見出し画像

定時で帰れない先生の実態

悲しいことに、教員がブラックだということは今更言う必要もないほど知れ渡っています。
過酷な長時間労働で、心身を病んでしまう人も少なくありません。
小・中学校がよく注目されますが、高校だってそれなりにひどいものです。
今回は、長時間労働について、定時で帰れない(もしくは帰らない)先生の実態を、僕の経験に照らして考察してみました。

定時で帰れない先生

①忙しすぎる

マジで忙しい人は各学校に必ずいます。
本当に、負担を分散するのが苦手な組織なのです。
仕事とお金は寂しがり屋だというのは本当でしょう。

学校には分掌というものがあり、教員はそれぞれの部に所属します。
教務部(入試や時間割などを担当)
進路指導部(模試や高大接続などを担当)
総務部(式や保護者会などを担当)
生徒指導部(生徒会や特別指導などを担当)
管理部(校内整美や保健などを担当)
……などなど
学校ごとに違うので一概には言えませんが、こんな感じです。

各分掌、大変な時期があります。たとえば、教務でいえば入試や学校説明会の時期。進路でいえば受験の時期、など。
そうした時期には、所属する教員はたいてい皆忙しさを覚えますが、中には繁忙期によらず常にスパークしている人がいるのです。

たとえば、教務主任はたいていいつもスパークしています。抱えている仕事量がとにかく尋常ではない。言うなれば、学校のブレーンです。
また、進路主任も同じ。そして、そうした人の右腕的な人たちも。

彼らの傾向として、抱えた仕事をなるべく他人に振らない、という点が挙げられます。
それは、単に割り振りが下手なのではなく、残念なことに、本当に自分たちだけで仕事を消化するのがベストだと感じているからです。

本来なら、多少面倒でも仕事を割り振り、時間がかかっても若手を育成したり自分の仕事を引き継いだ方がいい。それは、頭では皆わかっています。
でも、周りには
「仕事を覚える気も引き受ける気もない年配」
「引き受ける気はあるけど発展性のない年配」
「すでに逼迫している若手」
ばっかり。

結果、学校内は常に対処療法。継続的自転車操業。
このことについて、管理職は、長期的、根本的な問題解決に取り組みません。なぜなら、彼らは2〜3年で学校から去るから。
大変とはいえ、誰も彼もが「数年の辛抱」に終始してしまう。
忙しい優秀な先生は、じっと息を潜めながら、運よく次の犠牲者が現れるのを待つのです。
そして、不思議なことに必ずその犠牲者は現れる。
なんでだろう。

②部活のせい

これはもう多くの人がそう。
だって部活が始まるのは放課後。早くても15時半。1時間もやったらもう16時半。すぐ定時です。
これはどう考えても制度が時代に合っていないので、どうしようもないっす。
部活については以前触れたので、よければご覧ください↓

③真面目に教材研究してる

これは若手に多いです。
正直、授業のある日中ってろくに教材研究できません。
別の仕事に追われたり、同僚に話しかけられたり。
細切れの空き時間では、到底間に合わない。
すると、選択肢は2つ。まとまった時間を見つけてやるか、そもそもやらないか。

高校の若手にとって、「やらない」という選択肢はほとんどありません。
大多数は真面目な人だし、そこまで自信過剰ではない。
ということはまとまった時間を探すわけですが、それは多くの場合、
生徒が帰った後か、休日になる。

この、生徒が帰った後というのは、部活もすべて終わった後という意味です。
それは、19時に始まるかもしれない。20時に始まるかもしれない。
それに、もし定時に帰ったとしても、その課題は残ってしまう。
つまり、定時に帰ろうが学校に残ろうが、結局仕事をすることになるのです。
学校に残っているのは、特別に仕事の多い人ではなく、ただ「家に仕事を持ち込みたくない」人であることも多いです。

④要領が悪い

稀にいます。
こればかりは地道に成長していくしかないと思ってます。
ただ、要領が悪くても愛される人と、もうただただ嫌われる人がいます。
前者は、向上心がある人。
後者は、人任せ、他責、姑息の気がある人。
こればかりは人間性の問題に関わるので、ここでは深く触れません……。
ただ、いくら時代は変われども、頑張る人を応援する人は必ずいるもの。
ときに効率の悪さが、効率の良さよりも効率よく人を惹きつけることもあるということです(?)。

定時で帰らない先生

⑤時間に無頓着

そもそも、勤務時間を気にしていない先生も結構います。
独身の人や、すでに子どもが自立している年配の人に多いです。
要するに、「帰ってもしょうがない」。

こういう人が、無制限に仕事を抱え込んだ結果、①忙しすぎる人に変貌することもままあります。
また、こういうタイプの人はよほど意識しないと他人の時間にも無頓着になりがちです。
そうなると、巻き込まれる人も出てきてしまうし、自分の成果が膨大な残業の賜物だということを忘れ、他人より優れているのだと勘違いしてしまう。

僕は、時間を区切ることには、心身の健康を守る以上に、「仕事の効率を向上させる」とか、「他者を尊重するようになる」とか、もっとメタで大切な意味があると思います。
そういった意味でも、だらだらと職場にいるのはよくない。
スポーツだって、時間制限があるからゲームが成り立つのです。

⑥学校の私物化

これは本当によくないと思います。
学校に、漫画、簡易ベッド、コンロ、炊飯器などを持ち込み、冷蔵庫や電子レンジなどの備品を我が物顔で使い、風呂は近くの銭湯や学校のシャワーで済ませ、深夜まで空調のきいた部屋で過ごす。
嘘だと思うでしょう?
マジでいるんですよ……(ごく少数)。

⑦仕事と趣味の境界が崩壊

化学大好き! ずっと実験の準備をしている先生。
軽音部の顧問で、ずっとギター弾いてる先生。
割といるタイプです。

そうでもなきゃやってられない人もいるかもしれませんが、「それは仕事なの?」と聞かれたら答えに詰まる先生、実は多いのでは。

⑧好きな人がいる

個人的に最も面白かったパターン。
ある年のこと、ある男性の先輩が、部活が終わるタイミングでよく僕のところに来ていました。
他愛もない話のときもあれば、真面目な話のときもありました。
彼は僕のことを気に入って遊びに来てくれるのだろうと思っていました。

しかし! 彼の真の目的は、僕の後ろの席の、女性の先輩だったのです!

それに気づいてからは、僕はキューピッド役に徹しました。

そして翌年、2人は結婚しました。
僕は2人とも好きだったので、嬉しかったです笑

まとめ

世の中には、定時で帰りたいのに帰れない先生がいる。
心身の健康のため、家庭のため、介護のため、一刻も早く帰りたいのに。
そもそも、勤務時間は守るべき、守らせるべきなのに。

根本的な解決方法は、業務軽減、部活動撤廃など、全体のムーブメントが必要ですが、個人でできることも少なからずあります。

まず、時間を区切る意識を強く持つこと。
効率よりも仕事の分散を第一に考えること。
職場に好きな人を作らないこと。

そして、最も重要だと思うのが、教材研究や担任業務をひとりでやらないこと。

教員同士では、教材はとにかく共有するべきだと思います。
ポイントは、自分の方から先に差し出す、もしくは聞くこと。
相手がベテランだろうと若手だろうと、関係ありません。
相手が仲間である限り、手の内を隠して良いことはひとつもないと思います。
共有の精神が、必ず自分を成長させてくれるし、無限に思える教材研究の沼から救い出してくれます。
必要なのは、自分を縛る余計なプライドをへし折ることだけ。

担任業務にしても、誰かと共有しておくだけで「もし自分がいなくなっても、あの人が状況を知ってるからなんとかなるはず」と思えます。
どうしても自分がやらなきゃいけないことは、ほとんどないという事実を知ることが大切です。

一方で、時間を守る意識が希薄な人が多いのもまた事実。

こうした実態を踏まえ、僕は「絶対定時退勤マン」の存在が必要だと考えます。

僕の勤務校にも、絶対定時退勤マンがいました。彼は、どれだけ仕事が残っていても、絶対に定時で帰ります。残った仕事は別の人がやるか、翌日にやることになります。

こうした働き方に賛否はあるでしょうが、僕は応援しています。
全員が同じ意識を持つことは難しい。
しかし、特に教員は、良くも悪くも周りの人に合わせようとする傾向があります。誰かが定時を絶対に守っていれば、そうした働き方の選択肢が生まれます。
絶対定時退勤マンが、周りに与える影響は計り知れません。

いつか、教員はホワイトだと言われるために。

負けるな!
絶対定時退勤マン!
今日もさっさと帰るんだ!

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?