- 運営しているクリエイター
2021年5月の記事一覧
ココロと命は、二つある。
意を"こころ"と読むらしい。
心の音と書くくらいだから、
心音。鼓動。脈拍。
波動とか言われるものかもしれないけれど、
私にはその感覚がよくわからない。
気になって調べてみたら、
意の成り立ちは、音の心ではなく、
言から派生した文字らしい。
諸説あるようだが、
言は、聞こえる声。
意は、聞こえない声。
言は、神への祈り。
意は、神からのお告げ。
ココロの声が聞き取りにくいのも、
自分のも
最低な自分を受け入れる方法があるのなら、知りたい。
死ぬことが怖いのは、
自分を殺してきたからだろう。
嫌いな自分。認められない自分。
許せない自分。愛せない自分。
許可した自分以外は、皆殺しにしてきた。
ただ、生きやすくするために。
きっと、都度、感情と向き合えれば
殺さずに済んだのだろう。
けれど、今もまだ、
私は自分から逃げている。
無意識に自分を庇うから、
後になってみないと気づけない。
仲良くなりたいな、と思う。
けれど、私
死ぬのが怖いのは、一度しか死ぬことができないからかもしれない。
命を使えなかったら、
生きることなんか意味不明だ。
死がチラつく未来と向き合えず、
過去だけを抱え、命を惜しんで、
生きながらえてきた。
これまで、ずっと。
そんな人生を変えたくて、
過去は前世くらいに思って、
前を向くことにした。
毎晩、死んで、毎朝、生まれ変わる。
そんなアーティスティックな生き方をしてみようと思ったら、死霊化した過去に出逢ってしまった。
具体的には、何があったかもう
生きることなんて、死ぬまでの過ごし方でしかないのかもしれない。
死にたくないから、
生きることができなかった。
ゴールは死なのに、
死ぬのが怖いんじゃ、
前を向けるわけがない。
だから、
生きることにも背を向けて、
過去に逃げ込んだ。
命を惜しんで、
無駄遣いしないようコツコツ貯め続けた。
携帯の充電みたいなものだと思っていた。
生まれた時がマックス。
誕生の瞬間が、充電100%。
何もしなければ、じわじわと目減りして行く。
だから、
体にいいものを
あんなにも死が怖かったのは、よりよく生きようとしていたからかもしれない。
私は、死にたくなんかなかった。
もちろん、未だ生きているのだけれど、
いつかであろうと死にたくなんかない。
けれど、いつかは死んでしまう。
死にたくない。
死ぬのが怖い。
だから、生きている。
命を惜しんで、生きてきた。
死なないために。
けれど、
本当に命を惜しんでいたのだろうか?
血圧が高めなのに、
メタボ。運動は気が向いたら時だけ。
晩酌と称しては、嗜む以上のアルコールを飲む。
医
母が亡くなってから、もれなく母と生きてきたのかもしれない。
今にして思えば、
母の死は、私の死だった。
母がいなくなることへの不安。
無理をさせた申し訳なさ。
手遅れになるほど放置した医師への怒り。
惜しまれる若さで死ぬことへの不憫さ。
涙を流す理由はいくらでもあった。
けれど、
あれほど心が乱れたのは、
死の恐怖だったように思う。
母の死によって、
生まれて初めて自分の死を自覚した。
無意識に。
母の死によって人生観が変わったのは、
私自身の死と
母の命は、なにを願っていたのだろう。
母の死が、人生観を変えた。
母のせいではなく、
私が勝手に背負ってしまった。
母のようになりたくなかった。
命を削って、家族に尽くして、
惜しまれて、死んで行く。
そんな人生は嫌だった。
たぶん、死が怖かったのだろう。
身近な人の死は、母が初めてだった。
みんなに惜しまれて、
みんなに見送られて、
愛されて死んでいったのだから、
幸せな人生だったとも言える。
自分の人生を生きた
とは言え
命を使い切って死にたいと思う。
結論から言うと、そういうことになった。
もちろん、精神世界においての話。
許して。愛して。死にたい。
いつからか、
そんな物騒な声で起こされるようになった。
最初の頃は、不可解だった。
生きることが、面倒くさい。
なんて思うことは茶飯事だったけれど、
実際に死にたいなんて思ってなかった。微塵も。
次第に、怖くなった。
ついに精神がヤバいことになってしまった。
いつか本当に死んでしまうので
なにもない今日に潜む贅沢。
もしも、
今の自分が相応しいと思っていることが、
未来になるのだとしたら…
現実は、過去からのギフトだ。
いいことがあったら、過去に感謝し、
嫌なことがあったら、過去を労う。
なら、過去が記憶されるのは、不確定の未来を選択をするためのデータだろうか?
仮に、過去が未来予測のためのデータの蓄積に過ぎないのなら、過去を悔やんだり、恨んだり、羨んだりするのって、時間の無駄でしかない気がする。
愛であるはずのもの。
ふと気づいてしまった。淋しさに。
あ。そっか。
私、淋しかったんだわ。
ずっと…?
涙が滲んだ。
通勤途中だったから堪えたけれど、できることなら溢れるままに、大泣きしたかった。
そのくらい淋しかったわけではない。
無自覚だった淋しさへの、なんだろう?
感謝でも、懐かしさでもなく、オマージュっぽいなにかだったように思う。
淋しいという気持ちは、不定期にやって来るし、珍しくもないのだけれど
全てを赦すことができたら、それが罪ではなかったと気づくだろう。
私は、執念深い。
認めたくはないけれど、我が強いし、思い込みも激しい。そんな勘違い人生をなんとかしたいと思って、根に持たないよう努力してきたつもりだ。
なのだが、その努力が間違っていたようだ。
例えば、腹が立ったとする。
感情が激しすぎて、思考が働かなくなる。
ムカつく。あいつ、おかしい。間違ってる。
なんで気づかないんだ。バカじゃない?
毒づくこと、マシンガンの如し。
もちろん、大人なの
お金持ちでなくても幸せに生きられそうだけれど、やっぱり幸せなお金持ちがいい。
負け犬なので、吠えてみる。
例えばの話。お金持ちになることが、人生における勝者なら、私は間違いなく敗者だ。
今、この瞬間、全世界にあるお金は有限だ。
お金持ちになりたいと思ったら、限りのあるお金を奪い合う以外にない。
なら勝者とは、奪い合うんスキルの高い者。
あなたが勝者なのは、周囲に私のような敗者が存在するから、ではないのですか?
自分よりも愚かで、物事を理解できず、いいなりになる敗者だ
現実を変えたいなら、価値観を捨てればいいのかも。
お金も、豊かさも、贅沢も、簡単に手に入る。
なんて思えたらいい。
そう願うのだから、お金も、豊かさも、贅沢も、苦労しなければ手に入らない現実を生きているということ。
確かに、稼ぎは少ない。もっと稼ぎたい。
とは言え、食べることに困ってはいない。
果たして、私は貧しいのだろうか?
今の自分を不甲斐ないと思う自分がいる。
認めたくない。満足してはいけない。
私は、こんなものではないはず。
な