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#005 読書感想文 逝きし世の面影

読んだ本の紹介


黒船がやって来てから、近代化が始まり今までより多くの外国人が日本を訪れるようになった。その外国人から見た明治初期はどのようなものだったのだろうか。そうした姿をテーマごとに書いてくれる。

この本を読んだ理由


渡辺先生がお亡くなりになったニュースを知り、そこから本を読み始めた。一冊目が『近代の呪い』で面白いなと思ったので『逝きし世の面影』も購入することにした。

あらすじ


私が感じていた「日本人」という存在が、近代化を通じてどのように変わってきたのかを章ごとに描いてくれる。当時の人たちはどのように暮らしていたのか、どんな生活をしていたのか、そして世界とリンクした時にどう反応したのか。

例えば、有名な話が裸体という概念である。明治になり、肌を公衆で見せることをやめさせ、恥という意識を持ち始める。それは、今でも変わらない。ふんどしで街を歩いていたら(お祭りはあるので昔の姿かもしれないが)変だと思われる。

ただ、その「当たり前」は150年ほどの歴史ではないか、と疑問を抱いてしまう。

良かったところ


この本を読みながら、私が気づいたのは、外国人の眼からしか当時の日本人(「日本人」という言い方も語弊があるのだが)を見られないことだ。私も当時の外国人のように描かれている事実に驚き、愛着を抱き、そして喪失してしまう。

気になる箇所


①考えられるのは、明治と令和の差も大きいのではないかということだ。明治は否定「した」のではなく、否定「しなければならなかった」としたら問題は異なる。昭和や平成を懐かしいと思うこともあるが、世界に合わせるしかない中で調整しないといけないとしたら、どうだろうか。

②今の考えで昔のことを考えるには非常に難しい。同じ日本語としても、その間には翻訳が必要だし、思考回路においても翻訳が必要である。前者は、古文書などの理解が関わってくるが、後者は意識強化が必要である。

③現代への捉え方で考えると、「コロナ禍前に戻る」に近い言葉を使うことがあるが、それはほぼ不可能だと思う。それは「コロナ禍」を経験した中で考える「以前」は「以前」とは全く異なるものであるからだ。経済、文化、観光などもうこの流れは元に戻せない。ただ、私たちはあの「過去」を懐かしく思う。これはいつの時代でも共通なのだろうか。それとも人間の性なのだろうか。

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