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デザイン vs デザイン思考【海外記事メモ】

本日はこの記事を読もうと思います。なお、画像も以下から引用いたします。

日系アメリカ人で日本でも様々なカンファレンスなどを行っているRei Inamotoさんが記事を書いていたので読んでみました。

長い上に内容も骨太で読み応えはあるのですが、その分翻訳難易度が高いためところどころ大胆に意訳しながらも、意味としてはちゃんと伝わるように文章化していきたいと思います。今回も複数回に分けて投稿します。

本日もよろしくお願いいたします。


デザインの役割の変遷

"デザインはコテージ業界となった"
数年前、著名なデザイン会社のオーナーたちは業界のボードミーティングの中で嘆いていました。彼らはかつて請求していたような高額な要求をするのに困難な状況下にあることを言及していました。今ではわずかなコストで同じ作業をしたがる独立デザイナーとの競争を行わなければならない状況にあります。

デザイン会社はもはや自分たちをデザイン会社と呼ばなくなりました。ウェブサイトには「私達は変革へのコンサルタント会社です」という言葉を並べています。

異なるデザイン会社のオーナーに対しても、わたしたちはキャリアの中で何がターニングポイントだったのかをたずねました。

「それは私達が自身のデザイン会社としての位置づけをやめたときです」

彼らは美しいブランドアイデンティティやパッケージング、そしてデザインシステムを持つことで知られていましたが、多くの予算と高額な報酬が合ったため、オーナーはより広告とマーケティングを強化しだしたことを述べていました。その回答に私は驚かせもしましたし、逆に全く驚かない部分もありました。

さらにもっと最近、あるコメントや見出しに目がとまりました。

2週間前に行われた未来のビジネスに関するBloombergのカンファレンスでのパネルディスカッションで、かつてのウォルト・ディズニー・スタジオの役員でDreamWorksStudioやその他数々の素晴らしいクリエイティブベンチャーの創設者でもあるJefferey KatzenbergはAIが大ヒットする長編アニメーションの制作費を90%もコスト削減してしまうということを話していました。

「これまで本当に素晴らしいアニメーションは500人以上の人を5年稼働させて作っていました。現在、わたしたちは90%まで工数を減らすことができるのです」

私は彼が正しいと思います。

そしてちょうど先週、デザインの代名詞として世界で最も有名なコンサルティング会社が3分の1の従業員を解雇した。それに合わせて、デザイン思考の時代の終わりが明らかになったとも言えます。

https://www.fastcompany.com/90976682/design-giant-ideo-cuts-a-third-of-staff-and-closes-offices-as-the-era-of-design-thinking-ends

これらは全て特に新しいニュースではありません。様々な記事がアメリカにおけるデザイン思考の凋落や、そのどこに誤りがあったのかを指摘しています。この話題はしばらくの間、わたしたちの共通の関心事になっています。

デザインは業界として少しずつ開発が進んでいき、過去10年ほどの間に徐々に衰退をしていきました。


デザインvsデザイン思考

"デザイン"という言葉はスーツケースワードです。

この言葉はMITのAI研究所の共同創業社であるMarvin Minskyによって提唱されました。"スーツケースワード"とは人々が多様な意味をそこに詰め込んでしまうタイプの言葉を表現したものです。
スーツケースワードは「それ自体に意味があるものではないが、開梱する必要があるものが中にたくさん入っている」ものであるとMinskyは考えています。

デザインの一つの定義として、かつてBraunやVisoeのデザイン責任者でありながら20世紀のインダストリアルデザイン界の巨匠であるDieter Ramsのデザインが挙げられます。彼のデザインは機能的で簡潔であり、表面的なスタイルよりも実用性を優先したデザイン美学にあります。
もし彼の名前を聞いたことがないとしても、あなたはきっと彼に影響を受けたデザインに触れたことがあるはずです。過去25年間の多くのAppleのプロダクトにも彼の影響が見て取れます。

彼のデザインの定義はそれ自体が定義なのではなく、一連の法則で成り立っています。あkレはそれらを良いデザインのための10原則と呼びました。

彼の専門領域はインダストリアルデザインではあったものの、この法則の多くは現代のデジタルプロダクトにおいても適用されているものです。

1.良いデザインは革新的である
2.良いデザインは使いやすいものである
3.良いデザインは美的である
4.良いデザインはプロダクトの理解を促す
5.良いデザインは派手ではない
6.良いデザインは親切である
7.良いデザインは長くつづく
8.良いデザインは細部にまで作り込まれている
9.良いデザインは環境に優しい
10.良いデザインはできる限りデザインを少なくすることである

デザイン思考はデザインという言葉とは異なり、よくも悪くもより明確な定義が存在します。これは誰でも、特にアメリカ企業が実行しやすいデザインのステップのセットを示したものです。

デザイン思考の目的はユーザーをプロセスの中に巻き込みながら、素早くテスト用プロトタイプを作って、フィードバックをもとに改善を繰り返していくというものです。これは革新的なソリューションを生み出すための人間中心的な新たな流行語であると主張されました。

この言葉はだいたい半世紀近くの間存在したものでしたが、IDEO社が2007年ごろに有名にさせました。かつて長い間CEOを勤めたTim Brownがハーバード・ビジネス・レビューの記事やTED talkや本の中で述べています。これはサービス会社として過去20年間の中でも最高のブランド構築の成功例の一つだと言えます。

Brownはデザイン思考をアメリカ企業だけでなく優秀な大学へも波及させていきました。多くの大学は未だにその影響を受けています。
日本の第二の広告会社である博報堂DYホールディングスは2016年に同社の株式を数百万ドルで購入しました。まさかデザイン思考の始祖であるIDEOとデザイン思考の影響力が10年もしない間に陳腐化するとは思われてもいませんでした。公平を期すために言うと、世界の他のどの国もこんなことになるとは思ってもいませんでした。

デザイン思考に関して幸福なことと言えば、誰でもデザイナーや少なくとも重要なデザインプロセスに自分も関われるようになるような雰囲気を纏っていた点です。そんな中、私はこう言うでしょう。
「これはクリエイティブではない組織がクリエイティブになったと錯覚させるのに成功した事例である」

デザイン思考はコラボレーションをより円滑にし、可視化させ、繰り返しもできるようにポストイットを活用したことで、アメリカの企業が簡単に導入できるようにしました。ポストイットはどこにでも普及するようになり、多くのコラボレーションツールのデジタル上で、少々いびつな形で採用されるようにもなりました。

Miroのポストイットのインターフェイス

デザインのインターフェイスにメタファーを使うことは良い面も悪い面もあります。コンピュータのデスクトップのインターフェイスはその一つの例です。
インターフェイスデザイナーは1970年代と80年代に画面上の仕事空間をメタファーで作り直しました。これは効果的にデジタル上の言語を私たちの理解しやすいものに変容させ、GUIというグラフィカルなインターフェイスを生み出しました。

しかし悪い面としては実世界の見にくい部分もまた複製されるという点でした。我々のデスクトップは最新の注意を払ってこれらを整理しない限り散らかり続けてしまいます。これはデスクトップのコンピュータインターフェイスをが誕生してから40年もの間継続している異常さであり、未だにこれらが修復されてはいません。
まあいいでしょう。本題に戻ります。

IDEO社のものも含め膨大なデザイン思考ワークショップやそのプロセスに参加してみて、私はこの方法論は彼らがデザインプロセスに参加しているという実感を持つのに効果的なものであることは認めます。

しかし大抵の場合、その成果に圧倒されてしまっていました。彼らは過去のプロダクトやサービスを微修正したような小さいアイディアや、一見素晴らしいビジョンを語るビデオで偽りの空想を会社の役員室で声高に発表したりしていましたが、いずれも現実的なものではありませんでした。
これは大抵のデザイン思考において最後の「実装」のステップが軽視されている点にあります。

デザイン思考の根底にあるメッセージは「誰もがクリエイティブである」というものでした。それは素敵な考え方です。

デザイン思考はデザインを多くの人にデザインのプロセスや考え方に関してより触れやすくしたものではありますが、技術を身につけるという点では十分ではありません。
つまり、あなたは何年もかけてデザイン思考の経験を積むことはないということです。これはまた、デザインという分野自体に関してはあまり考えられておらず、デザインが低い地位へ追いやられてしまうことを暗示するものでもあります。

時間が経つにつれ、チームの雰囲気を良くすることが過度に強調されるようになり、アイデアやアウトプットの品質に責任を持つことの重要性が希薄化されてきました。

デザイン思考の問題は特に直近の10年にあります。デザイン思考はあまりに思考法に比重がかかりすぎて、作ったりデザインをする実際のアクションについて軽視されているような傾向があります。

→次回につづきます


【感想】空想がデザインの地位を下げる

今回は導入として筆者のデザイン思考への批判的な意見が述べられていました。
自分もどちらかというとデザイン思考に対しては否定的な立場なのですが、それでも社内では「デザイン思考について教えてほしい!」という声が結構あったりします。

そういった意味で、(デザイン思考がデザインの本質を捉えているものでは決して無いけれども)デザインという考え方を凝り固まった組織の中に浸透させ、むしろデザインというものの価値を高めてくれた功績はあったのかなぁとは思っていました。

しかし筆者は逆で、デザイン思考こそがデザインの地位を貶めているという主張をしている点が面白く、内容も納得いくものでした。

確かに自分もデザイン思考的なプロセスを踏むワークショップにいくつか参加したことがありました。記事の中でも挙げられていた博報堂が主宰で東京大学と共同で開催していたワークショップにも学生にまざって参加したことがあり、その中でもガッツリデザイン思考のプロセスでものづくりを体験することを学習させられました。

そして確かにどのワークショップにおいても、時間が限られているという部分も大きいですが、どのアイディアも筆者が述べているように既存のサービスの改善(最悪の場合既存のサービスそのまま)であったり、あるいは荒唐無稽な空想話で終わってしまうものだったりしました。例に漏れず自分もそんな環境で何かをやった感だけ残し、ワークショップを終えていたりしました。

そういった中で「デザイン思考」を実践した非デザイナーが抱く感情は「なんか自分たちもデザインというものをやってみたけど結局ものにならないじゃん」であったり、「デザインって結局妄想話な分野なんだね」みたいなものだったかもしれません。

いずれにせよこれは由々しき事態だったことに改めて気づきました。
知らずにデザインのイメージが本質からズレて世間に認識され、もしかしたらデザイン思考がかえって世間のデザインの評判を落としていたのかもしれないと思い直させられました。

次回はもっと広い観点から筆者がデザインについて語っていくパートになりそうです。よければまたお付き合いください。


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