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がんばれ、バンビちゃん!

前回に引き続き、ベーカリーメンバーについてのことを書きたいと思う。今かないと書く機会を逃しそうだし、実はずっと書きたいと思っていた人物。私の密かな呼び名は『バンビちゃん』。

私が働いているベーカリー、通常は、4人で回すはずのパンチーム、最後に4人だったのはいったいいつのことだろう?理由は人それぞれだが、ひとり辞め、またひとり辞め、私ともう一人で凌いでいた9月末に、登場したのがバンビちゃんだった。

夜中の3時スタートのシフトということ、にもかかわらず賃金がよいこともなく、その他の理由もあるのだろうが、パンチームのメンバー応募に名乗りを上げる人は珍しいのが現状。
誰を雇ったにしても、トレーニングをするのは私ということで、ボスから「次からは、自分が面接をして、可能性があると思ったらマチコを呼ぶから2,3質問でもして話してみてほしい」とのことだった。自分が面接をする側になったのは初めてのことで、緊張して、ボスの面接の様子を遠目に伺っていたものだった。ヒョロヒョロッとした色白の若い青年。真っ白なワイシャツに黒いズボン、ネクタイまでしめている。日本ならあたりまえかもしれないけど、アメリカだと仕事の面接でも、Gパンにパーカーで姿を現す人も少なくない。それによる減点もないからだろうけど、やっぱりきちっとした装いは好感度が高かった。

そして、しばらくすると、ボスからお呼びがきた。というのは、悪くはないという証拠。実際に向き合って座ってみると、遠目に見ていたよりも更に若い感じ。実際には22歳ということだが、高校生と言われても信じるなぁ。パン作りはもちろん、飲食業界の経験もないとのこと。
私が心に決めていた「質問」はただひとつ。「雇われるかどうかということを除いて、今の時点でのあなたの心配事は何?」というものだった。経験者であれ、未経験者であれ、新しいことを始めようとしているのだから、それなりの心配事があるのは当たり前、そして、そこから見えてくるものがある、というのが私の考え。
夜中の3時に間に合うように起きられるのか、十分な賃金がもらえるのか、でもなんでもいい、心配事はあるはず。むしろ、あって欲しい。
自分のことを振り返ってみると、それまで働いていた個人経営のベーカリーと比べると、作る量が多いことは予想ができ、それが一体どれだけの量なのかということには不安があったのを覚えている。また、過去に夜中の2時スタートをしていたことがあり、それがやたらときつかったので、3時スタートで職場も家から車で5分とはいえ、多少の不安はあった。今から考えても、あの時点での私としては、妥当な心配事だったと思う。

さて、バンビちゃんの返答は…
「どういう風に学んでいくことになるのかなぁ、とは思う」とのこと。いいと思った。少なくともこの青年には、自分が知らないことを「学ぶ」という認識がある。そして、それがどういう風に実現していくのだろう、という思考がある。私がその時点で彼に伝えたのは、大まかに言えば「あなたがいいパンを作る気持ちでトライし続けるかぎりは大丈夫」というものだった。

その後、私とボスがお互いに感じたことを話しあい、その場で彼の雇用が決定。面接なんて、いくら好印象だったとしても蓋を開けたら、、、なんてこともよくある話。ボス曰く、雇用はある意味ギャンブル。でも、ギャンブルする価値はある、というのが私たちの判断だった。

お店自体は大きい会社なので、実際に彼が私たちと働き始めるまでに、手続きなどで10日から2週間くらいはかかる。その間、彼は、2回ほど手続きの一環で来店したが、真っ白なワイシャツに黒いズボン、そしてネクタイ姿は変わらず。今時のアメリカにおいて、しっかりとマスクまでしている。私は「仕事初日にワイシャツ姿で来たら、粉を振りかけるからね!」なんて冗談を言っていたものだった。

そして初日。まだ鍵を持っていなかった彼に、私はシフトの10分前には入店するからと伝えてあったが、しっかりとその少し前に到着していた様子で、私の姿を確認して、それに合わせて車を降りてきた。
そして、気になるいで立ちは… 
まさかのというか、予想通りというかの白いワイシャツ姿。どこまでも真面目だなぁ。ユニフォームに着替える段階になって、やっとワイシャツを脱いでTシャツに。ちなみにワイシャツを脱ぎ捨てるまでに、そこから2日はかかったかな。

ミキシング(仕込み)のトレーニングが開始。未経験で右も左も分からないよね。トレーニングのスタートで私が必ず確認することは、不明点や疑問、または私が言っていることが分からない場合は、遠慮しないで言ってね、ということ。そして、私はいつものトレーニング通り、説明しながら私のルーティーン見せ、彼ができそうな部分をあえてやらせることで、どんな風な動きをするのかをチェック。

そうそう、どういう風にメモをとったらいいのかも分からない様子が少しおかしかったけど、ちゃんとメモ帳とペンを用意していたのも偉かった。驚くかな、これが結構珍しかったりするのがアメリカなのか、なんなのか。

粉の軽量をするのももちろん初めてで、とにかく慎重な彼。どれくらいの粉がどれくらいの重さなのかの見当もつかないからなのだろうけど、とにかく時間がかかる。
そして、大きなバケツに入ったスターターをかかえてボウルに移す姿は、プルプルしていて全く頼りがない。まるで生まればかりの小鹿のようだな。
そう、だからバンビちゃん。

基本的に不器用というか、英語だとBody cordinationとなるのだろうけど、自分の体をどう使ったらいいのかが分からない様子。よって、全ての動きが危なっかしくてどこか不自然。「その手をそっちじゃなくて、こっちにしてみたら?」なんていうこともしょっちゅう。

メモを取るにしても、「①は何て書けばいい?」「次はこれが②になるの?」「〇〇〇が⓷でいいのかな?」ってな具合。
という私の話を聞いた日本人の友達は「よくイライラしないね」と驚いていたけど、イライラというよりも「かわいいなぁ」というのが私の感想。私は決して忍耐強い性分ではないし、むしろ子供の頃から、できない友達に対して、ついイラっときてしまうタイプだったと思う。それにもかかわらず、彼の言動が私をイライラさせなかったのは、彼がまじめで素直で、一生懸命だったからにつきるのだろう。心の中で「まじか…」と思ったことはあったけど、それもひとりでニヤニヤっとして「ま、いっか」に変わった。
あとは彼の聞き方も大きかったかな。「ねぇ、マチコ。〇〇が終わったんだけど、次に何をしたらいいか分からない。次にすべきおすすめの順番はある?」「〇〇の温度を下げたいのだけど、どうするのが一番効率がいいかアドバイスもらえる?」みたいな聞き方をするのだ。そんなやりとりのおかげもあって、私は常に彼の理解度を把握したうえで指示を出すことができたし、その指示をちゃんと理解し、充実に従う姿にも安心感があった。そして、それでも彼が苦戦しているところがあれば、自然に気持ちよく手を貸すことができた。

そうだ、彼の特徴的な部分がもうひとつ。日本なら、これといって目立つこともないのかもしれないけど、バンビちゃんときたら、アメリカの青年にしてはかなり珍しい、超超草食系タイプ。今ではそれにもすっかり慣れたけど、女の子みたいな印象といってもいいくらい。バンビちゃんの動きには「ルンルン♪」や「キャピキャピ♪」という言葉が見えて、本人にはもちろん、他の人にも言わないけど、私はそのたびに「あら、可愛い!」と思っていたものだった。

初めてバンビちゃんがミキシングしたパンができあがった日。お母さんと暮らしているということだったので「持って帰る?」と聞いてみると「いいの?嬉しい!お母さんがすごく喜ぶと思う~」と、パンを両手で胸の高い位置にしっかりとい握りしめ、満面の笑み。か~わ~い~い~~~(笑)

また別の日には、余ったドーナツホール(ドーナツの穴の部分の方)があったので、食べる?と聞いてみると、直径2センチ程度のドーナツを両手で持って、嬉しそうにかじりついていた。私ですらポンと一口で口にほおりこむところが、バンビちゃんの食べっぷりときたら… まるでリスだな(笑)。

などなど、かわいい思い出はいっぱいあるが、どんなに可愛かったとしても、22歳の青年にむかって「可愛いね」なんて言うべきではない。
なのでもちろん言わないけれど、癒し効果は抜群だったな。

しかし、そのバンビちゃん、そのBody cordinationのなさから、当初は切り傷が絶えなかった。時には、テープカッターで指を切り、いったいどうやったらそういうことになるのか?なんてこともしょっちゅう。

そしてあれは、1週間くらいたったときのことだっただろうか。私がもう少しでお店の駐車場に到着する午前3時前、私のスマホが着信。電話口には動揺したバンビちゃん。聞いてみると、車の鍵が見つからなくって、遅れそうでかなり焦っていて、やっと見つけて車に乗ろうと走っていたら、思いっきりコケて手のひらをすりむいてしまった、とのこと。
あれ?バンビちゃん、泣いてるみたい。
嘘でしょ?とういう思いと、可愛いという思いでただ「うんうん」と聞いていた私。するとバンビちゃん「今ね、お母さんがね、すりむいたところの手当てをしてくれてるのぉぉぉぉ(泣)」と。あらあら、本当に泣いちゃった。まるで小学生の男の子。
てっきり今日は行けないという電話かと思っていたのだが「ううん、行く、行ける。でも遅れちゃうから」と、意外としっかりした声。おぉ、そうか。えらいえらい。急がなくていいからね、と伝えて電話をきったものの、私のニヤニヤはとまらず、今でも思い出してはほっこりする出来事。
結局1時間ほど遅れて、包帯を巻いて出勤したバンビちゃん。泣いていたなんてことはすっかりなかったかの様子だったので、私もそこには一切触れずに仕事を始めたものの、やっぱり痛いよね。それでも、痛いと弱音をはくこともなく頑張る姿に、私はもちろん、ボスのパブロもバンビちゃんをお手伝い。

ミキサー(仕込み係り)として独り立ちして間もない頃、ミスを連発して次々とやり直しをせざるを得ない日があった。ミスすること自体は学びのひとつで、問題ではないものの、あまりにもミスが集中したので、ボスも見るに見かねて「一体どうしたの?」と話し合いタイムになった。ミスを防ぐダブルチェック方式を勧められ、次の日からは忠実にその方式を始めたバンビちゃん。しばらくの間は「マチコ」とバンビちゃんに呼び止められるたびに、内心ドキーッとしたものだったが、それ以降は大きなミスもなく、過酷なサンクスギビングも一緒に乗り切ることができた

サンクスギビング後の、ある朝のこと。バンビちゃんが「マチコ、これを言うのは本当につらいんだけど…」と切り出してきた。その時点で予想はついたが、予想通りお店を辞めるとの報告だった。バンビちゃんの目には、涙がいっぱい。仕事への不満があるという路線は考え難かったので「なんで辞めるのか聞いてもいい?」と聞いてみると、どうも一時中断していた学校に戻れることになったとのことらしい。そこには家族の経済的なこともからんでいる様子だったけど、何しろ話せば話すほど泣けてきちゃう泣き虫バンビちゃんなので、いろいろ聞き返しても悪いかなと思い、詳しく聞くことはやめた。
何しろ若いし、将来的にはコンピューターの道に進みたく、ベーカリーで働いている間もオンライン授業を取っていたバンビちゃん。長くいることはないだろうなとは思っていたけど、それにしても、あまりにも急で、そして早い、次へのステップだった。

しかし、2週間後に辞めることが決定してからのバンビちゃんの成長ぶりは目を見張るものがあった。最後の1週間で、やるべきことをやるべき時間内にひとりでできるようになっただけでなく、まるで全てに合点がいったかのように、仕事の手順もよく、手際よく、そしてきれいに仕事をするようになった。見ていても頼もしく、やっと一人前として仕事の話ができるようになってきたってところ。
最後の最後での急成長ではあるものの、それに対して「今更遅い」という思いは全くなく、ただただそんなバンビちゃんの姿が嬉しく、誇らしい。教えては去られ、教えては去られが続き、トレーニングすること自体にある種の虚しさを覚えていた昨今、これでバイバイなのは寂しいことに違いはないが、虚しさはない。

たったの2ヶ月のことだったし、今後のバンビちゃんの人生で、ベーカリーでパンを作るなんてことは、もうないかもしれない。でも、この2ヶ月を忘れないで欲しい。「そんなこともあったなぁ」程度でいいから、彼の人生の一部として残って欲しい。そんな思いを込めて、昨日、ブリオッシュの余り生地でバンビちゃんのお名前パンを作ってプレゼントした。

さなぎではありません


ここには載せないけど、お名前パンを持った笑顔のバンビちゃんの姿も写真に撮った。明日の最終日が終わったら、その写真はバンビちゃんに送るつもり。いつか何かの拍子にこの写真を見て「そんなこともあったなぁ」って思い出してもらえることを願って。

バンビちゃん、短い間だったけど、君の素直さ、真面目さ、一生懸命さ、そして泣き虫なところに、私は大いに癒され、励まされたよ。
これから何をすることになっても、バンビちゃんがバンビちゃんでいる限り、みんなに愛され、ちゃんと乗り切っていけるよ。
ありがとう、そして、これからもがんばってね!

Machiko


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