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カメレオン

 淵がギザギザしている十円玉や、金のエンゼルにときめかなくなったのはいつからかだろうか。
「魔女の宅急便」のキキが、ジジと話せなくなったあの日からか。はたまた、プロサッカー選手になる夢を諦めたあの日からか。
 最後に蝶々を眺めていた日を、その時の感情を、僕は未だ覚えているのだろうか。
年を重ねた今、代わりに眺めているのはスマホの画面や雑多なあれやこれや。

 そういえば最近、乗りはじめた車と同じ車が町で走っているのをよく見かけるようになった。
僕が乗りはじめた瞬間、メーカーがその車の生産量を増やした訳でもないのに。または突然人気を博した訳でもないのに。
 最初から”そこにあるだけ”のものを全て見ようとするのならば、僕たちの脳内メモリはあまりに小さすぎるんじゃないか。
無意識がそれらを取捨選択して、見たいものだけを都合よく見させているとでも言うのか。
 だったら僕の世界では何が残って、何が消えた。

 世界に残り続けているものが固く常識となる。けれど、常識の形だって十人十色だ。謂うならば、道端に落ちている小石ひとつに恐れを抱く人間だって、世界中探せばどこかにはいるだろう。
 意識が世界を作ってるって言っても、狂人と言われ馬鹿にされるだけだった。でも今ならわかる。この世界に存在の意義はあっても、意味なんてないんだと。
善悪の判断も、カッコいいかダサいかの判断も、それは僕が勝手にしているだけで、それ自体に絶対的な意味はないんだと。そして、それは僕自身に対しても同じだということを。

 みんな平等に狂人だと言って、深いところから這い上がる。開きっぱなしの瞳孔に紫煙が揺れている。足元にある空っぽの缶コーヒーには、もうどれくらいの吸い殻が溜まっているのだろう。しばらく時計を見ていない。何時間もただ、大きな川の側に座り込んで、川面に映る満月だけを見つめて思案に耽っていた。そわそわする心にひんやりした風が染みる夜だ。こんなことを考えるのに没頭してしまうほどに君の世界観は、僕の世界に影響を与えるのだ。なぜ、どうして。ああ、意味なんてなかったと先ほどを振り返る。昔も今もこれからも、本来意味のない全てに自分で意味を付けて繋げていくゲームのような人生だ。
 きっと僕は何者かに成りたかった。しかし、そう意気込んでいた僕は何者でもなかった。でも、そんな何者でもない僕は、本来の存在に意味のない僕は、好きな意味を付けて何者にでも成れるんだ。それはまるで色を変えるカメレオンのように。自分のちっぽけさを知って、無限の可能性を知った。不思議で妙な夜だった。

#psychonaut #psychonote #毎日note  

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