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『個性』について考える①

「みんなちがって、みんないい」

小学生時代の国語の教科書で
初めて出会う人が多いであろう、
金子みすゞさんによる一節。

自分と他人が違うことを
優しく肯定してくれる素敵な詩です。

歳を重ね、人生が厚みを増してくると、
この言葉の輝きに気付くだけでなく、
切なさや悲しみを覚える人も
いらっしゃるのではないでしょうか?

『個性』というものは誰にでもあって、
その人の特性を表すものを言いますが、
周りから見れば良く見えるその個性も、
本人にとっては自分を苦しめている
何なら手放してしまいたいとすら思うような、
ガンだったりもします。

27年半という長いような短いような
これまでの人生の中で、
「個性を認めた所で何も解決しない」
という場面を、私は何度も見てきました。

身体に障がいがあって、
日常生活で不便さに直面することが多い。

精神的な問題を抱えていて、
学校生活や仕事で辛い思いをしてしまう。

セクシャルマイノリティであることで、
生きることに息苦しさを感じざるを得ない。

こういった問題や悩みを抱えている方々が、
大変な思いをしながらも
「これは私の個性だから!」
と胸を張るのであれば、それは素晴らしいことですし、
尊敬の念を抱く方もいるでしょう。

しかし、当事者ではない人間が
「それもあなたの個性だよね!」
と言い放ってしまうのは、
あまりにも無責任だと思うのです。

その個性によってどんな苦労が生まれて、
その人がどんな思いをしてきたのか。

個性の裏側を想像して、
自分に出来ることは何か考えて、
できるなら行動してみる。

誰かにとっては
マイナスにはたらいている個性を
こちらから「素敵だ」と言ってあげられるのは、
それができてからなのではないでしょうか?

特に、今回例として挙げた3つの個性
(身体障がい・精神障がい・セクシャルマイノリティ)は、
社会的にハンディキャップとなりうるもので、
それらを『個性』の一言で片付けてしまったら
多様性の共存を諦めてしまうことになります。

何の不満もなく生きていくことは難しいし、
自分と他人の違いに目を伏せたくなる日もあります。

それぞれの個性を抱きしめ、愛し、敬い、
歩み寄りを忘れない方が
一人でも多く増えることを願って、
この記事を結びます。


まこ. 🌻

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