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母の命は、なにを願っていたのだろう。

母の死が、人生観を変えた。

母のせいではなく、
私が勝手に背負ってしまった。

母のようになりたくなかった。
命を削って、家族に尽くして、
惜しまれて、死んで行く。
そんな人生は嫌だった。

たぶん、死が怖かったのだろう。
身近な人の死は、母が初めてだった。

みんなに惜しまれて、
みんなに見送られて、
愛されて死んでいったのだから、
幸せな人生だったとも言える。

自分の人生を生きた
とは言えないかもしれないけれど、
家族を自分の居場所としていたなら、
命を削ることは、私が思うほど
苦痛ではなかったのかもしれない。

命を縮めることになっても、
自分で使うと決めて、使ったのだろうし。
母はそういう人だった。

無理をしたのは、自覚がなかったのかも。
そのくらいずっと無理をしてきたということ。

気を張って、家を守っていた。
命を削ってまで。

母の命を使うほど、
価値のある家だったのだろうか?

私には、そうは思えない。今も。
少なくとも、私自身にそんな価値がある
とは思えないもの。

命を削るくらいなら、
命を惜しんで、生きていて欲しかった。
大盤振る舞いなんかしなくてよかった。
もっとケチケチ使ったらよかったのに。

人生を背負わせないで欲しかった。
まぁ、勝手に背負っただけだけど。 

母親と娘のままだった。
もう少し大人になるまで、
見守っていてほしかった。

命を削るのではなく、
気持ちのいい範囲で、
理の中で、使ってほしかった。

笑顔でいてほしかった。
尽くして欲しくなんかなかった。
ま、私に関しては、
さほど尽くされたつもりはないけど。

はけ口にするほど、溜まってたなら、
いい人ぶらずに、いい親ぶらずに、
生身の素直な母でいてほしかったな。

単純で…

あれ?
母って、どんな性格だったっけ?

ものすごく単純だったってことは
覚えているんだけれど…

グチを言ったら、文句を言ったり、
食事が美味しくなかったり、
掃除が下手なくせに、
突然、塵ひとつないくらいに
ピカピカになっていたり…

掃除に関して言えば、
私以上にグータラだったのでは?

そのくせ、私をルーズだとか言って。
あんたに言われたくない。
という気持ちが、
反発の一因だったのは間違いない。

そんなことではなくて、
母ってどんな人だったのだろう?

シンプル。
計算高くなく、お人好し。
貧乏なくせに、ケチではなかった。
どんぶり勘定気味。

私が見ていた母は、そんな感じ。

でも、違ったのだろう。
命を削るくらいなら、
そういう肝っ玉母さんみたいなふりを
してきたのだろう。
自分が支えなければという使命感?

命を削るからには、
無理があったのだと思う。
理の無い使い方をしていたのだろう。

きっと、母自身には、
削っている自覚は薄かったのかもしれない。
やりがいと錯覚していたのかも。

命の使い方は、難しい。

惜しめば、苦しむ。
削れば、辛い。

心地よくいられる理の範囲を
逸脱していないか、チェックが必要?

慣れてしまえば、
無理もなんてことはなくなるのだろう。
依存的要素があるのかな?

むやみに命を使うのは、
危険なのかもしれない。

ただ、
苦しいなら、惜しんでいる証拠。
辛いなら、削っているサイン。

淋しいなら、使っていないという合図。

なら、命は、
苦しい時、淋しい時に、
使うものなのかな?

私の場合、か。

私の命が願っていることが、
許されることと、愛されることだから。
もしくは、
許すこと、愛することだから。

なら、母の命は、なにを願っていたのかな?

死ぬ前に、叶えられたのだろうか?

母の命は、全うされたのだろうか?

母の冥福を祈る。

 fumori 


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