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チェーホフの 『可愛い女』と『すぐり』

チェーホフの音

「可愛い女」という小説には、さまざまな音があふれている。晩年のチェーホフにとって音は特別な意味を持っていたようだ。この小説のなかで、ごろ、ごろ、ごろと「はげしく木を叩く音」が登場する。これによって、主人公の女性・オーレンカは子どもを失うのではないかと恐怖する。
チェーホフはオーレンカの感情や内面を記述する代わりに、彼女の不安をこの音に託している。オーレンカの内面で問いかけが起きるとき、音が表出されて外で鳴るのだ。

チェーホフと島

「島とは陸地の一部にして、四面水にて囲まれたるをいう」。子どもが勉強の復習をしているときの言葉が、オーレンカが口にする最初の自分の意見となる。「可愛い女」が書かれる九年前、チェーホフはサハリン島へ行った。殺人犯、強盗、政治犯が送られる流刑地を取材してまわったのだ。
映画監督のソクーロフは『ストーン/クリミアの亡霊』という映画で、チェーホフの別荘を舞台に彼の亡霊を撮った。ソクーロフは「人々は皆、島に住んでいる。人が住むところは、街であろうが村であろうが島だ。島は地理学的に特定されるのではなく、感覚的に特定される空間である」と言っている。

ソクーロフは、孤島として互いに離れていながら、海底でつながる「島」を人間の生の隠喩としているようだ。たしかに、日本の古い言葉を残す沖縄では、村や集落のことを「シマ」と言う。また、現代でも縄張りを隠語でシマと呼ぶ。
原義的には、シマという言葉は地形的な「島」のことではなく、人々が集まって生活する「共同体」を指し、自分の心根が帰属している「世界」のことを指しているのだ。
「可愛い女」という小説では、オーレンカは「島とは陸地の一部にして…」と口にして、長年の沈黙と空虚を破ることになる。つねに誰かに精神的に従属してきた彼女が、初めて「世界」とそこに生きる自分を意識するようになる瞬間に、媒介となる観念が「島」であるところがおもしろい。 

呼びかけの言葉

「今日は、可愛いオリガ・セミョーノヴナ! ごきげんはいかが、可愛い女?」という一節からもわかるが、「可愛い女」は行き会う人々がオーレンカに呼びかけるときの呼称である。「可愛い女」というタイトルは、この箇所からきているようだ。
原題の「ドゥーシェチカ」は、主に女性に対して使われる「やさしい呼びかけ」の言葉だという。英訳のタイトルでは「ダーリン(The Daring)」となっている。チェーホフ晩年の「いいなずけ」「犬を連れた奥さん」「ワーニャ叔父さん」といった小説は等しく、題名に呼称や呼びかけの言葉が使われている。
一見、「可愛い女」では、自分の考えを持たない「がらんどう」な女を、チェーホフが冷たく突き放してユーモラスに描いているように見える。しかし、その実、チェーホフは彼女にやさしく呼びかけるタイトルを使うことで、オーレンカという無意味で空虚に見える存在を、丸ごと抱きしめるようにして肯定しているのであろう。


「すぐり」

チェーホフに「箱に入った男」「恋について」とともに、三部作を成す「すぐり」という作品がある。この短編のなかで、語り手のイワン・イワーヌイチが話す「弟ニコライの田舎暮らし」には、チェーホフ自身の実人生が反映されているようだ。というより、この弟ニコライはどうやらチェーホフ自身がモデルのようなふしさえある。

『チェーホフ伝』によれば、チェーホフの父親のパーヴェルは食料雑貨店をやっており、ロシア正教の信仰心の厚い人で、しばしば六人の子供たちに体罰を与えた。父方の祖父母は農奴だった。仕事一筋の働き者で、読み書きも算術も独学で覚えて、領主の管理人にまで出世した。そうしてお金を貯えて、自分と妻と三人の子供たちの自由を一人あたり七百ルーブリで買い取った。

チェーホフは農奴だった祖父母の話を聞いて育った。また、父親の子供たちへの愛ゆえに折檻や仕置きする性癖は、農奴時代の領主からされた仕打ちに由来しているようだ。
チェーホフは医者だったが、それだけでは両親と妹のマリア、弟のミハイルらを食べさせられなかったので短編小説を書き続けた。それが家族の生活費になっており、アントン・チェーホフは家長として、常に家族の心配しなくてはならなかった。

田舎暮らし

「すぐり」発表の六年前、三二歳のとき、チェーホフは田舎暮らしを決意する。田舎で暮らせば、家族全体の生活費が安上がりになる。それから、持病の肺病から回復する。そして都会の喧騒や取り巻き連中の訪問攻めから解放され、誰にも邪魔されずに長編が執筆できるだろう、と。

モスクワのアパートを出て、汽車で二時間半のメーリホヴォという村の屋敷に引っ越した。森や庭園、果樹園などを持つ地主となり、ここで七年暮らした。チェーホフはかねてからの夢を実現した。農奴の孫が領主になったのだ。
一家総出で邸の改修作業をし、父は草取り、マリアは野菜畑、ミハイルは畑仕事の監督、チェーホフ自身は果樹園と庭園づくりに専念した。年間で二千ルーブリの売り上げを目指して。小間使いや小作人を雇い入れ、自然豊かな夢の田園生活を満喫した。


兄からの手紙

ある日、田舎暮らしを満喫していたチェーホフに、長兄のアレクサンドルから次のような手紙が来る。「一切合切放り出せよ。おまえの夢の田園生活やら、メーリホヴォを愛する気持ちや、その土地におまえがつぎ込んだ感情や仕事のすべてを。そこは世界で唯一の土地ではない」。
チェーホフの「箱に入った男」「すぐり」「恋について」の三部作は、獣医のイワン・イワーヌイチと教師のブールキンが田舎に猟に出かけたときに語った話、という共通の設定を持っている。チェーホフ自身もモスクワから客が来ると、森に狩に出て、山鴨などを撃っていた。しかし、農奴の孫という来歴を持ったチェーホフには、この夢の田舎暮らしも手放しで幸福と呼べるものではなかったようだ。

絶望感

「すぐり」という作品では、それがスグリを「うまい」と言って食べる弟ニコライの場面にあらわれている。そして、語り手は「長い間の夢を実現した幸福な人間を目にしながら、絶望に近い重苦しい感じ」を覚える。それから、「幸福な人間が安穏に暮らせるのも、不幸な人間がかわりに重荷を担ってくれるから」だと続けて考えるのだ。

「すぐり」におけるチェーホフの口調は辛辣ですらある。「テーブルを囲んで茶を飲んでいる幸福な家族ほど不愉快な見物はない」
「幸福な人びとの戸口に小槌を持った人を立たせ、こつこつと叩かせ、不幸な人びとがいることを病気、貧乏、災難が振りかかることを気づかせなくてはならない」
チェーホフがここまで言うのは、なぜなのか。

田舎暮らしの終わり

チェーホフは次のように書いている。
「町を避け、闘争を避け、浮世のさわがしさを避けて、田舎へ逃げ出し、荘園に見をかくすのでは、生活とはいえない。それはエゴイズムです。怠け者のすることです。苦行を抜きにした遁世です。人間に必要なのは地球全体、自然全体です。そのなかで自由な精神のあらゆるものを思うさま発揮できるのです」と。
一八九九年、チェーホフはもっと温暖な土地、クリミアのヤルタに別荘を買うことにする。そして、メーリホヴォは売りに出した。この土地で、後に「犬を連れた奥さん」など代表作が書かれることになる。

弟のミハイルによれば、「メーリホヴォに引っこんで暮らした七年間は、兄にとって無駄に過ぎたわけではなかった。
この時代の兄アントンの作品に特別のあとを残し、特別の色どりをそえているというのだ。このメーリホヴォにおける田舎暮らし生活の影響は、チェーホフ自身が自分でも認めていた。どうやら、田舎暮らしの魅力やそれを続けることの難しさは、今も昔も変わらないようだ。


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