見出し画像

読み返す図録「民藝の100年」展

はじめに。

皆さん、こんにちは。
読み返す図録シリーズの2回目です。読み返し始めると色々と調べたくなることも増えたりして、記事を書くまでに時間がかかってしまうのが難点なシリーズです。
先日、松江歴史館で開催されていました「出雲の民藝-健康な美を求めて」展に行きました。その鑑賞レポートを「しまね暮らし」ブログで公開しています。

民藝に関する展覧会は、全国各地で色々なアプローチで開催されています。
今回、読み返した図録は、2021年10月から2022年2月まで東京国立近代美術館で開催されていた「柳宗悦没後60年記念展 民藝の100年」展です。
図録を読み返すとあらためて自分が何に興味を持っているのかも分かります。鑑賞当日は、目に入る展示物を頭の中で整理するだけでいっぱいいっぱいになりがちです。キャプションもしっかり読みたい派なのですが、後半にはすっかり疲弊してしまうことも少なくありません。なので、最近は展覧会のはしごも控え気味です。
で、本題の図録です。「出雲の民藝」展を見た後なので、とくに山陰地方の民藝の歴史が書いてあるページを読み返しました。どんな発見があったでしょうか。なお、本展の図録ですが、見開きにしてもしっかりと開く綴じ方をされていて、分厚いのにストレスフリーですごく読みやすい形状でした。

「民藝の100年」展はなにを目指した展覧会だったのか。

民藝の展覧会というと陶芸や染織などモノに着目しがちですが、本展は民藝運動の表と裏(?)が垣間見られる展覧会でした。でした、とは鑑賞当日はそんなところにまで気を使えていなかったということです。モノばかり見て喜んでいた記憶しかありません。
さて、図録巻頭の8ページ目のイントロダクションに本展の狙いが端的に書いてあります。

本展は、柳の理論的著作を通して民藝を理解するのではなく、地方の担い手と協働して展開した民藝運動の具体的な活動に光を当てるものです。(中略)民藝運動は、美しい「モノ」の蒐集にとどまらず、新作民藝の生産から流通までの仕組み作り、また疲弊した農村の経済更正と社会への貢献、あるいは衣食住の提案から景観保全にまで広がりました。

「民藝の100年」展公式図録より

この展開って、現在の地方創生とかSDGsの先駆けというか、100年前から日本が抱えてきた問題は今も変わっていないんだなと思いました。それは意地悪な言い方をしてしまうと、なかなか解決されずに100年も経ってしまったとも言えるのかな、と皮肉に感じもしました。だからといって、民藝運動を否定するつもりは毛頭なく、むしろその歴史を振り返ることで現在進行形の課題に対面するヒントがあるに違いない、と本質を探ってみたいとポジティブな気持ちも芽生えました。思うに本質は一つではなく、真実と事実の関係性のごとく、当事者や関係者それぞれが持っているもので、民藝運動を通して得たい表と裏の両面が存在していると思われます。

会場となった東京国立近代美術館

山陰地方の民藝の歴史~吉田璋也の足跡~

「出雲の民藝」展では、島根県での民藝運動の歴史的背景が分かりやすく説明されていました。対して、「民藝の100年」展では鳥取県における運動の流れがよく分かるコーナーがありました。
鳥取県の民藝運動で重要な人物といえば、吉田璋也(1898~1972)がまず思い浮かびます。いったいどんなことをした人物なのでしょうか。
図録の中で彼のコラムが1ページ分で掲載されています。短めの内容ですが、意外な人物とのつながりや、本業の耳鼻科医の仕事で転居が多かったことなどが分かりました。その人物とは志賀直哉です。奈良で暮らしていたときにご近所さんだったということです。志賀直哉といえば、白樺派を代表する作家ですが、雑誌「白樺」には創刊時からまだ学生だった柳宗悦が制作に関わっています。吉田璋也が奈良へ移ったのは1929年(昭和4)でしたが、柳宗悦に初めて会いに行ったのは1920年(大正9)ということです。元々、志賀直哉とも面識があったのかもしれません。
それにしても、耳鼻科医の仕事をしながら、新作民藝のデザイン監修をしたり、流通拠点となる「鳥取たくみ工芸店」を開店したり、民藝運動への並々ならぬ熱量を感じます。なにがそんなに彼を駆り立てたのか、もっと掘り下げて調べてみたい人物です。

民藝樹の普遍性を考えた。

公式図録に掲載されていたページを撮影しました。

こちらの絵図は河井寛次郎が提案し、式場隆三郎と芹沢銈介が考案したとされています。1939年(昭和14)4月に創刊された『月刊民藝』に登場しました。中央から真上に伸びる枝には「日本民藝館」があり、左右に「たくみ工藝店」と「日本民藝協会」が配されています。これは本展のテーマでもある、「美術館」「流通」「出版」の側面から民藝運動を評価することと重なっています。前述の吉田璋也に関する内容は、とりわけ「流通」に関する面が強いと感じました。農村の副業や都市と地方の問題などが取り上げられていて、現在の地方創生の議論にも通じています。
私自身は神奈川県で生まれ、比較的に都市部の地域で数カ所暮らし(転校や転勤で)、現在は島根県にいます。都市と地方の課題は現在進行形で体験している身なので、民藝運動によって解決や改善を図ろうとしていた先達たちの努力をより知っていきたいと思いました。民藝樹の精神やコンセプトには今にも通じる普遍性を感じます。

おわりに。

「民藝」とは「民衆的工藝」の略語で、1925年(大正14)12月末に世に出現しました。2025年には100周年となります。2045年には120周年となり、そのとき私は68歳になっています。いったいどんな社会になっていることでしょう。言葉としての「民藝」はまだ現役で通用しているのでしょうか。いくつかの問題は改善されているかもしれませんが、新しい課題がどんどん現われてくるのでしょう。そんなときに再び民藝運動の歴史から学ぶことがあるやもしれません。これからも民藝に関する展覧会には足を運ぶと思いますが、そのたびにこの図録のお世話になりそうです。

本日も最後までお読みいただきありがとうございます。

松江歴史館の喫茶きはるで食した和菓子とコーヒー


お立ち寄りありがとうございます。頂戴したサポートはアート活動を深めるために使わせていただきます。