見出し画像

震災復興と違和感

写真は2011年3月11日の岩手県宮古市である。
真っ黒な津波が宮古湾に侵入し、堤防を壊した。この間わずか30分程度だったというから恐ろしい。
宮古は平地が少なく、リアス式海岸だから高台は近いのだが、V字湾は急激に波高が上がるから訓練してないと間に合わないだろう。
南三陸町のものと並んで、You Tubeでトラウマになりそうなほど何度も動画を観た。それまで我が国では津波の一部始終を記録したものはほとんど無かったから、世界的にも貴重な映像かと思う。

小学2年の誕生日に私は「海」という学研の図鑑を母に買ってもらった。
その中で「津波」というものを初めて知った。
見開きは絵だったが、船や人や家が波ごと崩れて行く様は小学生の私を震撼させた。また、地震による海溝の地割れで海が盛り上がり、その長さは数百キロに達すること、リアス式海岸では奥が狭いので町を飲み込むほどの高さに達するなど、全く想像を超えたようなことが書かれていてピンとこなかった。
写真もチリ地震津波が引いた後の北海道霧多布のものだけだった。

2011年3月11日の東日本大震災は2万にのぼる犠牲者のほとんどが津波による水死、打撲死という激甚災害だった。
私は情報取れず、テレビも点かなかったので、車の電源で携帯を充電し、ワンセグを観ていた。その晩は母とロウソクでメシを食った。
震度が7だったこと、私の地元から100kmしかない宮古で遡上高40mに達したなど、後から知って震えた。
図鑑にあったことを実感するとともに、一夜にして数万の人々がいなくなるということ自体が信じられなかった。
多くの人は断末魔の中で泣き叫びながら死んでいったと思う。

その年の11月、復興税源法が制定され、復興予算が税金プラス国債という国民負担の形で事実上組まれた。
現在まで12年間の累計は32兆円という膨大なものになっている。これは当時のパチンコ業界の売上に相当する。

2012年、私はとある復興支援NPOで福島の避難者を支援する活動を一年だけやった。8名で予算は総額6000万だという。

いい人もいたが、家族、友人を亡くしたり、放射線被害で家を追われた人々は喪失感と悲しみで、心がデリケートだという印象だった。
一緒に畑をやろうが、音楽イベントをやろうが、彼らが求めているのは「生活」であり、自分は何をやってるんだろうと思ったりした。大義名分のことをやれたのかどうか?
復興支援のショップで起業しないかとも言われたが、およそ被災県という土地でもないし、補助金も続くものでもないのでお断りした。

私のは一例だが、NPO大雪りばあねっとの補助金不正受給だの、復興支援と関係ない事業や人件費への付け替えだの、明らかに間違った使途不明金が横行した。
テレビではやらないが、被災地では盗難も多かったらしい。

当時テレビでは「寄り添う」だの「絆」だのが喧伝され、建設業界や必要なインフラを廃止に追い込んできた民主党政権は防潮堤一つ作るにも右往左往している印象だった。
特に被災県である村井嘉浩宮城県知事に向かって「知恵を出さない奴は助けない」
と吐いた松本龍復興大臣の非礼は民主党の体質を露呈しているようで酷いものだった。
一方、自民党になってからも福一のあれだけの事故が起きたのに安倍総理は「原発はアンダーコントロール」だと言い切っていた。放射線はセシウムにしろ、ストロンチウムにしろ人類の技術で扱えるものではないのに。
福島の人々はどう思っただろうか。

友人のツテで福島に行き、仮設住宅解体の仕事を一ヶ月やったことがある。
私も切羽つまっていた。一日9000円の宿メシつきだった。社保はもちろん無い。
避難地域だから放射線被爆の心配はなかったが、現場には放射線測定ポストがあったのが不気味だった。

管理者は大手だったが、下請けは西日本のその筋のブローカーまがいばっかりだった。ある日、仙台のファミレスで食事の時、除染の仕事の話がでた。病気になろうが、ケガしようが、彼らにとって人は中抜きするだけの道具に過ぎないのだと実感した。それだけは断った。
現場は水分補給自由で安全面もよかったが、スキンヘッドで文庫を読む監督や、「〇〇組の知り合いの葬儀でちょっと休む」などという人もいて、怖くもちょっと面白い体験ではあった。
今思えは復興バブルの人たちだったのかも知れない。
金があってもマトモな人はこない訳である。

あれから12年になるが、NHKでは毎年のように11日までの一週間くらいは震災特集となる。
岩手、宮城、福島の被災者にスポットが当たり、当時と今の心境などがインタビューされる。
津波で家が流されたり、家族を失ったことは悲しいことだが、それがプロフィールとして紹介されると、ちょっと違和感がある。悲劇のヒーロー、ヒロインのように。
悲しみを背負った人は世の中たくさんいるのにだ。
テレビでやらなくとも、芸能人が口を挟まなくとも粛々と語るべきものだと個人的には思う。
いつまでやるのだろう?

彼らは一様に「地元に帰りたい」という。除染したとはいえ帰宅困難地域で、仕事もない地元に帰りたいのか?
津波で家が無くなって、高台に移転した若者もいない町に本当に帰りたいのか?

こればかりは被災当事者じゃないとわからないが、世間に訴え、共感を得ることで各々の被災者が前に進むことができるならそれも良いのかもしれない。
NHKもそれこそがメディアとしての使命だと思っているのかも知れない。

ただ、メディアは
「視聴率が上がるいい絵を取りたい」というバイアスがかかるから、イマイチ信用できない面がある。
多くの被災者というのは故人を忘れることはないし、大事な人には話すが、見ず知らずの人に、ましてやテレビで話したくはない人も多いと思う。

日本人というのは元々そういうものだと私は思っている。
ビートたけしがかつて
「人間てのは、寝る場所があって、満足に食えて、初めて笑えるんだ」
というようなことを言っていた。
全くその通りだと思う。

「地震、海鳴り、ほら海嘯」
津波は「海嘯」とも書く。
東北の太平洋岸各地には海嘯(つなみ)襲来の碑があちこちにある。
地震があったら津波来てもこなくても、各々が逃げることだと先人は言っている。










この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?