしたものを袋買いし、Amazonで買った専用のボトルに水と一緒に前日の夜に入れて冷蔵庫で一晩寝かせておくと朝には飲めるようになっています。(→こんなのです)

おそらく多くの人はアイスコーヒーを飲むというと市販品のボトルなどを買って飲むかと思っていたりするのですが(自分も以前はそうでした)、こういう専用のボトルを買って少し手間をかけてでも美味しいコーヒーをまとまった量飲みたい、というくらいにコーヒー好きです。
そのため自然とコーヒー豆の知識も味の違いもたしなめるくらいにはなっています。

そんなこんなで恐らく「コーヒー好き」を自称しても差し支えないくらいに日常的にコーヒーと接している自分ですが、じゃあ「誕生日プレゼントに100g1万円のコーヒーをあげるね」と言われたら「うーん、」となりそうだなぁと感じます。

それは何でなのかなぁ、と考えたとき、このタイトルにあるようにその人の「充足度」に関連しているということが言えるような気がしました。

確かに100g1万円のコーヒーをもらえたら多少は嬉しいと思います。興味本位でちょっと飲んでみたいなぁとは考えるでしょう。
しかし一方で、スーパーで買える200gで398円の市販の豆で満足している自分もいたりします。
身体が震え上がるほど美味しい、というものではもちろんないけれど、毎日マグカップ2~3杯をガブガブ飲むようなライフスタイルの中での費用対効果の最適解をすでに見つけてしまっているため、それ以上を求める欲望が薄い。

恐らく皆さんの身の回りのものも多くがこういう「ベストじゃないけど最適な落としどころ」に落ち着いているものが多いのではないでしょうか。
有益な情報が無料で手に入り、あらゆるものがネットでいつでも適切な価格で購入できるようになった現在、世界中の誰もが自分にとって最も心地よい適正なポジションを見つけられるようになりました。

例えばスマホもハイエンドモデルは20万円以上のものもザラにありますが、大抵は自分のライフスタイルや用途に応じて最適なものを選んで手に入れているはずです。
iPhone11の128GBで充分に事足りている人にiPhone14Pro MAXの1TBモデルを買ってあげたとしてもそんなに喜ばれはしないでしょう。
もしかしたら本当に欲しいのは価格が何分の一のAirPodsかもしれないし、純正ケースかもしれないし、iPadかもしれない。

すでにその人が満足しているところに横から「いやいや、そんなんじゃ足りないだろうからこっちにしなよ」とさらに高スペックのものを与えてもおせっかいにこそなれど幸福にならない。というか、その人はすでにその領域においては幸福を得てしまっている。

だから、人にものを送る側はその人が「何が足りていて何が足りていないか」を切り分けて考えなくてはならず、それはその人の「好き嫌い」とは全く別の話であるということを感じたりしています。


ものづくりにおける「こんなの好きでしょ」は危険

この記事をだらだら数日かけて書いている途中に配信されたキンコン西野さんのVoicyで(話の起点や道筋は違えど)このnoteの結論をほぼほぼ代弁されてしまったので貼り付けておきます。

つまり作り手が「この人たちはこういうの好きでしょう?」と考えて世に出したものは結局誰にも響かない、ということ。
世の中の20代はTiktokが好きでしょう、とか、おっさん達ってみんな健康ネタが好きでしょう、とか、そういう「どうせこの人らにはこういうのでいいじゃん」っていう考え方は非常にマズイという話。

統計などのデータを見るとその人たちが「どんなことが好きなのか?」はすぐに出てきます。しかしサービス提供者が考えなくてはならないのは、「ユーザーは何を渇望しているのか」という点でであるということです。

自分たちが価値を提供しようとしている相手は何が不足していて、それをどういうかたちで提供してあげるのが最も幸福となるのか。そしてそれらをちゃんと彼らの好き嫌いとは分けて考えられているだろうか。
当たり前だけどたまに見失いそうになるためつらつらと書き記しておきました。

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@やました
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