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■気持ち悪い「note」投稿

「note」を読んで(8) 不定期刊

4月も残り5日。前回 書いたように、4月には「修行」として投稿記事100本を目指している。この記事をアップすれば残り10本、1日2本ずつで目標達成だ。

それはともかく、4月で100本近く、2-3月含めれば200本近い記事投稿をしているが、3カ月のPVはまだ9300。1本あたり48PV…である。
多いのか、少ないのか…。僕は、少ないっ! と思っている。

数本の記事しか投稿しておらず、しかも中身が幼稚な駄文なのに、何百ものスキがついている記事、人がいる。
そんな連中と比較しても仕方ない。僕の「作品」に一般性は低い、という証明だろう。

自分自身、noteに書き込まれる記事のほとんどが、「幼稚な駄文」と断じているんだし、そうでなければ、ゼニカネ目的をアピールしたり、自己啓発系のものに「スキ」が集まっているのだろう。

いやいや、自分が勝負しようとしている、詩、現代詩、自由詩のフィールドを見ても、二けたはもちろん100以上のスキがついている人はいくらでもいるわけで…。

正直、「読まれない」ことへの自分なりの、認識、自覚が足りないんだと思う。

ビジネス雑誌「プレジデント」の最新号に「なぜ、あなたの投稿は気持ち悪がられているのか?」という記事があった。
そこでは、「SNS」でマウンティングする投稿についての論考が載っていたのだが、確かに自分を含めてついついそうした投稿で爪の先でも「自己承認」欲求を満たせないか、と書き込むことが多い、と思う。

勤め人なら、まずいくらもらえているか。自分の会社の職位、自分の「学歴(出身大学)」…あからさまにそれを語るのはヘンだったり、言いにくいなら、自分の子供がいかにデキるか…とか…。自分のパッとしない部分は、子供や妻、家族など周囲の者を動員して、他者にマウンティングしたりする。
そんな書き込み、投稿、「記事」が嫌われる、という話である。

僕も、「詩」を中心に2月からの3カ月弱に190本の記事を投稿。その中には、僕本来が持つ「嫌われる」要素がちらり、いや明らかに見えている。
スキを2ケタ以上もらえることがほとんどないのも、そうした面、文章、そこから放つ空気が嫌われるから…と思わざるを得ない。

とはいえ、だ。

ここnoteでは誰に気を遣うでもなく、忖度せず、好きなことを好きなように書くことを貫きたい。もちろん、個人攻撃、誹謗中傷、社会的規範に反しない限り…という注釈はつけるが。
100のスキ、100以上のフォロワーを獲得するより、数人のフォロワー、1ケタのスキに反応する書き手でありたい。


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