ビットコインを考える上での、価値の交換と欲望の原理を探る(価値研究報告2)

先に緊急的に、
ビットコインの現状報告をさせていただきましたが、
現状の所まだ100万円には到達していない様です。

緊急的に報告した(価値研究報告1)では、
ビットコインが本分を外れてしまった、
その様な考察を致しましたが、
ではなぜ本分を外れたビットコインが、
これだけ高騰していくのか?
という疑問が皆様には残るのではないでしょうか。

しかし私から言わせれば、
本分からビットコインが外れたからこそ、
ビットコインは高騰しているのだ、
その様な回答になるわけです。

この問題は最終的にはアートなどの高騰と、
同じ原理となるわけですが、
最近でもアート作品が100億、200億、300億、
もう一般人では理解しがたい価格になっています。

この触れてはいけない様なパンドラの箱を、
今後少しづつ紐解いていこうというのが、
私の価値研究報告の意義です。

まず昔の私の執筆にも書かれている事ですが、
価値は絶対的に体験に依存します。
そこから価値は絶対的に交換不可能である、
その様な大前提を皆様には理解しておいてほしい、
これを私は絶対的価値と言っています。

私がいう本質的価値、原理的価値とは、
絶対的価値であり、
いわば主観においてのみ存在します。

しかし一般的に言われている価値というのは、
相対的価値であり、
いわば客観を含めて存在するものを言います。

ここで図を見ていただきたいのです。


価値とはそもそも交換不可能である、
私たちが思い込んでいる、
価値の交換可能であるという思い込みの原理は、
欠損を収益で補い合うという体験を原理にしています。

これは男性と女性と置き換えて考えても理解しやすく、
女性は存在としてのファルス、
男性は部分としてのファルス、
それはお互いに絶対的な欠損がある事を意味します。

つまり絶対的な欠損を補い合う行為、
それが「愛」なのです。

それは具体的に性的欲動として、
セックスをしたいという具体的な欲望に変わります。

つまり私たちの「価値の交換」というものは、
同一価値の交換ではなく、
「有るものから無いもの」
という欠損の補いであり、
決して同一価値を交換しているわけでは無いのです。

ですから一見理性的に見える、
「価値の交換」という行為は、
人間の原始的な欲望として存在している。
その様に理解してください。

それでは今回はこの辺で終わり、
また次回お楽しみに!!!

美学者母

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