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三元的オリジナリティ

何かを創作するとか、研究するにあたって、おそらく最も価値を置かれるのが、オリジナリティ(独創性)。
新しいものを創り出すことに関わったことがある人であれば、誰でもその大変さを感じたことがあるでしょう。

僕は、そもそも完全なオリジナルはないと考えています。

それは、「もうこの世にはオリジナルが生まれ得ないほどのコンテンツが出揃っているから」ではなく、
「自分のオリジナリティを支えているのは他者であるから」です。

どれほど奇抜な発想でも、そこに至るまでには必ず他者の考えが影響しています。
だから、究極的には、自分から生み出されたものは「これまでに自分が受けた影響の結晶」です。

無から有の質的変換、過去からの一切の断絶がない限り、自分という存在は連綿と続く歴史の一点に過ぎません。
そういう意味で、完全なオリジナルはないと思うのです。

しかし、だからといってオリジナルが生まれ得ないかというと、そうではない。
その方法論が、組み合わせの妙です。

たとえば小説の主人公を考えたときに、「探偵である」というたったひとつの要素を使ってオリジナリティを出そうとしても難しい。
そこで、「ボディビルダーである」などの第二の要素を加えることで、一気にオリジナリティが出る。
使える要素の数は限られていても、それを組み合わせることで、莫大な選択肢が生まれます。
ここにさらに「魔法使いである」など第三の要素が加わったとき、そのオリジナリティは盤石なものになる。

三点あれば平面が定まるように、僕は組み合わせにおいても三つが最も安定するのではないかと考えています。
当然、実際には無数の要素が絡むことになるし、あえて「三」という数字にこだわる根拠もないのですが、
二では少なく、四以上では多い、という感覚で言っています笑

ただ、やはり二点の組み合わせの方がわかりやすく、印象に残るような気もします。
そのあたりは、また本格的な創作論にお任せということで……。

さて、ここまではオリジナリティの話でしたが、僕はこのことは個性にも通じるものがあるのではないかと考えています。

経験上、個性について悩んでいる学生は多い。

「得意な教科は?」「強みは?」「長所は?」

大学入試や就職試験で問われる、個性。

「数学が得意だといっても、学校の平均より少し上レベルじゃ個性とは言えない……」
「部活で頑張ってレギュラー取ったけど、県大会止まり……」
「協調性はある方だけど、自分より陽キャはたくさんいる……」

他人と比べて悩む時期はきっと誰にでもあります。
そういうときは三元的に考えてみるといいかもしれません。

数学が得意で、部活でレギュラーで、協調性がある。

こうした人はなかなかいません。

ビジネスに代表されるように、「どれかひとつ」で勝負することが必要な場面もあります。
しかし、現実は必ずしもそういう場面ばかりではない。

一つでダメなら二つで、二つでダメなら三つで、三つでダメなら……。
それでもダメなら、一万の個性で立ち向かえばいいと思います。

数学のテストで平均点を取る人はたくさんいるけど、現代文も古典もライティングもリーディングも地歴も公民も物理も化学も……すべて平均点という人は限りなく少ない。

どうか、多くの人が個性で悩まぬように。
個性というのは、結局は他者との関係の中で現れる見せかけのアイデンティティでしかありません。
しかし、それも突き詰めていけば、ありのままの自分、アイデンティティを受け入れることに繋がるかもしれない。
そしていつか、誰もがアイデンティティを個性で語らぬ時代が来るといいなと思っています。

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