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今、信頼

僕は物語が好きです。
幼い頃から物語を聞き、読んで育ってきました。

そして今は、人間とは「物語る存在」であると考えるまでになり、
自分でも物語を書いています。

どのような物語が好きかとか、
影響を受けたとか、
そういうのを語るのは
次の機会にして(なぜ)、

今回は、再び訪れた信頼の時代について少しだけ考えてみます。

何かを書こうという意志は、それを他者に伝えたいという欲求と表裏一体です。
当然、どうにかして伝播させたいと考え、あれこれ手段を模索することになります。

現在のところ、僕はKindle出版に興味があります。
それは、言い換えると副業に興味があるということでもあります。

そこで、副業をしている人たちとSNSで交流をしているのですが、多くの人が
「ファンを作る」
ことを大事にしていることが見えてきました。

これには、商品の差別化の難化、新規顧客獲得の難化など、さまざまな理由がありそうですが、
僕の中では、以前読んだ岩井克人の本に書かれていたことと重なりました。

ここで、「貨幣」がモノであることがひじょうに大きな意味をもってくる。貨幣として使われているモノに価値があるということを、すべての人間が信じていれば、貨幣の交換にはいわゆる人と人のあいだの「信用」というのがいらないんです。(中略)貨幣的な交換の場合、「貨幣」というモノが価値があるのだという「信任」さえあれば、人間がべつの人間と直接的に信用関係を結ぶことがなくても、交換なりコミュニケーションなりが可能になるんです。ですから、ここで人間と人間との関係は直接的なものにはならない。かならずモノを媒介とする間接的な関係になります。いや、間接的な関係であるから、逆に、関係が一般的に可能になるんです。

岩井克人『資本主義を語る』ちくま学芸文庫、1997年

現金に重みがあり、そこに価値があると人々が共通して信じているからこそ、
これまで売買の主眼はあくまで現金と商品の交換に置かれ、
買い手と作り手(売り手)との関係はベールに包まれていた。

そもそも売買行為とは交換行為なわけで、交換には原則として相手がいて、
本来はそこに信頼関係がないと成り立たない。

こちらがブルーアイズを出しているのに、平然とワイトを提示してくる相手とはトレードできない。

……すみません、例がエモすぎました(ピンとこない方は完全にスルーしてください)。
ともかく、相手が詐欺師だとわかっていたら、何かを交換する気にはならないですよね。
しかも、彼我で価値観が共有されているかどうかをいちいち確かめていたら、現代の生活は立ち行かない。

ところが、「貨幣」さえあれば、相手と価値観を共有する必要もなく、もはや相手が誰だかわからずとも、交換が可能になる。
「貨幣」が共通の価値を定めるからです。
交換に必要な信頼は、こうして「貨幣」が担っていた。

ただし、これはもちろん錯覚です。
よく見てみてください。多くの人が一万円の価値があると信じているその紙幣は、ただの紙です。
この錯覚を起こさせるのに、それが目に見え、手で触れられるモノであることが一役買っているのだと、岩井は言っているわけです。

しかし、現金というものをほとんど持ち歩かなくなった現代、お金というのはただのデータ、数字でしかない。
だからといってデジタル通貨や電子マネーの価値への錯覚がなくなるわけではありませんが、
着実に、お金の価値というものに実感を抱きにくい時代になっています。

高価なモノを買っても、安価なモノを買っても、必要な労力は購入ボタンのクリックとか、バーコードを読み取るだけ。
減るのは画面上の残高の数字だけであり、現金を手放すときの痛み、何か大切なものを失う感覚には程遠い。
金銭的な価値はもはや概念に還元され、商品価値の良否判定の中心的存在ではなくなっている。

この、金銭的価値に「実感を抱きにくくなっている」ことが、非常に気づきにくいのですが、重大な変化です。

今、高級ブランド品よりも、実用的なものとか、体験型のサービスの方に人々の関心が寄っているのも、こうした背景があるように思われます。
この時代の趨勢において、「高額だから良い」という価値観が薄れていくのは必然かもしれません。

僕は、この「貨幣」の不可視化によって、
我々の価値観の重心が「相手は誰か」に寄ってきているのではないか
と考えています。

この人が言うなら。
この人が作ったなら。

作り手(売り手)は、買い手にそう思わせることが重要になってくる。
つまり、「ファンを作る」ということです。
YouTubeの投げ銭もそうだし、このnoteのサポート機能もそうですが、
今はまさに商品よりも人に投資する時代。

こう考え、多くの副業家の皆さんがなぜ「ファンを作る」ことを重要視しているのかが、腑に落ちました。
いかに自分という存在を売り出すかが、商売では重要みたいですね(突然の他人事感)。

ところで、「ファンを作る」にはどうしたらいいのか。

これはすなわち、自分をどう売り込むかということになってくるのでしょうが、
僕は、それこそ物語が鍵を握っているのではないかと思うのです。

その人物の物語が、どれだけ魅力的か。
成り上がりの人なのか、天才肌の人なのか。
共感できる人なのか、ついていきたい人なのか。

物語ですから、すべてが事実でなくても構わない。
自分のどの面を切り取り、魅せられるか。
今、作り手(売り手)にはこうしたことが求められている。

「貨幣」が一手に担ってきた交換に必要な信頼は、人の手に戻りつつある。
貨幣経済によって人の手を一旦離れた、義理や信頼の時代の再興
その黎明期にあって、やはり人間は物語とともにある存在なのだなあと強く感じています。

さて、高金転介の物語はどう展開していこうかな。

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