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ゲームをそばで観ているだけでも、楽しかったんだよね。

先日、ほぼ日から発売された「岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた。」を、少しずつ読みすすめている。

まだ読み始めたところなので、読み終えたらまた感想を書きたいけれど、本を手に取って、ぺらぺらとページをめくったときに、こんな言葉に出会った。

おもしろいゲームというのは、遊ばずに観ているだけでもおもしろい。

本当に、本当に、その通りだと思う。


幼いころ、わたしは姉とふたりでファミコンで散々遊んだ。ファミコンがいつから家にあったのかは覚えていないけれど、幼稚園か、小学生か、その頃から和室のテレビにつながれていた。

ファミコンの本体と一緒に、「ゴルフ」と「ルナボール」(ビリヤードのようなゲーム)のカセットがやってきた。その後どういう順序でカセットが増えていったのか覚えていないけれど、「バイナリィランド」「スパルタンX」、そして「スーパーマリオブラザーズ」。少しずつカセットの種類は増えていった。姉が友達からカセットを借りてきて「アイスクライマー」や「マッピー」などでも遊んだ。

姉がⅠコントローラーで、わたしはⅡコン。姉がマリオで、わたしはルイージ。この順番は絶対だった。「目が悪くなるといけないから」といって、テレビからファミコン本体のコードを目一杯まで伸ばして、ふたりで並んでゲームをした。

わたしはまだ幼かったこともあって、ゲームは下手だった。細かいボタン操作に指が追いつかない、というのもあったかもしれない。ジャンプの動作の時には、わたしも座布団に座りながらぴょんと飛ぶような姿勢になったり、攻撃を避けるために身体が右左にかたむいたりしていた。身体が動いてしまうため、ときどきコントローラーを大きくひっぱって、姉に怒られたりもした。

「スパルタンX」なんかは、わたしはあっという間にやられてしまった。次々と向かってくる敵をキックやパンチで倒せなくって、あっという間に身動きが取れなくなる。一度もボスまでたどり着いたこともなかった。「ワッハッハッハッ……」と最上階にいるボスの笑い声ばっかりが耳に残っている。

しかし、姉はすごく上手で、次々中ボスをクリアしていって、階段を登っていった。

わたしは姉の右隣に座っていて、ゲームが進んでいく様子をただじっと観ていた。けれど、それは全然つまらないことじゃなくって、むしろ楽しかった。姉が次々にクリアしていく様子を見るのが、本当に楽しかった。

「スーパーマリオブラザーズ」は家族全員で楽しんでいた。

我が家のルールとして、「子供は夜、テレビゲームをしてはいけない」というものがあった。夕食が始まる7時ごろまではゲームしていても良いけれど、夕食後はダメだった。遊び始めるとキリがないし、どこかでやめなくちゃいけないのもわかっていたので、「もうちょっと遊びたいなあ」などと言いながらも片付けていた。

しかし、ある朝のこと。姉が「お父さんとお母さん、夜中にマリオで遊んでるんやで!」と、やや不満げな口調でわたしに伝えてきた。

姉は一旦眠った後に目が覚めて、トイレに行きたくなったらしい。寝室は二階にあり、トイレは一階にある。階段を降りていくと、階段を降りてすぐの和室で、父と母はマリオに夢中だったという。「お父さんな、あ、見つかってしもたって、言うてたわ。うちらにバレへんようにやってたみたい」と、姉は教えてくれた。

父は「マリオの裏技を職場で教えてもらってきたから、試してみたかった」とちょっと恥ずかしそうに白状した。母も、「お父さんは仕事から帰ってくるのん遅いんやから、夜しか遊ばれへんやろ?」とちょっと言い訳がましくフォローしていた。

姉とわたしは「えーずるいー!」と言いながらも「マリオの裏技ってどんなん?」と、父の仕入れてきた情報に興味津々だった。当時の私たちの腕前では8−4までたどり着くことなんてできなくて、ゲームが上手な姉ですら「このゲームは一生クリアできひん」と、なげいていた。キノピオは救えても、ピーチ姫はずっとクッパに捕まったまま助けられへんなあと、ゲームを片付けるたびに言い合った。

父が教えてもらってきた裏技は3−1でできる「無限1UP」だった。初めて聞いたときは「そんなんできるん?」と不思議だった。父も母も「全然うまくできひん。ほんまにできるんか分からん」といっていた。

一度、みんなで「無限1UP」の練習をしてみようという話になった。その日は「特別やで」といって夕食後にみんなで和室に集まってマリオをした。家族4人で順番にコントローラーを回していって、みんなで練習したのを覚えている。その時、わたしは上手くできなくて「見てるだけでいい」といって見てたのだけれど、みんなで揃ってゲームをした雰囲気や、成功した瞬間の「うわーできたー!」という喜んだ様子がすごく楽しかった。

岩田さんが制作に携わっているゲームで思い出深いのは「バルーンファイト」と、「MOTHER2 ギーグの逆襲」(スーパーファミコン)だろう。

「MOTHER2 ギーグの逆襲」にいたっては、わたしの人生の支えになったと言えるゲームだ。今でも2、3年に1回は遊びたくなるのでバーチャルコンソールで購入し、3DSで遊んでいる。

自分でプレイするのはもちろん楽しい。けれど、ただ側で観ているだけでも楽しかった。わたしにって任天堂のファミリーコンピューターは、そのゲーム機器の名前通り、家族で遊んだ楽しい思い出が、たくさん詰まっている。



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