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あえて希望について語ろう

◯希望

こんな時代だからこそ、希望について語ろうと思います。

人生は運命であるように、人生は希望である。(三木清「人生論ノート」より)

若干40代で獄中死した哲学者、三木清の言葉です。

壮絶な人生を想像すると、無念であったのではないかと思いますが、彼は人生の最後まで希望を失わなかったといいます。

「希望を失うことができなかった」
失うことができなかった=ずっと持っていた、つまり「ずっと希望を持ち続けていた」ということです。

その根底にあるのは他者の存在。

希望とは、他から与えられるもの

という考えであったようです。

他とは、他者とのつながり。

確かに、自分が希望を感じた瞬間を思い出すと、他者の存在があります。

ドン底だった時の友人の言葉。
大失敗からのリカバリー。
別れからの新しい出会い。

絶望の淵では、自分自身で希望を見出す努力をしようとしますが、その必要はないのかもしれない。むしろ、そんなことしなくていいのかもしれません。

希望は他者が与えてくれます。


◯他者から与えられる希望

私は、不運が続きドン底だった時に、「それって今の何かを変えた方がいいサインじゃない?」という友人の言葉に希望を見出しました。

仕事もうまくいかず、事故も起こし、車も失い、何だか終わったな、、、と思っていた矢先の‘希望‘でした。

「何かを変えれば、人生うまく行くのかもしれない」という大きな希望です。希望は人生を良い方向へと導きました。

また、別に何気なく見かけた他者から、希望を与えられることがあります。

「あの人があんなに頑張っているなんてすごい。なら、私も頑張ろう!」そう思えることも‘希望‘です。

見ず知らずの人々にどれだけ希望をもらい続けてきた人生だったか。

そう思うと、人生は希望であると言えます。

◯希望で終わりたい

先日、哲学者、岸見一郎先生のNHK講座が終了しました。一年かけて三木清の本「人生論ノート」を読み解きました。

その最終回のテーマが「希望について」

やはり、現役の哲学者でおられる岸見先生も、最後は希望で終わりたいという気持ちが強く伝わり、感動しました。私も全く同感です。

人生は希望です。どんな時も、他者との関わりの中で希望がもたらされます。そんな未知なる人生は運命であり、希望なのです。



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