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命を使い切って死にたいと思う。

結論から言うと、そういうことになった。
もちろん、精神世界においての話。

許して。愛して。死にたい。

いつからか、
そんな物騒な声で起こされるようになった。

最初の頃は、不可解だった。

生きることが、面倒くさい。
なんて思うことは茶飯事だったけれど、
実際に死にたいなんて思ってなかった。微塵も。

次第に、怖くなった。
ついに精神がヤバいことになってしまった。
いつか本当に死んでしまうのではないか?
まさか、自ら死を選ぶつもり…??

そんな恐怖と不安で目覚めるものの、
いざ一日が始まって見ると、
全然死にたいなんて思えないのです。

それが、ずっと謎だった。

生きることに向いているとは言えない。
人付き合いは下手だし、
お金を稼いだり、掃除をするのは、
面倒でしかない。

だからと言って、
別に死にたくなんかない。
むしろ、死ぬ方が怖い。

そんな矛盾する「声」と「思い」に戸惑い、
次第に慣れて、他人事のように
聞き流すようになってきた頃。

ありのままの自分で生きることを願いながら、
そんな自分が許せず、憎んでいたことに気づく。
めでたく自己受容。

みたいな流れがあり、
次第にその声で目覚めることは
なくなっていった。

結局、なんの声がわからないまま、
忘れた頃に、時々、声をかけてくる。

許せない自分、愛せない自分がまだいるのかな。死にたいという声で気を引いて。
メンヘラ気味の重い彼女みたい。

そして、それがありのままの私だった
というなんとも残念な結末。

あのメンヘラな台詞は、心の声でした。

そう思っていたのどけれど、
心というより、命。
声というより、叫び。

あれは、命の悲鳴。悲願。
命の悲しみだった。

自分では許すと決めたはずなのに、
拭えない罪悪感みたいなものがある。

何を許されたいのかさえわからない。
心の奥底にあって、理由も原因も不明で、
正直、私が償わなければならないものかさえ、
わからない。そんな罪。

それが罪だと定めた価値観。
それを罪であると採用している私。

なにかが間違っていて、掛け違っていて、
別に許される必要すらないもの
なのかもしれないとさえ思う。

けれど、
理由がわからないから、
価値観を書き換えることも出来ず、
償うこともできない。

ただ苦しいだけ。

もちろん、道理から外れたことをしたまま、
忘れてしまっただけかもしれない。

でも、それって、どちらにしても、
もはや私には裁けない領域
じゃないのだろうか?

なら、許されるかどうかは、死後の話。

最後の審判的な裁きの場で、
神さまなり、仏様なり、
私が死ぬ時に信じている死後の世界によって、
裁かれることになるのだろう。

だとしたら、
今、罪の意識に苛まれても、やりようがない。
かと言って、許されないまま生きるのは辛い。

なら、もう償ってしまえばいい。
私が持っている一番大切なものと引き換えに。

命を持って、償ってしまえばいい。

与えられた寿命がいつまで続くのか?
私にはわからない。
だからこそ大切に惜しんで、養ってきた。

けれど、このままでは、
命を大切にすればするほど、
辛苦が長引く。生き地獄だ。

そういうことだった。
苦しいのは、命を惜しんでいたから。

命はもちろん大切だけれど、
苦しくなるほど惜しむのは、
理から外れているサイン。

つまり、命は、本来、使うものだろう。

もちろん、使いすぎて、
削ってしまえば、辛くなる。

快い気持ちでいられる範囲が、理。
本来の命の有りよう。

さて、どっちにする?

大切な命を使って償ってしまえば、
寿命は短くなるかもしれないけれど、
心晴れやかに生きられる。

苦しみが長引く世界。
短くても明るい世界。

私の命は、どっちを望んでいるのだろう?

命を惜しんで、許されず、苦しんで、
命を使えず、愛されず、淋しくて、
そんな哀しい人生のまま、
許されず、愛されず、死んでゆく。

それが、これまでの人生。
死ぬまで続けるつもり?

問われていたのは、別の選択。
命が望んでいるのは、過去にはないもの。

ちょっとは使ってみたら?
どうせ死んでしまうのだ。

惜しまず、命で償ってみればいい。
命を使って、尽くして、愛してみたらいい。
そしたら、愛されるかもしれない。

どうせ私は死んでしまうのだ。
私の命なのだから、
惜しまず、自由に使ってみたらいい。

許されて、愛されて、生きてみればいい。

理に命を委ねて、
明るく清らかに朗らかに生きて、
命を使いきってから、死にたい。

使えないまま死んじゃったら、
それこそ宝の持ち腐れ。
もったいない人生だよ。

無駄だけど、贅沢な人生ではない。
惜しい人生だ。

私は、贅沢に生きたい。
限りある命を、
常識や一般論や他人の為ではなく、
自分が望むように、自由に使ってみたい。

命を全うしたい。

それが、命の願い。


許して。愛して。死にたい。

許されたいわけでも、
愛されたいわけでもなかったのかな。

もしかしたら、
自分も誰かも、この世界そのものを
許して、愛して、生きてみたかったのかも。

そうやって、命を使い切って死にたい。

それが、私の命の願いなのかもしれない。

なかなかに壮大な願いですね。

私に相応しいかどうか…

綺麗事でごまかしている?

それでも、命を全うする人生は、楽しそう。
そうなれるといいな。

 fumori 

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