イースターに合わせて再生だ!
イースターはイエス・キリストの復活祭
イースターは「春分の日後の、最初の満月の次の日曜日」という、なんとも分かりづらい移動式祝日です。今年のイースターは3月31日の日曜日。イースターは、イエス・キリストの磔処刑3日後の復活 (resurrection) を祝う日で、キリスト教的にはクリスマスよりも大切なイベントなのだとか。アメリカではイースターは貴重な祝日です。アメリカでイースターに何をするのか、何を食べるのかなどについては、よかったら昨年書いた『イースターで春の到来を実感』にも目をお通しくださいませ~
今年のイースター記事で焦点をあてるのは、ずばり『復活 (resurrection)』。というのも、私はクリスチャンではありませんが、イースターに合わせたように復活の時を迎えることになりそうだからです!
乳ガン治療の抗癌剤も残り1回!
昨年8月に怪しい雲行きが広がり、9月に乳ガンの診断確定、その後の検査に次ぐ検査、そして11月に開始した抗癌剤治療でしたが、それも残り1回というところまでたどり着きました。
抗癌剤治療をすごく簡単に振り返ると、前半戦はAC療法と呼ばれるアドリアマイシン(Adriamycin/エイドリアマイシン)とシクロフォスファミド(Cytoxan/サイトキシィン)を4クール。3週に1クールが通常のところですが、私の場合はドクターの判断により、2週に1回という集中治療。私が調べた限り、アメリカの投与量は、日本の最大投与量の微妙に上をいくという過酷さ。「アメリカって厳しいわぁ~」を痛感したものです。
きつかった4クールをなんとか終えたところで、白血球減少により緊急入院、退院直後に原因不明の高熱で再度の緊急入院をはさみ、1週間遅れで後半戦の抗癌剤治療がスタートしました。パクリタキセル(Paclitaxel、または商品名でtaxol/タキソール)の週一投与×12クール。そこに3週間に1回の分子標的薬ハーセプチン(Herceptin)が追加されました。12クールが始まった当初は、先の長さにどうなることやらと思ったものですが、いざ始まってみると1週間1週間が飛ぶように過ぎていき、気づけば残り1回に。信じられませんね。信じますケド。
抗癌剤治療でなくしたもの
抗癌剤治療には副作用がもれなくついてきます。何がどれほどついてくるかは、人それぞれ。私もいろいろありましたが、ここでは抗癌剤治療でなくしたものをまとめてみることにします。時間が経ったからといって忘れることもないとは思いますが、それでもどこかに覚書くらいあってもいいのかもしれない。
①髪の毛
抗癌剤と聞いて真っ先に連想しする脱毛です。私の場合は、確かAC療法の3クール目が終わったあたりにガツンときました。アメリカの我が家のバスルームは、バスタブはあれど洗い場がないので、先にお湯をはって浸かってから体や髪を洗い、シャワーで洗い流すのが私のお風呂スタイル。まさにホラーの勢いで髪が抜けた数日間は、ふるいとビニール袋を持ってお風呂に入っていました。元々、髪の毛が抜けることにはそれほど抵抗がなく、予めショートにしていたのですが、とにかくストレスだったのが、抜け落ちた髪の毛の掃除。バスタブを埋め尽くす髪の毛や床に舞い落ちる髪の毛の掃除がもう大変で。きりがないし、のぼせちゃうし。抜ける髪の毛もさすがに減ってきたところで改めて我が頭を見ると、抜けることを頑なに拒む頑張り屋の髪の毛が10%ってところ。むしろ悲壮感が漂うので、旦那さんにバリカンしてもらってからは、もう快適。落ちる髪の毛の掃除からは解放され、髪を洗う、乾かす、梳かすという作業もなくなり、季節がら頭が寒いという驚きはありましたが、これはこれでありだなというところでしたね。旦那さんには「一休さん」と呼ばれ、家ではほぼほぼ尼さん状態で過ごしています。外出時は帽子を被りますが、もともと帽子好きなので問題なし。
②まつ毛&眉毛
後半戦の抗癌剤の半ばを過ぎたあたりから、まつ毛と眉毛が薄くなりました。まつ毛、眉毛ともに現在もカウント可能な程度には残っていますが、まつ毛よりも、眉毛がなくなると顔の印象って変わるものだなぁと実感しています。ガン患者っぽさが隠し切れません。もちろん眉を描くという選択肢もありますが、普段からメイクをしない私にとってはハードルが高く、頑張って描いたとしても、こすってしまうのではないかとこわくって。汗っかきだし。まだ先が長いのなら考えますが、抗癌剤ももうすぐ終了なのでギリギリセーフってことでこのままいきそうです。
⓷爪
なんと、爪。今段階で右手の親指と人差し指の爪がガバッと剥がれました。爪が黒くなることは抗癌剤あるあるのようですが、剥がれるのは珍しいっちゃぁ珍しいみたい。しかも次々と。私の場合は、AC療法中に手足の皮がベロベロと剥け(手足症候群)、爪も黒ずんでいったことには気づいていましが、ある日、ふと自分の指の爪を見てギョギョギョと。よく観察すると、既に2枚爪状態になっている様子。死んだ爪の下に既に新しい爪が生え始めているので、ガバッと剥がれた後は、痛みより露出してしてしまった部分の不快感が強いです。左手の親指と人差し指も時間の問題でしょう。剥がれたら剥がれたで面倒ではありますが、抗癌剤の影響を受けた爪とさよならすると考えれば、これもNot so bad。
④味覚、その他もろもろ
なくすことで大切さを痛感したのが味覚です。強烈なドライマウスや卵が喉につっかえたかのような違和感なども並行して、美味しく食べられるものがなくなった時期はつらかったです。何が食べられるんだろう?という好奇心が勝っていろいろと試していた時期、想像力で結構イケると思っていた時期はありがたいものでした。「これなら…」と思って好物を試してはやっぱりダメだった、を繰り返すダメージは地味に大きかったです。『食べる』ということが毎日の生活にここまで影響するものなのだということを初めて知りました。
その他の副作用としては、吐き気、倦怠感、便秘、下痢、悪寒などなど、まんべんなくそこそこに経験しましたが、今現在は、顔の色素沈着(シミ)、抗癌剤投与後のむくみ、手足の痺れといったところ。
再生のとき…
アメリカでは抗癌剤治療は通院が普通です。そして、アメリカでの通院手段は、ほとんどの場合が車。なので家族間、友人間の「車の送迎の必要があったら言ってね」というのが、アメリカでよくあるガン会話。私も本当にたくさんの人にこの言葉をかけてもらいました。
私の抗癌剤治療は月曜日の午後だったので、仕事を終えた旦那さんがピックアップには間に合いますが、行きの車を手配する必要がありました。その90%を快く引き受けてくれたのが、いつも明るい笑顔で冷静に私を見つめ、私の話に耳を傾け、寄り添い、的確なアドバイスをくれる大切な友人でした。気が進まない治療で’も、彼女と道中数十分間の話をすることで私の気持ちは前向きになるのです。その彼女と前回の治療前に「あと1回だね~」と話していたときのこと。3月25日が最後の治療日の私に、彼女が「タイミング的にばっちりだよね」と言いました。私は考えもしませんでしたが、31日が復活のイースターだからなんですね。イースターを目前に最後の抗癌剤を終え、そこからは髪の毛もまつ毛も眉毛も爪も、再生に向っていくのです!
まだ4月の半ばに手術を控えていますので、これで終わりという訳ではないものの、私の体に健康な新しい生命が芽生えるのです。
ガンになって得たもの。それが大事。
ガンになったことでなくしたものは多々ありますが、ガンになったからこそ得たものもあります。
私は以前から、ガンに罹患した人たちには何が見えているのだろう?ということが、なぜか気になって仕方ありませんでした。考え方が変わった、人生観が変わったなど、理屈では理解できても実感できないでいました。あたりまえですけどね。
3年半前にガンで父が旅立ちましたが、あの時も何をどう考えているのかを聞きたかえったものの、結局こわくて聞けずに終わってしましました。
この長年の私の中のモヤモヤの正体が、自分がガンになったことで初めて実感をおびて分かり始めています。経験に勝るものはないのかもですね。
もちろん、だからと言ってガンになってよかったとは思いません。可能なものならモヤモヤしたままガンとは無縁でいたいものでしたが、なってしまったからには、せめて、いただけるものはいただいておかないと。そんなところでしょうか。
ガンになったことで改めて確認できたのは、私の周りにどんな人たちがいたのかということでした。家族、友人、同僚…
あぁ、この人はこんなときにこんな風に寄り添ってくれるんんだ、この人は私のあの発言を心に留めてくれていたんだ、など、どれだけの人の優しさ、温かさが私を支えたことでしょう。
そして、人を思いやり、祈り、応援することに関して、物理的な距離は関係ありませんでした。私の家族や親しい友達の多くは日本にいますが、彼らのパワーは偉大です。その応援に応えたいという思いが、つらい時の私の使命となって前へ進む力をくれました。お互いの姿を見なくても、声を聞かなくても、メールやLINEでのやりとりをしなくたって、伝わるものは伝わるのです。
実際に私をハグしてくれるアメリカチームと遠くからパワーを送ってくれる日本チームの絶妙な連係プレイに支えられ、今の私がいます。
そして、誰よりも近くで誰よりも長く、私のガン闘病に付き合ってくれているのが旦那さん。
乳ガン告知後は、検査のたびに、診察のたびに悪いニュースだけが積み重なり、今振り返っても精神的に一番つらい時期でした。これでもかの止めの一発をくらったある日の診察室で、普段から感情的になることがなく冷静沈着な私の旦那さんが、ドクターに食って掛かったことがありました。後にも先にも、あんな彼の姿はあのとき限り。私としては「冷静さを失った」とか「支離滅裂な」と表現したいくらいです。そんな彼の様子に口が開くほど驚きつつも、内心では「ドクターにそれを言っても仕方ないよ」と逆に冷静になっていた私でしたが、あの彼の姿はとにかく新鮮で、そして何より嬉しかった。最近ではめっぽう元気になった私ですが、ときには彼に対して「あのぅ、私、まだ抗癌剤治療中なんですけどぉ」とか「あのぅ、もう少し家事とか手伝ってくれるとかぁ…」とか「たまには優しい言葉なんてあったりしてもいいんですけどぉ…」なんていう思いが頭を過ったりすることも。諸々の面倒くさい手続きなどが滞ることもあり、お互いにイライラして口調がきつくなることだってあります。でも、そんなとき、あの日の彼の姿を思い出すと、波立つ私の心が落ち着きを取り戻します。
ガンになったからこそ知ることができた、彼の愛の深さ。
人への感謝、健康であることへの感謝、一日一日が無事に終わることへの感謝、仕事ができることへの感謝、食べることへの感謝、生きていることへの感謝…
そんなガンの代償を生かしてこそ、私の未来は意義あるものになっていくのです。そう信じて、あと少し、トンネルの向こう側まで、ひたすら前進あるのみ。
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