見出し画像

ベストフレンド・ジャネット

今日のPODCASTはここからhttps://open.spotify.com/episode/3tXt3GFtkVxjsoW0lPgrAV?si=452aa335f80c4419
今日はベストフレンドのジャネットのことを話そうと思います。
私は彼女とこれまた16歳の時に留学した高校で出会いました。
最初のクラスで皆の前で自己紹介も特になく、先生は私をジャネットという女の子の隣に座るように言いました。
先生はさらっとジャネットに日本から来た留学生のmasakoだよ。っと言われ、この学校では初の留学生だったので留学生って何?みたいな顔をされ、移民が多いアメリカでまた違う国から言葉話せない外国人来ただけじゃないの?的な感じでした。
先生は続けてジャネットにmasakoは英語も文化もわからないから手伝ってあげてね。と言いました。
先生に向かって彼女は「え?私?なんで・・」と嫌そうな顔をしまぁいいよ。って感じで私をチラッと見ました。
私はうわーー感じ悪〜。嫌や、こんな人の隣になるん、そもそもなんで髪の毛なんか変に真っ黒なん?でした。

クラスの中でのジャネットを見ていると完全に浮いている影のある女子でした。
私学校なんて行きたくないし、あんた達に私の何がわかるの。ってとんがった態度でした。まあ日本で言う不良ですね。。。
それでも授業中は全く優しくもなくこんなのもわからないの?って馬鹿にした感じでとりあえず手伝ってくれました。
それが私が持つジャネットの第一印象でした。第一印象悪すぎな件・笑

そして休み時間。皆が話してる事が全く理解できず、話しかけて来ても何を言ってるのか理解が全くできず焦りました。
ある程度この数ヶ月でそれなりの英会話できてたはずやったのに。それもそう、ホストファミリーや大人は私が解るように話をしてくれていたのです。
ティーンの使う言葉はまた違ってスピードも違ってティーン英語という語学を学ばないといけなかったのです。

放課後、担任の先生が私を家まで送ってくれる車内でジャネットの事を聞かされました。
彼女は去年学校のトイレで手首を切って自殺未遂をし、精神病院で入院していたけれど戻ってきたのよと。あなたも彼女が必要なように彼女もあなたのような人が必要なのよ。と言われました。
その時はっきり言って「自殺未遂」も「精神病院」も全く理解不可能でした。私には理解できない世界というか言葉だけ知っている事でふーーんくらいでした。
どういう背景の人が自殺未遂をする事になって精神病院という病院がどういう場所なのか普通の病院と何が違うのかもわからない感じでした。
それからジャネットのスパルタ英語教育が始まりました。とにかく私がわからないのにOKということをすごく嫌って分かってないのになんでOKっていうの?てめちゃ怒られrました。でもほとんど理解できていないから申し訳ない。。って思っていたのですが私もムキになってそこまで言うならこんなに分かってないんやで、根性で全て聞いてやる!困らせてやる!とたくさん質問したら、すごく優しく丁寧に教えてくれました。なんやねんこの人って半ば思いながら私は発音がおかしかったらそこで何度も言わされました。発音になまりがあったらばかにされるのよ、外国人は!って言われました。
彼女から感じたことは私が外国人であることを恥じないといけないとよく感じました。あなたはアジア人だけど白人の中でやっていくべきだ的なメッセージを強く感じました。それに対して私はいつも嫌な気分でした。何か悪いことをしていないのに自分を恥じらわないといけないような感覚でした。
のち、英語が話せるようになってから私はこのことで彼女と口論をすることが増えました。喧嘩にもなったことがありました。
私は日本人であることが恥だと思っていなかったし、思いたくもなかった。そしてそう言う風に考えるのは間違っていると彼女を指摘しました。

私は彼女のおかげで今ではよーーーく聞くと何人かわからないなまりはあるのですが、アメリカで育った人並みの発音をできるようになったと言えば感謝なのですが、日本で育ったと言うとびっくりされることが多いので、アメリカで生まれ育った人とは思われたくない、それは自分は日本にまだ家族がいて、日本で育ったことに誇りがあるから英語になまりがあるとそこが言わなくても反映される部分でもあるし、なまりのある英語は確かにおもしろおかしくされる部分がありますが私はとてもチャームポイントにも思ってこの人の英語の発音可愛いな・・と思うことも多々あります。そして自分にはそのなまりがないこともこれまたないものねだりで残念に思うこともありますが、私の英語はジャネットそのもの英語で話すときの私の声質や、話し方は彼女そのもので私の過去の一部だと思っています。

そんなで大学で彼女と私はルームメイトになり一緒に暮らすことになりました。
ここでは一番彼女とぶつかり合い、喧嘩が多かった時期だと思いました。お互いの育った環境があまりに違いすぎてそこから生まれる感情にぶつかり、でもそれがあって離れてしまう中ではなく、なんだかより友情が深くなっていく関係になりました。
彼女の両親からも彼らは冗談を言ってるんだろうけれど私にはかなり失礼なことを言ったり、なるほど、こういう環境で育ったらそう言う考えになるなーと思うことも増え
その家庭環境を知ることでジャネットをより理解できるようにもなり、彼女の視点を分かった上で私が思うことを伝えたりするようになりました。
彼女は私の経済的人も愛情的にも恵まれた環境が理解できず、なぜそんな家庭環境をでて外国で暮らしている意味がわからないと良い、私はなぜそんな苦しい思いをしているのかが全く理解できず、でもお互いを必要としている存在でした。

彼女が育った環境はとても貧しく、小さい頃は食べ物が家になくて近所に果物の木がある友達とだけ遊ぶように試みて、その家の木になっているフルーツを食べて空腹を凌いだことがあったり、性的暴力、家庭内暴力もある過去を持つ彼女だったので精神的に安定せず自殺未遂も数回あったり、精神病院を出入りし、カウンセリングを今でもずっと続けています。そんなで出会った頃から高校に行きながら2つバイトをして自分のお金で全て賄うことをしていたり、並外れない努力をしているのをみていました。今は救急病院の婦長さんになっていて、家庭をもち、旦那さんと子供2人と暮らしていますが、自分の育った環境の悪さから子育てをできる自信がなく子供たちにもずっとカウンセリングに行かせています。自分がそのカウンセリングによって生き方が変わったことを身にしみて感じているからです。彼女のその考えからかカウンセリングからか、子供たちとの関係もものすごくよく、温かい家庭を築いていて、本当に彼女は結婚してから良い人生になったなーと思います。

彼女は日本にも遊びに来たことがあります。初めてパスポートを取り、アメリカから出て訪れた国が日本でした。
私は彼女を通じて日本人であることの誇り。一般的にアメリカ人、特に白人の人が思う外国人に対して思うこと。大人が子供に与える印象を身近に感じることができました。
そして今では彼女は経済的にも家庭の愛情にも恵まれた生活をしていますが、話していると時々他の人種に対してでるトゲのある言葉を感じ、今でも私はそこは違うんじゃない・・と指摘することがあります。
これだけ一緒にいて、これだけベストフレンドが日本人で、あれだけの口論を繰り返しても。育ったきた環境って本当にタトゥのように体に刻まれるんだなーと思います。
なのでアメリカの持っている人種差別の問題、ドラッグ問題、メンタルヘルスの問題も長い長い道のりだと自分とジャネットの関係を通しても感じることがあります。
でもそこで見て見ぬ振りではなく、どうコミュニケーションをとっていくかでこれからの未来が変わっていく気がします。

ジャネットとは音楽の趣味があってたくさんコンサートに行きました。ティーンがする悪いこともいっぱい一緒にしたし、悪い言葉もいっぱい覚えて、お互いの恋愛に干渉しあったり、口論もいっぱいし、一緒に笑って、一緒に泣いて、青春という青春を一緒に過ごしました。
今でも会うともうお互いおばさんなのに流れる空気がティーンで、お互いの子供たちも同じティーンでどんなティーンだったの?とお互いの子供たちから聞かれるたびに顔を合わせて話すことは何もないよね。。めっちゃ良いティーンだったからっていいながらごまかすってことをやっていて、お互い自分たちのようなティーンでなく、よくできたティーンに育ってるよね。って言い合いする仲になっています。そんなティーン時代があったからこんなお母さんになっているのかな・・と思ったりもするので私はティーンを育てる上で悪いことに興味があることもすごく理解できるし、危ないことやってみたいこともすごく理解できます。
そして安全にやれることだったらやらせたいとも思います。でもここは旦那さんがきっちり真面目な人なのでそんなのだめだよ!って言われるのを分かっているので、私は良いけれどダディはあかんって言ってるという二人の意見を聞かせて自分で決めさせるようなスタイルで今のところ現在進行形です。
そんなで今日はベストフレンドジャネットの出会いをシェアしました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?