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漆黒の瞳の小学生

心のモヤモヤが止まらない夕刻。感情を整理するため散歩へ出かけた。
虚ろな目、重い足取り、あてもない行先……。
気がつけば、地元でも滅多に通らない道を辿っていた。

やがて出たのは、車通りが少なく信号も無い、住宅街の交差点。
右角からは、横断する下校途中の小学生グループ。「きゃははは……!」と元気に駆け抜けてゆく。皆、3年生位であろうか。
私はその流れにぶつからないよう、更に歩行速度を落とした。

ふと思う。
「私にもこんな無邪気な頃があったのだろうか……」
うつむきながら、ぼんやりとした子供時代の記憶を手繰り寄せる。
そこへ、流れの中の1人が「こんにちは!」と私の前に立ちはだかった。
見ると全く知らない女の子である 。

……とまぁ、ここまでだと「通りすがりに挨拶する元気な小学生っているよね」という話で終わるのだが、その子はわざわざ立ち止まり、何かを確かめるようにしっかりこちらを見据えているのだ。
そもそも「こんにちは!」の声だって、かけ去る感じではなく、知り合いの反応を伺うようなトーンだった。つまり、行き交う人に何となく挨拶しているのではなさそうなのである。

『え?何だろ、人違い?それとも、私がこの子を覚えていないだけ?……いやでも、この辺りに知り合いはいないしな……』
などと千思万考した末、瞬間的に挨拶を返し損ねる。
そんな私を、無言でひたすらじっと仰ぎ見る女の子……。
視線は矢のように真っすぐで、私の核心をも射抜きそうなほどに力強い。

焦燥感を抱いた私は、反射的にその“源”を辿った。
するとそこには、微動だにしない黒くツルリとした大きな瞳があった。
……不思議だった。光沢の奥は、夕日にすら透けることのない漆黒なのに、吸い込まれそうな無限の深さが存在しているのだ。
しかも、これほど強力な視線を放っているにもかかわらず、それらは焦点が合っていないような、ぽっかりとした「くう」 のような世界であり、どこまでもシン……とした静けさに満ちていた。

『え………?』
私は圧倒的神秘を前に我を忘れた。
……が、すぐに他の子らのバタバタという足音でハッと我に返り、急いで「こんにちは~」と声を振り絞る。
女の子は納得したように軽く頷き、他の子供たちと一緒に走り去っていった。

『…………………』
それは、時間にするとわずか数秒ほどのことであったろう。
しかし、私には永遠とも思えた数秒。遥かなる時空間を旅して現実に立ち戻ったかの如く、唖然茫然であった。

「それにしても、何かが引っかかる」
女の子の行動……いや、女の子の存在自体がやはり不可思議なのである。
「一体何だったんだろう……」
名状しがたい違和感に、脳はたった今起こったことを反芻しながら、必死に答えを探し始めた。……が、限りある思考内でいくら頭を振り絞っても、謎は謎のままだった。
ただし、気づけば家から抱えて来た心のモヤモヤは、すっかり希薄になっていたのである……。

何年も経った今、当時のモヤモヤが何だったのかを、もはや思い出すことは出来ない。
けれど、女の子の瞳だけはハッキリと覚えている。
宇宙のようだった瞳……。
そこに在った深大さ思い出すたび、あの時の出来事の意味を探しに私の心は何度でも旅立つのである。