亜熱帯夜
就寝。
違和感。
起床。
寝苦しい。
暑い。
汗。
カレンダーが10月を数えて久しい。
四季に準えるならば、既に秋も半ばであるところ。
例年であれば、虫の調べを背景に、食欲だのスポーツだののそれぞれの秋の定義に忙しい時期である。
しかし、巷を行き交う袖は腕を半分だけ隠すのに留まり、未だ太陽の主張は衰えるところを知らない。
勿論、秋の日は釣瓶落とし、また、日が落ちてしまえば、どこか物悲しい風が街中を吹き抜けることはある。
あるのだが。
表題の通り。
平均体重を遥か下に見る友人は、「俺らの夏は終わらねぇ」と声を張り上げた。
平均体重を僅かに見上げる私としては、いつもならば同意しかねる。そのまま、健康は何かと説法の1つや2つをぶつけていたところである。
しかして、事態はその「いつも」を指し示してはいないのだ。
私は、寒がりを自称することが多い。
友人も太鼓判を押してくれることがしばしばあり、その度に自らの感覚を肯定し続けてきた。
だが、どうだろう。
連日連夜とは言わないものの、熱帯夜に次ぐ、亜熱帯夜が、我らの夜の帳をめくりあげる。
この纏わり付くような熱気は、いつぞや寝室に居座った、あの夏の夜と同類ではないか。
就寝時、不快感を覚えて目を開けてみれば、身体に染み出した発汗の跡。
「あちー」と溢してみても一人。
半ば叩きつけるように洗濯機の口に衣服を放り込み、熱を振り払うようにその姿のまま、水の味を身体に覚えさせる。
憂鬱である。
そもそも睡眠に対してコンプレックスのある私にとっては、夜中に期せずして起きてしまうというのは、存外、精神を蝕む。
異常気象なのだろうか。
思い起こしてみれば、最高気温は毎年のように更新される。花粉は前年の10倍は飛ぶ。海面はアゲアゲ。
異常も続けば通常となる。
しかし、それは通常になったから別に良いという訳では決してない。
このまま、茹だる夜を何ヵ月にも渡って越えられる自信はない。
「クーラーを呼べ」「扇風機を回せばいいじゃない」という外野の声が窓を叩く。
残念ながら、事態はそう容易に終息を見せない。
今度は寒い。
これは決してワガママではないことを強調しておかなければなるまい。
昨日の友は、今日の敵。
以前の季節では背中を預けた彼らも、今や風邪を呼び起こす牙を剥いた。
1か0しか我らには与えられないのだ。
構えた場所にボールの届かぬ、もどかしい夜を、我らはどうすればいい。
寝苦しさに肩を叩かれる、忌々しい夜を、我らはどうすべきか。
答えの出ぬまま、夜は行く。
睡眠に、幸あれ。
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