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保護者からの電話で立ちすくんだ朝のこと

2年生の担任をしていたときの話です。
ある朝、ホームルームで無断欠席の生徒がいました。その生徒は、それまで皆勤で、成績優秀な生徒だったので、余計に不審に思いました。家庭に連絡しようと考えていたところ、まさにその生徒の父親から学校に連絡が入りました。

ひとまず連絡があってよかったと思い、事務から内線を受け取り、朗らかに挨拶をしました。
挨拶を返す、相手の声が寒そうに震えていました。

ーーいや、寒いわけはない、今は6月だーー

冷房がなく、蒸し暑い職員室で、瞬間的にそんなことを思ったのを、今でも覚えています。

しかし。
次の相手の言葉を聞いた僕は、あまりの衝撃に、凍りつきました。

「妻が亡くなりましたーー」


急死だったそうです。
朝食の準備をしている途中に、そのまま……。
詳しい病名は伏せますが、そんなことが誰にでも起こりうるのだという、残酷な現実をまざまざと見せつけられたのです。
愛する人が、目の前で、突然その瞬間を迎える。そのあまりの恐ろしさに、僕は動けなくなりました。

いえ、そんなことを冷静に分析しているのはあくまで今現在の僕で、
当時の僕は、どうしていいかわからず、ただその場に立ちすくんでいただけだったのだと思います。

翌夕に、その生徒の母親の通夜に参列したことが、教員生活で最も悲しい仕事となりました。

高校生が肉親の死を目の当たりにすること、その辛さは想像を絶するし、筆舌に尽くしがたいものでしょう。

僕にとっては、自分勝手な感想ですが、亡くなったのが生徒自身でなかったことが、唯一の救いでした。
生徒の葬式への参列は、あまりにも気が進まない。

最終的に、その生徒はしっかりと自分の進路を叶え、無事に卒業していきました。しばらく塞ぎ込んでいたように見えたものの、最後は明るく振る舞っていました。


肉親との死別という傷が癒えることはありません。それが、何歳のときでも。
僕にもそうした経験があります。
だからこそ僕は、その生徒に対して何か特別なことをしたかったけど、結局何もできませんでした。
支えたい、という思いだけを抱きながら、いろいろと考えた結果、それまでと変わらない態度で接することしかできなかった。
それでよかったのかもしれないし、よくなかったのかもしれない。
何が最善だったのかは、いつまで経ってもよくわかりません。

教員という仕事は、答えのない問題と取っ組み合い続けることなのではないか。

いや、みんなそうか。
誰もがみな、そうやって生きているのだろう。

それでも今回ばかりは、教員って難しい、難しすぎるなあ、としみじみ感じた出来事でした。

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