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教員から見た部活の闇

個人的に、学校の仕事で最もギルティだと思うのは、
圧倒的に「部活動顧問」です。
部活の顧問さえなくなれば、病んで休職する人も半減するのではないかと思うくらい。


あなたは、学生時代、何部に所属していましたか。

顧問の先生は誰でしたか。

どの部活にも、必ずいる顧問。
生徒から見ると、一人の人間というよりも、どこか設備の一部のようにも感じられる顧問。
保護者にとっては、どれだけ自己犠牲してくれるかが重要な顧問。


外部委託の流れもありますが、公立高校の現場の率直な感想としては、「まだまだ遠い」です。

ぜひ全力で外部委託の流れを推進していきたいところですが、ここではひとまず、学校の部活動顧問という仕事を、
運動部の主顧問、副顧問
文化部の主顧問、副顧問
そして
技術指導のできる部の顧問、まったくの素人だった部の顧問
これらを一通り経験した一教員として考察してみます。
(公立高校の場合)

時間の闇

これは言わずもがな。
知る人ぞ知る、教員の長時間勤務の原因は、
半分以上が部活関係だと思います。

勤務時間が終わってから始まる仕事、土日にやる仕事って、
そもそも矛盾していませんか。

文科省やら教育委員会やらが、何かもっともらしい根拠を示したとしても、もともとの仕組みがおかしいとしか思えません。

しかし、おそらく全ての先生が、これを甘受して、つまり勤務時間外の苦行を承知の上で教員になります。
それは、教員になる人たちが、かつては生徒として、こうした部活の仕組みに馴染んでしまっているからです。

そして、地味にきついのが、生徒の自主練、居残り練。

運動部だけでなく、文化部でもありますが、
ひとりでも生徒が学校に残っている限り、顧問は帰れません。

一生懸命やっている生徒に、

「一生懸命やるな」

とはなかなか言えない。これはマジで闇。


選べないという闇

ほとんどの教員が、何かしらの部活を担当しないといけません。
どの部活の顧問をやるかは、基本的に教員が選べます。
しかし、残念ながら、ここで発動する禁止カード級の切り札が……

年☆功☆序☆列

たとえば、新卒の教員は、
よほど専門性が高いとか、その学校の管理職が勇者とかでない限り、余った部活に放りこまれます。

何年も教員をやっていると、「ゴネる」というカードを切ることもできますが、
初任ではなかなかできません。

まったく興味のない競技等を担当すると、
しかも、「自分にはもっと向いている部がある」と確信しているのにそうなってしまうと、想像以上にストレスです。

なぜなら、生徒や保護者にとっては、その顧問がプロレベルの指導者であれ、まったくの素人であれ、

「自分たちが挑戦している競技等について、直接関わる責任者」

であることに変わりはないからです。

競技等への無関心が、転じて「生徒自体への無関心」として捉えられてしまうと、関係性が破綻します。
人間関係の悪い部活は最悪ですが、部活というコミュニティはえてしてそうなりがちです。しかも、その責任者の目がほかの部に向いているとき、最悪は底を破ります。

唯一の成功パターンは、「顧問が人格者で、かつ努力していることが周囲に伝わっている」場合。
自分が未経験の競技等でも、積極的に取り組んだり、生徒と一緒に技術を学んだりしようとする顧問は、やはり好かれやすいです。

ただ、これが結構大変です。
本気で新しいことに取り組もうとすると、時間と労力を鬼のように消費するし、うまく手を抜こうにも他者の目は思っているより鋭い。
ハリボテの努力はすぐに看破されます。
これはだいぶ闇。


コーチという闇

自分に専門性のない部活を担当したとき、
救いとなるのが外部コーチの存在です。
技術指導はコーチに任せて、顧問は試合の設定やその他の事務的な業務に徹するというやり方もあります。

しかし、これですべてうまくいくわけではありません。

部活で最も厄介なことは、技術ではなく、「人間関係」です。

コーチを入れるということは、部活内の人間関係に「ひと手間加える」ことにほかなりません。
これがいい味を出すか、全体を台無しにしてしまうかは、結果を見るまでわかりません。
僕はどちらのパターンも見ましたが、
いずれにせよ、顧問には「調整」の負荷がかかります。

「こんなことなら一人でやる方が楽」

という声も多いのが現状です。

当然、生徒や保護者も含めて満足度の総和を考えるべきではありますが、
外部コーチの導入は、やり方によっては毒にも薬にもなるということは押さえておかなければなりません。

後述しますが、外部委託の場合も「徹底的に」委託しなければ、同様の問題がおきます。

年長の熱血コーチの評価が、生徒や保護者の間で割れたときのいたたまれなさは、めっちゃ闇。


部活種ごとの闇

部活も、種類ごとに特徴があります。
競技等の、ではありません。
顧問コミュニティの、です。
ここからは完全に独断と偏見ですが、なんとなく聞きかじったものを含めて、知っているものをいくつか例を挙げていきます。

野球
マジでやばい。野球やってきた人にしかわからない文化がある。別の民族。高野連はたぶん別の国家。

バスケ
体育会系であることは間違いないけど、そんなにやばくはないイメージ。

バレー
やばい。暴力がないか心配。

陸上
結構理不尽が多い。同僚がめちゃくちゃ険悪な感じになってた。

バドミントン
ゆるゆるに見えた。

テニス
ゆるゆるに見えた。

ハンドボール
マイナー根性で熱いイメージ。

ダンス
そもそもコミュニティがない。

吹奏楽
音楽の先生が多いこともあり、吹奏楽の顧問であることが「異動」の理由になる。芸術系はみんなそう。

軽音楽
世間に認められるためにしっかりやろう、というイメージ。


当然、ほかにもいろいろありますが、
個人的には

メジャースポーツほど

闇深し。


息抜きという光

部活は何も闇ばかりではありません。光の一面もあります。

たとえば、息抜き。

教材研究、テスト作成、採点、面談、保護者対応、各種会議、さらにはプライベートでのあれこれで疲れたなーというとき。

部活に出れば、少し息抜きになります。


……いや、帰って休んだ方がいいだろ!

と思ってしまった。


絆という光

これは真面目に部活で得られる唯一のメリットです。
部員といい関係を築けたとき、それは仕事の上でかなりのアドバンテージになり得ます。

たとえば、ホームルームを運営するにも、授業をするにも、廊下を歩くだけでも、
そのことが心の支えになり得ます。
担当している学年以外にも顔がきくようになります。
そして、彼らが卒業した後は、かけがえのない友人となることもあります。
これが、僕の考えるほとんど唯一の部活の光です。

部員と信頼関係を築くには、「頻繁に部活に顔を出す」のが鉄則です。
生徒との間の信頼関係とは、大人の世界の信頼関係とは少しニュアンスが違います。
大人同士では、年齢や立場、仲介者、実績など、その人を取り巻く環境が信頼として扱われますが、
対生徒で重要なのは、「時間」です。
どれだけ一緒にいたか、長く接したか、あるいは、どれだけの時間を自分たちに「投資」してくれたと感じるか。
このあたりが大きいです。

部活に顔を出さなければ、その分ほかの仕事にも手が回ります(監督責任があるので帰れはしません)が、
生徒にとっては「いつもいない人」になってしまう。
ここのバランスをとるのが重要です。

ただし、わきまえなければならないことがいくつかあります。

一部の生徒と信頼関係を築けたと感じると、何をするにしても彼らに頼ろうとする先生がいます。
授業中の指名や、掃除の当番、荷物運びなどを、一部の生徒だけにやらせる。しかし、一部の生徒に寄りかかっても、良いことはひとつもありません。
ほかの先生や生徒、もしくは当の生徒たちからも、白眼視されるだけです。
そして、いくら仲良くなったように思えても、関係はあくまで教員と生徒です。生徒同士とは違うということを意識しておかないと、一転してめちゃくちゃ闇に落ちます。


部活がなくなると困る人たち

僕から見ると、部活の顧問という仕事はこのように巨悪なのですが、
これがなくなると困る人たちが一定数いるのも事実です。

生徒? 保護者? 国?

そういうのもあるかもしれませんが、僕がこの記事を書いているときに念頭に置いていたのは、

「部活をやりたい先生たち」

の存在です。

僕は「教員は授業だけがいい派」なので、余計にバイアスがかかっているかもしれませんが、
はっきりいって、特に授業に関して、
ちょっと残念な教員が多すぎます。

若手ばかりの話ではありません。むしろ主にベテランの話です。

教員の業務過多が問題となっている昨今ですが、業務に優先順位をつけるとしたら、
満場一致で「授業」が最上位にくるでしょう。
教員にとって、授業をどうするかが一丁目一番地なのは疑いようがありません。

もし、部活が学校からなくなると、
教材研究に充てられる時間が増えます。
すると、若手はそちらに集中できます。
しかし、ベテランの「部活ばかり先生」は困る。
多くのベテランは、柔軟性を欠き、もう勉強のできない体になってしまっているからです。
このことについては、また別の機会に考察したいと思いますが、

実は、これが本当の闇かも。


まとめと実体験

今回は、教員視点から部活の闇と闇と闇と闇と僅かな光を考察してみました。
なんとなくまとめると、部活の闇を祓うには、

【時間】自分が担当する日は、やる気のある生徒も鉄の意志でさっさと帰し、
【選べない】やりたくないと思った仕事は鋼のメンタルで拒絶し、
【コーチ】必要であれば超優しくて穏やかなコーチを雇い、
【部活種】メジャースポーツからは距離をとり、
【関係性】生徒との距離感を見誤らず、常に一線を引いておく

ことが必要です。
さらに、上記に加え、実際には些末な事務仕事が山のようにありますから、IT化も必須だと思います。

また、顧問問題を語る上でもう一つ重要な鍵を握るのが、

副顧問の存在。

コーチ問題と重複する部分もありますが、主顧問と副顧問との関係も、人によっては闇かもしれません。


どうにも闇深く見える部活動顧問という仕事ですが、
ほとんどの先生にとっては、実はそれほど苦ではないのです。

ほとんどの、ベテランの先生にとっては。

経験豊富であり、先述した禁止カード「年功序列」をいつでも切ることができるベテラン勢にとっては、
嫌な仕事は断り、若手に押しつけることができます。
子育てが一段落つき、家にいるより外にいたい人、仕事をしていたい人にとっては、土日の出勤もそれほど……です。
もちろん、ベテランの先生が全員それほど図太いのだというわけではありませんが、
力の抜き加減を知っているというか、省エネ(惰性)で乗り切れるというか、
教員としての経験値の違いが、部活の闇に押し潰されないための最大のポイントだと思います。
こうした事情があるため、権利を強く主張できる人にとっては、部活動顧問も一応「どうとでもなる問題」ではあるのです。

ここまでいろいろ書いてきましたが、僕自身、学生時代の部活の経験は、人生の大切な一部になっています。
しかし、教員になってからダークサイドを体験し、部活に対する見方が変わりました。

僕の部活動顧問経験で最もきつかったのは、
未経験の運動部の副顧問です。
右も左もわからない初任時代、文化部の主顧問と兼任で、土日は試合等で潰れていきます。
その競技に興味が持てればまだよかったのですが、忙殺され、そんな心のゆとりもありませんでした。
僕の場合は副顧問でしたが、多くの先生が、興味もない部活の主顧問をやらされていることを考えると、同情を禁じ得ません。

逆に、顧問をやっていてよかったという経験もあります。
学生時代から続けているものを担当しているときは、趣味の延長のような感覚もあり、
部として何か成果が出たときは、年甲斐もなく心躍るような気持ちになり、
ぶつかりながらも、信頼関係を築くことができた生徒の引退や卒業式は、感動もひとしおです。
それに、卒業後も付き合いのある生徒というのは、やはり担任していたクラスか、顧問をしていた部活で関わっていた人たちです。
部活で苦楽をともにした経験が、卒業後の友人のような関係を可能にしているのだと思います。

このように、教員から見た部活も、すべてが闇だというわけではありません。
そして当然ながら、日本の学生にとっては大切な文化にもなっていますし、
子どもたちの経験の幅を広げることや、スポーツ、芸術といった各分野への橋渡しといった意義はあるでしょう。


……とはいえ。

もう、部活は外でやってくれ

というのが本音です。

AI時代に突入し、これからますます変化を求められる、「授業」の在り方。
そっちに集中させてほしい。

ここでいう「外」というのは、学校の「敷地外」という意味ではありません。
学校の「管轄外」という意味です。
習い事と同じように、学校とは別の機関、団体のもとで活動すればいい。

夜間の体育館開放のように、施設や設備は学校のものを使えばいいと思いますが、
外部の機関をただ「学校」に招き入れるやり方ではダメです。
それでは、結局のところ監督者としての顧問が必要になってしまいます。
部活の存在を、「学校の仕組み」から追い出さなければ。

予算の問題もあるでしょう。
習い事のように個人が負担するのか、各学校、都道府県、国が負担するのか。
施設や設備、大会の在り方なども含め、課題は多いと思いますが、
なんにせよ、教職全体を覆う部活の闇が、一日も早く晴れるよう、願うばかりです。

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