【連載企画】竣工即負債#02〜政策決定の仕組みから〜

前回の概要と今回の趣旨

連載企画「竣工即負債」の第1回では、ザ・公共施設マネジメントは旧来型行財政改革を踏襲し、「財政が厳しいからコストセンターたる公共施設をなくせば良い」という思考回路からきていることを指摘しました。

今回(第2回)は、行政の政策決定の仕組みから考えていきたいと思います。

基本構想〜工事請負に全フリ

「何のために」が議論されない

そもそも、そのプロジェクトをなんのためにするのか、そのプロジェクトでエリアの価値をどうしたいのか?を議論していない(されていない)ことが意外と多いのではないでしょうか。

実際に自分も公務員時代に、流山おおたかの森駅北口の市有地活用事業において、直接の担当ではなかったものの、市長から「500人規模のホール」を「市の財政負担をできるだけない形」で整備するよう指示があり、豊島区役所の事例を応用して定期借地権や一部売却により等価交換で施設を整備しました。

おおたかの森駅市有地活用事業
おおたかの森駅_市有地活用事業のスキーム

当時の自分にとっては「市の財政負担なくハコモノを整備すること」が正義であり大義、カッコいいことだと思っていました。エリアの価値・地域コンテンツ・地域プレーヤーやこのエリアをどうしたいのか?を全く検討しなかったため、このエリアは非常に無機質なものとなってしまっていますし、ポテンシャルを十分に引き出したものとはなれていません。

いろんな自治体に関わるようになって改めて感じるのは、公共施設の整備事業(≠プロジェクト)の動機が「市長指示、議会からの要望、(一部の)市民や団体の声、近隣自治体での類似事例」であったり、単純に「現在の施設が老朽化・陳腐化している」といったものです。
そこをどうしたいのか?投資価値をエリアにどう波及させるか?といった本質的な問いが議論されることなく、「何となく」総合計画へ位置づけられたり、基本構想や可能性調査の予算が計上されていることが多いように感じます。

コンサルへの業務委託

このように「何となく」スタートした事業は、「庁内だけで検討することが難しいので専門性を補完する」ためにコンサルへ基本構想策定業務・可能性調査などの名目で委託されます。

ここでも問題はこの委託が「丸投げ」のニュアンスを包含してしまうことです。
行政は「コンサルに頼めば、契約条件となっているので業務期間内にハコモノ整備の要求水準書まで完成する」から他人事になり、コンサルも「要求されたハコモノ整備の要求水準書を指示とおりに形にする」だけになってしまうのです。

この段階でも「何のために」が議論されることはありません。自分も多くの自治体のプロジェクト構築支援に携わってきましたが、この「何のために」の議論が最も大変で「マンパワー・スキル・根性・忍耐・気づき・・・」が要求されるのです。
この部分を省略して次項の事業手法比較表に移ることは簡単なのですが、それが「そもそもの失敗」へのルート、単なるハコモノ整備≒竣工後即負債となってしまうのです。(もう少し厳しい表現をすれば、「竣工前から負債」となる運命を背負ってしまっているのです。)

事業手法比較表

ハコモノ整備事業では、必ずと言って良いほど行政が事業の正当性を示すために「事業手法の比較表」が登場します。

事業手法比較表

「事業手法の比較」を要求水準のコアに据えてしまう行政の発注の仕方にももちろん問題はあります。
「何をしたいのか≒ビジョン」が検討されない状態で従来型手法とPPP/PFI関連の事業手法を比較しても、そもそも「ダメな従来型ハコモノ整備事業のコスト≒PSC
」が何%マシになるのか(≒表面的なVFM)を算定しているに過ぎないのです。
「点」として「ハコ」としてしか捉えられておらず、現実のまちとは一切リンクしていないのです。
つまり、結果としてまちに現れるハコモノも墓標予備軍であり、竣工即負債となってしまいます。

仕様発注によるハコモノ

このようなコンサルへの業務委託の成果となる公募関連資料では、行政が既存の仕様発注の思考回路を踏襲してしまうことや、コンサルも過去の(仕様発注に近い)事例を劣化コピーしてしまうので、諸室の面積や配置の関係、受付の人数に至るまで要求水準書で規定しまう仕様発注となってしまいます。

大宮区役所整備事業_要求水準_諸室諸元表の一部

上図の大宮区役所整備事業では、この施設諸元表が延々と11ページも続くこととなり、応募しようとする民間事業者は「クリエイティブに性能発注のプロジェクトを組み立てる」ことではなく「要求水準書の仕様発注パズルを読み解く」ことが受注のための作業が求められてしまいます。

民間事業者の創意工夫が働く余地はほぼないわけですし、地域コンテンツや地域プレーヤーの介在することも求められてきません。
このあたりにも竣工即負債となってしまう構造があります。

市民ワークショップ・有識者委員会

大きなハコモノ事業を行う場合には、(自治体によって市民参加条例などの規定に則り、)市民や審議会などで有識者の声を聞くことが一般的になっています。

「市民のための施設だから」、聞こえはいいですが、関連予算や議案の議会審議で「市民意見はどう反映しているのか?」問われることへの理論武装(←この用語自体が行政用語です)として形式上行っていることが多くないでしょうか。

市民の声を本気で聞くなら、次回以降に詳しく書きたいと思いますが、「財政的なデータも含めてどのような与条件で、どの部分に市民の声を反映させるのか?」を明確にしたうえで実施する必要があるはずです。
しかし、実際に行われているハコモノ整備の市民ワークショップの大半は、「どんな施設にしたいですか?」「どんな機能があったらいいと思いますか?」と、こうなったらいいなのお花畑・総花的なものになっていないでしょうか。
結果的に、参加した市民が投下した時間・想いは「意図を汲み取る」ぐらいしかできない、または「意見をパッチワーク」した巨大で経営的なリアリティを持たないハコに置換されてしまいます。

有識者委員会も「その事業に経営責任を持たない人たち」が集まり、事務局の作ったストーリーや結論をベースに、自分たちの専門性や得意分野の意見を述べるだけの形になっていないでしょうか。
そもそも、ビジネスをしたこともない大学教授や行政経験を持たない人たちが議論して、非合理的な社会である行政の事業をリアルなものにできるのでしょうか。

地元事業者(お抱え設計事務所)の活用

「民間と連携すると(東京資本・大手資本が中心となり)地元事業者が使えなくなる」と誤解する人たちもまだ多くいます。
上記のとおり旧来型の発想でコンサルに丸投げしてしまうと、サウンディングも含めてコンサルが主導することとなり、従前からつきあいのある大手ディベロッパー・ゼネコン・運営事業者を対象とした「表層的なヒアリング」が中心となってしまいます。地元事業者は「下請け」「協力企業」として位置付けられ、これでは確かに懸念事項が顕在化してしまいます。

一方で、本当の意味での地域コンテンツ・地域プレーヤーとの連携ではなく、旧来型行政でつながりのある、あるいは入札参加登録している地元事業者・設計事務所だけを対象にしてしまうこともリスクがあります。
こうした「古い行政体質とマッチングした人たち」は、その思考回路から抜け出せず、現代的な価値である地域コンテンツ・地域プレーヤーとリンクしたホンモノのPPP/PFIプロジェクトへの理解も関心も低く、十分な知識も持ち合わせていない場合が多くあります。

そのまちの行政における職員のパワーバランスや議会の情勢については(良い意味・悪い意味を含めて)精通しているかもしれませんが、「いかにその案件を通すか?」の思考回路に陥ってしまい、やはりここでも「何のためにやるのか」が欠落してしまうリスクが大きくなってしまいます。
安易な「地元ファースト」も竣工即負債の要因の一つになってしまいます。
(詳しくはこれも別途書いていきたいと思いますが、民間と連携していくうえで地元事業者を的確に活用・パフォーマンスを発揮してもらうためには、要求水準書で条件を位置づけることやサウンディングなどにより対応することは可能です。)

建築「物」で勝負してしまう

上記の安易な「地元ファースト」とは反対に、有名建築家による「作品」としてのハコモノや先鋭的な意匠・挑戦的な構造で勝負してしまう場合も、竣工即負債となるパターンです。

最近のイケている民間物件はほとんどが「シンプルかつ洗練」されたものであり、経済合理性が高いものとなっています。
一方で行政のハコモノの場合は、自分も公務員時代から今日に至るまで、「金をかければかけるほどダサくなる」法則が残念ながら成立してしまっています。

先鋭的な意匠や挑戦的な構造にするから、雨漏りや使い勝手の問題が生じたり、地元事業者が施工やメンテナンスに携わりにくくなったり、改修時に必要以上に影響範囲が大きくなってしまうのです。
さすがに実名は伏せますが、ある図書館では三次元に編み込まれた木造の天井を地元事業者が技術的に施工できずに途中で降りたり、竣工時から雨漏りが絶えなかったり。。。というのは象徴的な事例です。

ハコモノ整備に全フリ

次回以降に予算や組織・体制などの点から改めて考えたいと思いますが、行政がこうしたハコモノ整備事業(≠プロジェクト)を検討する場合、「どうやってハコモノを整備するのか」に経営資源を全フリしてしまうことが大きな課題です。
竣工≒ハコモノ整備事業のゴールであり、そこで様々な要素や興味が燃え尽きてしまいます。

このような状況ですから、追加投資や撤退ラインのための損益分岐点が設定されることもないですし、ハコモノの維持管理・運営にどれほどのコストがかかるのか、悪い場合には誰が運営していくのか(何をしていくのか)も「何となく」のイメージ程度しか定められていないことが大半だと思います。

「竣工即負債」となる構造のひとつは、竣工の瞬間がゴールであり、関わってきた人たちの情熱もマンパワーも興味も喪失してしまい、「愛されない、人の魂が宿らないただのハコモノ」に成り下がってしまうことです。

民間のプロジェクトなら当たり前ですが、(とりあえずの建築物を含めた)物理的な環境が整った瞬間(≒本稿での竣工時)は経営のスタートラインに立ったに過ぎないのです。竣工式典は嬉しさも多少はあるものの、それをはるかに上回る緊張が張り詰めた場であるはずです。
しかし、ハコモノ事業に陥ってしまった行政の竣工式典は、それほど事業に関わってこなかった人たちも一同に介し、高揚感溢れる卒業式・お祭り・祝いの場に化してしまいます。竣工式典がこのような場になっていたら、それは「竣工即負債」の強烈なアラートだと認識した方が良いでしょう。

第3回の予告

次回は予算や補助金・交付金などの関係を中心に、竣工即負債となるメカニズムを考えていきたいと思います。

今回のシリーズはネガティブな視点をベースにしているように受け止められてしまうかもしれませんが、そんなことはありません。

「失敗の本質」でも記されているように、「同じようなコケ方を何度もなぜしてしまうのか?」分析することで、少なくとも「そもそもの失敗」を予防していきたいとの想いで書いています。
後半の回では、実際にまちみらいとして携わってきた事例でどのように「竣工即負債」へ対応を図っているのか、その試行錯誤の状況なども紹介していきたいと思いますので、お楽しみに。

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