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まぁお茶でも飲みながら、というわけにもいかないけれど。

先日発売された市原真さん(著)「病理医ヤンデルのおおまじめなひとりごと~常識をくつがえす“病院・医者・医療"のリアルな話」を読んだ。

「医者に対する偏見」みたいなものは、わたし自身「まったくない」とは言い切れない。だけど、ここ最近、いろんなタイプの医師と接することがあり「お医者さんもいろいろやんなあ」と思うようにもなっている。

わたしが定期的に通っている病院がある。町の中にある、わりとちいさな診療所だ。ちいさいけれど、午前中にいけば待合には患者さんがいっぱいいる。五つほど設置されている長椅子に、全員が座れないほどだ。名前を呼ばれるまでには、一時間近く待合で時間をつぶさなくっちゃいけない。

しかし、わたしは最近になって裏技をおぼえた。午後の、最後の診察にいけば待合にいる人はひとりか、おおくてもふたり。だーれもいないときすらある。最終受付が17時45分なのだけれど、17時過ぎには、あまり来院する患者はいないみたいだ。

病院が混雑している時間に診察してもらうと、先生はとにかく忙しそうであんまりゆっくり話ができない。

その後どうですか? 変わりませんか? ひどくなってますか? なってませんか? 現状維持で薬を続けておきましょう。はい、お大事に。

このくらいで終わってしまう。まあ、用件も済んでいるし、患者本人が「変わらない」といってるのだから、様子をみましょうとなるだろう。もっともわたしの通院理由が、目に見えて治っているかどうかわからないアレルギーだ。血液の採取でなにかが分かるわけでもないので、患者の申告しか、診察の手立てはないのである。

わたしはこの病院で、年に一回胃カメラ検査もおこなっている。時期が来れば、その相談もする。

ただ、わたしは「先生にちょっと相談したいんですけど」と、たとえばはしかのワクチンを打ちたいとか、診断以外の話を持ち掛けることが多い。そういった時間をとるには、患者さんが山ほど待っている時間帯ではなく、「もう今日はだれもこないかもしれないですねえ」と、のんびりとした空気が漂っている時間をねらって訪れたほうがいいだろうと、こちらも見計らって行っている。

まだ診療時間だから「今日は早じまいしましょう」という訳にもいかないだろう。時間があるし、いろいろ質問してきてる患者と話すのもいいだろうと思ってくださっているようだ。

少し前には、わたしの胃カメラ写真(胃内部の鳥肌胃炎とよばれる胃炎になっている個所)について疑問があったので説明してもらった。時間があるときに話すと、先生はわりと楽しそうに話してくれる。先生だって、人間だし、精神的に余裕があるほうが、気楽なのだろう。


大きな病院の医師とも、接する機会があった。父が入院していた大学病院だ。昨年父が、がんの手術をおこなった。その後、「ご家族の方にお話があります」と、手術室にはいる手前の、説明を受けるためだけの部屋みたいな場所へ通された。

そこで、その医師は「今回摘出した身体の一部です」と、トレイをドンと机の上にのせた。そこには、ついさっきまで父の身体のなかにあった肝臓がんと、胃がんとして切り取られた内臓が入っていた。

ここがガン化してるんです、とピンセットでつまみながらその医師は見せてくれた。姉とわたしは興味深くて、「へえー」と前のめりにみていたけれど、母は「あんまりじっくり見ても、しゃあない」と眉をひそめていた。

その医師は「写真とか、とってもいいですよ」というので、わたしは遠慮なくスマホで写真をとった。「こんな機会、なかなかないから、興味深いです」と、わたしが言うと、「そうですよね」と医師はうなずいていた。けれど、母と姉は「こんな機会はしょっちゅう来ないでほしい」といって、神妙な顔をしていた。

わたしは、父のがんを手術してくれた医師とは、多分話が合うだろう。けれど、母も姉も、そして父自身も「あの先生、ちょっと冷たい。気持ちがこもってない」といっていた。

父は危篤状態のとき、意識はないものの呼吸があらく、ゼイゼイと苦しそうにしていたという。そばで見ていた姉は「苦しそうに息して」とつい口に出して言ったそうだ。すると、そばにいた医師は「本人は意識もないですし、苦しくないですよ」と、さらっと言われたという。

いや、確かにそうかもしれんし、苦しくないっていうのは救いやけど、「先生、体験したことあるんですか?」と言いたかったと、あとで姉が言っていた。わたしはその場面に立ち会うことはできなかったのだけれど、医師の言い分もわかるし、姉の言い分もわかる。場面が場面だし、なんというか、受け取り方次第で「あのお医者さん、いい先生だったね」とか「なんや、あの言い方は」と捉えられてしまうだろうなと思う。

医師が悪いわけではない。患者や患者家族と反りが合うか合わないかだけで、医師全体に対する偏見みたいなものが生まれているんじゃないかと感じている。

この本を読むまで知らなかったのだけれど、これから小学校で「がんに対する教育」が始まる可能性が高いのだという。

すごくいい取り組みだなとおもう。病気に対する知識とか、身体に対する知識は、もっと小学校や中学・高校で学んでもいいと思うのだ。自分の身体のことなんだし、病気になってから病院で医師に教えてもらう、というのが、どこか他人事のようで、おかしい。

自分の身体のこと、これから罹るかもしれない病気のことを、もっと気楽に話せる場があればいいのだろう。

病院には、病気にならないと行かないことがほとんどだ。ただ、それだけだと誤解も多いし、毛嫌いしてしまうこともある。

お茶でも飲みながら気楽に、とはいかないかもしれないけれど、せっぱつまってから聞くよりも、納得できるんじゃないだろうか。






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