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想像力

目を閉じると、色とりどりの曼陀羅模様がまぶたの裏に映し出される。
それはまるで生きているかのように、色を変え形を変えながら暗闇に漂う。
そういえば、遠くの方で同じ音楽が繰り返し鳴っているような気がする。
意識した瞬間鮮明に聞こえてくるが、気のせいだと思えば二度と聞こえないような。
頭の中を駆け回っているこの聞き覚えのない旋律は、一体どこから来ているのだろう。
目を開けると、焚き火の炎が膝丈の高さにまで立ち上ぼり、周りの物体に影を付け、まだ湿り気のあった薪木をぱちぱち言わせている。
もう先ほどの旋律はどこかへ消えている。
代わりに、話の続きをしようとしたがそれも到底かなわなかった。
何を話していたのかも忘れて微睡み、それぞれはただ浅酔いに更けていた。

鬱蒼とした森の中で焚き火を囲む男たちは二十代で、家を持っていなかった。
昼間は町の路上で日銭を稼ぎ、海でコチやらイカやらを釣りし、薄暮になると森へと帰る。
彼らには、"宙ぶらん" という共通点があった。
まだどこにも足を付けていない、または足の付け方が分からない、そんな人間たち。
社会の中で生きてきて形成された世間体の自分に、自然体の自分が苦しめられている。
世捨て人、夢追い人、言い方は様々あるものの、自業自得という言葉が一番よく似合っていた。
しかし同じ地点で、ポジティブなもどかしさも心のどこかで感じていた。
焚き火が一回ぱちっと鳴って、形を小さくする。
誰も何も言わず微動だにしない。
風に揺れて擦れる枝葉の音と、一日の最後に鳴く鳥の声だけが響く森の中、じーっと火を眺めるのに忙しかった。

「想像力だよなぁ。」
そのうち一人が、ようやく新たな薪木をくべながら、うるさい沈黙を破った。
「子どものごっこ遊びって、よく考えたら凄いよ。」
彼らは子どもの話をよくする。
これから生まれてくるであろう自分の子どもや、今どきの子どもの話ではない。
思い出せる範囲の、自分の子ども時代の話である。
静かで意見が言えない子どもだったとか、とにかくやんちゃで一日中走り回る子どもだったとか、時間を持て余す彼らにはぴったりの話題であった。
想像力、想像力。今度はその言葉が頭の中で繰り返される。きっと彼らも同じだろう。
瞬時、焚き火の中の滞留していた空気が、薪木と薪木の僅かな隙間から音を立てて流れ出した。
少し大きくなった火の明かりで、男たちの顔が淡く照らし出される。
紫煙を吹かす一人がつぶやく。
「想像力だけで成りきってるもんな。」
それに目を赤くしている一人は、
「現実ばかり見てると成りきれない皮肉だ。」
と付け足した。
もう一人は手をこまねき、手元で何かを巻いている。

時々、想像力は理屈の限界を超えることがある。
特に子どものそれは、現実にいるはずのない誰かや、あるはずのない何かを作り出してしまうほど強力だ。
カラフルな曼陀羅模様も、どこからともなく流れていた聞き覚えのない旋律も、今はもう見えないし聞こえない。
それらは想像力の副産物みたいなものだろう。
十分に更けた深夜に、今度は空腹が襲ってきた。
ふと見た時計の針は、四時二○分を指していた。

#psychonaut #psychonote #毎日note  

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