見出し画像

数学者ポアンカレは哲学も研究していた 著作から思索したこと

ポアンカレの著書は1902年が初版ですが、少しも古くさくない内容です。著書にはカントの理論が引用されおり、哲学にも造営が深かったことが分かります。日本では学問の分野が細分化されていますが、ポアンカレの時代には研究の領域の区分は曖昧だったのでしょう。

ポアンカレは言います。
「すべてを疑うか、すべてを信ずるかは、2つとも都合のよい解決方法である、どちらでも我々は反省しないですむからである。だから簡単に判決をくだしたりしないで、仮説の役割を、念いりに調べてみるべきでる」

普遍的な言葉だと思います。科学の領域だけでなく、ビジネスの領域においても、誰かが言ったことをそのまま鵜呑みにする、逆に頭から否定する、のではなく、原典を調べて自分なりに考察しないと、違うベクトルの方向に進んでしまうことがあります。最近はネットで様々な情報を簡単に得ることができますが、その情報が本当かどうかは自分で原典に当たってみるしかありません。

例えば、2つ会社の合併。その手続きはネット上に溢れていますが、きちっと会社法の条文を調べるとネット情報だけでは不足していることがあるだけでなく、合併のプロセスでの経験が血となり身にならず、将来同じ場面に遭遇した時に経験値として活かせなくなります。
最近のネットニュースへの向かい方にも気に留めておく言葉でしょう。鵜呑みにしない、頭から否定しない、と。

数学・物理学の理論・数式は日常的な場面でも当てはまることから、数式から「美」を感じます。

物理に運動エネルギーの数式があります。

画像1

物体の運動エネルギーは、物体の質量と速さの二乗に比例する。 つまり、速度 v で運動する質量 m の物体の運動エネルギー K 。

この数式に加え、エネルギー保存の法則を組み合わせると、ゴルフで言えば、同じスイングでもヘッドが重いドライバーで打つ方が運動エネルギーが大きいので、打ち出した球にエネルギーが伝わり、より遠くに飛ぶことになります。

これは人間関係においても言えます。エネルギー保存の法則における作用・反作用、強く他人に当たると(作用)、その人から同じ強さの反発を受けます(反作用)。
その人が反発せずに、黙ってうなずいた時はどうでしょうか。同意して頷いたのなら、その人の次の行動に向けたエネルギーになります。一方、反論したいのに黙っているときは、「この野郎」というネガティブなエネルギーがその人に溜まります。エネルギーを抑えて弱く人に当たれば(作用)、相手の受け方も弱くなります。

自分の経験として、この人間関係における「作用・反作用」は物理学のようだとずっと思っていました。もちろんポアンカレはこれについて何も触れていませんが、物理・数学の理論の美しさを感じます。

最近、リベラルアーツが声高に言われ、高校の授業では、社会の科目が統合されるようですが、物理学・数学は哲学的でもあり、美術的でもあり、今のように明確に分けていることが人工的で不自然なのかもしれません。

ポアンカレの著書には、しばしばカントが引用されています。純粋理性批判の分析判断や総合判断が登場します。
分析的判断=ある概念のうちに必然的に含まれている性質。例えば「物体には広がりがある」というものです。
分析的判断でない判断を総合判断といいます。物体で言えば、「物体には重さがある」というものです。物体の概念には、重さがあるということは含まれていませんが、経験によって物体に重さがあることを知っています。このように経験によって、本来の概念には含まれていない性質がつけ加えられたものが総合判断、です。
経験によらない総合判断は、先天的総合判断です。数学の定理は例です。数学的帰納法を先天的総合判断の典型だと、ポアンカレは言っています。

この本を読むまでポアンカレがカントを研究していることは知りませんでした。読み進めているうちに、「おや、カント」と少々びっくりしてしまいました。カントの哲学は難解ですが、数学・物理学に置き換えるとカントに近づいた気になります。

この文庫本は1938年に初版が発刊されたものですが、まさに「古典」として物理・数学を学ぶ人だけでなく、その他の人にとっても有益な内容ですし、いろいろ思索をするきっかけとなる本です。

「科学と仮説 ポアンカレ著 河野伊三郎訳 岩波文庫」





この記事が参加している募集

数学がすき

物理がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?