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私の道案内にブチ切れたおばあさん(2019年 50歳)

数年前、最寄り駅近くに食品スーパーが誕生した。
中型のチェーン店で、位置的には自宅から徒歩で10分ほど。
普段使うことのない“細っこい裏通り”を行くのが最短ルートである。

オープン当初は、物珍しさから何度か訪れてみた。
しかし、それきりとなった。
だって、いつ行っても「新築なのに、どことなく店内の雰囲気が重暗い」といった違和感を覚えるのだ。

重暗さの原因は分からない。照明が暗いということではないし(適度に明るいし、窓からの採光もある)、お客が少ないからという訳でもない(むしろ混み合っている)。
品揃えだって乏しい訳でもないし(むしろ充実している)、レジの方もちゃんと目を見てご挨拶して下さる。
なのに、なぜか入店してすぐに覆いかぶさるような重暗さを感じるのだ。

更に言えば、「自宅⇔スーパー」の道も何度通っても好きになれなかった。
……いや、他の方にしてみれば「単にマンションが林立する中、夜のお店が点在する人影まばらな裏通り」だろう。
確かに見た目はそうだ。なのだが、私にはどことなく殺伐とした空気が充満しているように思えてならない。
土地が持つ雰囲気がどうにも落ち着かないのである。

「は、早くこの地を抜けたい……」
通るたびに湧きあがる、謎の焦燥感。急き立てられる歩行。グイグイ進む足。
ところが、細道迷路がそうはさせない。右に左にと無駄にクネクネ進ませ、直線距離ではたいしたことがないのに、やたら滞在時間が長くさせるのだ。

その迷路っぷりたるや、地元民の私ですら方向感覚を失い、気を抜くととんでもない所へ到着してしまうし、地元の引越し業者さんですら「ああ、あそこは大変ですよ……」と眉をひそめるほどである。

そんなこんなで、自然と足はお店から遠のいていったのだが、な…何と、半年前から足しげく通わざるを得なくなったのだ!

理由は、このスーパーの店内でだけ作られている「ベーグル」を入手せねばならなくなったから(旦那の朝食用)。
旦那曰く、そのベーグルだと胸焼けしないとのことで、私はいつものスーパーとは別に、もしくはハシゴして、週3日ペース(ベーグルの消費期限の関係上)で訪れる羽目に。



これは思った以上の負担となった。
徒歩オンリーなので体力的にというのもあるが、好みではない場所に“義務”で行くのは、毎回精神ゲージがごっそり削られる。
さりとて、ストレスであっさり消化機能が低下する働き盛りの体調がかかっているので、致し方なくスーパー通いはスタート。
そして1カ月程が経ったとある日、その出来事は起こったのである。

そう、あれは忘れもしない、ねっとり蒸し暑い夏の夕方。
終わりなき酷暑の猛攻に憔悴しきった私は(←暑さが鬼門)、この日も日没後わずかに気温が下がってから例のスーパーで買い物を済ませ、帰路についたのだった。

……いや、それにしても、陽は落ちたというのにこの暑さ。
自宅の周囲にそよいでいた風も、ここではもったり停滞。むせ返るような熱気が活動に必要なフレッシュな呼吸を奪い、ただでさえ熱帯夜で睡眠不足なエネルギーをザクザク削ってゆく。
両肩には、ギチギチ食い込むヘビーな荷物……。

「……これ以上不快な事ってあるだろうか」
それでも頑張る体。心臓をバクバクさせながら、ヨレヨレとスーパー側面の道を行く。
すると、お店裏手の広い搬入口辺り、ちょうど細い道との合流点の暗がりで、なにかを手にむっしゃむっしゃと立ち食いをしているおばあさんと、ガッチリ目が合った。

私は気にとめずスルーした。
……が、おばあさんは、むっしゃむっしゃと呼び止めなすった。
「ああ、ちょっと。▲▲というバス停はどう行くの?(むしゃむしゃ)」
「▲▲……?」
突然の質問に、しばしポカンとする我が朦朧脳。
『ああ、名前は聞いたことがあるけど、どこだったっけな……』
そしたら、おばあさん。しびれを切らしたようにのたもうた。
「ほら、昔○○っていうお店があったところ。そこの近くのバス停よ!」

ああ、それなら場所は分かる。
だがしかし、この“裏通り迷路”からそこまでの正確な道順が、イマイチ不案内である。なにせこちとら、最近ようやくこの周辺を把握したばかりで、脳内地図は断片的。しかも只今、脳疲労がMAXなんですよ……。

と言う訳で、分かる範囲でざっくりお答えすることにした。
「この左の道をずっと行って……」
「ああ、やっぱりこっちに行かないと行けないのね~」
「駅の方へ行ってください」
と言った瞬間、おばあさんは烈火のごとくブチ切れた。
「何で駅まで行かないといけないのよ!!」

私はその激情を前に押し黙った。
そう、確かに駅までは行かなくてよい。ただ、私の記憶だと道は駅の方角へ緩やかに向かっている。
そういったニュアンスを、脳疲労ギリギリのところで伝えたかったのだ。

とは言え、確かに言葉足らず感は否めないので、怒られながらも補足説明をしようとした。が、ハタと思う。
『駅まで行かなくてよいというのが分かっているなら、私よりこの辺にお詳しいのでは……?』

そんな疑問を抱きながらも、再度おばあさんに向き合うと、まさに怒髪天を衝く形相。
目を吊り上げてくわっと口を開け、なにかを怒鳴り散らした挙句(ボリュームの割によく聞き取れない)、「適当に言って!」などと叫び出したので、自分の大切な生命エネルギーをこれ以上消耗したくなかった私は、これ以上の対話は不可能と判断。
失礼ながら、やりとりを中断してその場を去った。
まあ、道が知りたかったら、ちらほら人が通る場所だし、今もなお元気に怒号を飛ばしておられるし(でもやっぱり聞き取れない)、何か食べてたし、あのエネルギーがあるならきっと大丈夫だろう。

「は~ぁ、なってこった……。やっぱりこの辺は好きじゃない。早く…早くこの場を立ち去ろう……」
ごっそり持って行かれた気力体力を振り絞り、もつれそうな足取りでひたすらフーフーと家路を急ぐ。その途中、ふとある事を思い出した。
それは、学生時代よく見聞きした「イタリア人は嘘つき。旅先で道を聞いても、違う道を教える」という話。
そしてセットでもうひとつ。「それ(違う道を教えること)をイタリア人の気質として捉えるのなら、文化の違い・見解の相違である(意訳)」という解説文だ。

後者の解説は、当時本かなにかで読んだと思うのだが、更に詳しく説明すると(←ちょっとうろ覚えなので意訳です)、イタリア人としてみれば、よく知らない道を聞かれて「分からない」とすげなく会話を断絶するより、彼らの親切心・友好的なコミュニケーションとして、とりあえず自分が正しいと思う道(事柄)を告げる傾向にあるとのこと。
それが日本人からしたら、「イタリア人はアバウトで嘘つき」となるのだそうだ。

その文を読んだ時、私はイタリア人的コミュニケーションにうっかり納得してしまった。そして、実は今でも否定的ではないのだが、ここは日本。私だって、逆の立場だったら怒りまくるかもしれない。
「そうだよ、これからは知識があやふやなことは「分からない」ときっぱりあっさり断言しよう!」
汗だくの脳は、今更ながら固く決意した。
と当時に、今回のおばあさんショックにより、あらためて感謝の念もしみじみ湧いた。
「私のこのイタリア人的気質(?)に、いつも付き合ってくれているかもしれない、心穏やかな周りの方々。本当にありがとう、ありがとう……」
と……。



余談その1:道案内をした左の道の行く末を調べた結果

道案内で告げた「左の道」。その行く先が気になって後日地図で確認したところ、やはり緩やかに駅の方へ向かっていることが分かった。ずーっと行って右に曲がれば、目的のバス停だった。

余談その2:土地が放つ目に見えないもの

おばあさんとの一件で、完全に「相性イマイチ説」が証明されたこの裏通り一帯。
噂では何となーく聞いていたのだが、事後あらためてネットで調べたところ、やはりかつて危険な香り漂う地区だったことが分かった。(現在も少しだけその名残がある)

今はそういったお店や事務所も少なくなり、整然とマンションが立ち並ぶ風景となったが、もしかしたら土地自体に拭いきれない「当時の記憶」が沈着しているのかもしれない。
そしてそれが、残留思念として未だ発せられているのだとしたら……?
私の違和感もまんざら勘違いではなかったかもしれない。
ちょっとそんなことを思ったりなんかした。


余談その3:更に裏付けられた「相性イマイチ説」

今日も今日とて(2019秋)、くだんのスーパーへ。
その道中、まさに私は次のような考え事をしていた。
『余談その2の表現をもう少し分かりやすくできないものか……』

そしたら、ちょうどスーパー脇にて名案(?)が閃いた。
すみやかに歩道の端に寄ってスマホを取り出し、アプリにメモり始める。

……とそこへ、誰かがスッと近寄り、声をかけて来られた。
「それどこのやつ?」
ハッと見上げると、おじさんである。
まあ、声をかけられるのは慣れているからいい(←いいのか?)。
しかし私は、そのお姿に息をのんだのである。

まず目についたのが、縦横無尽に逆立つ“寝起き2秒後風”のボサボサヘア。
お肌は、日焼けでもなく地黒でもないような、複雑で深みのあるお色味である。
その中は、妙に爛々と輝く掴みどころのない目。ボサボサお髭。ニッとしているお口……。
そして、不自然に細いお体には、おへそ上までバックリはだけさせた、何色とも言い難いヨレヨレの開襟シャツを、抜け感たっぷりにゆるりとまとい、ボトムスは年季の入った短パン、足元はサンダルを着用されている。

私は、驚き戦慄し混乱した。なににって、このようなワイルドな印象の方が、スマホのことを聞いて来られたというギャップに。
だって、大変失礼ながらスマホに興味があるようにも、これから持たれるようにも見受けられないのだ。

ところが。何故か私は、律儀に質問の意図を汲み取ろうとしたのである。
『どこのやつとは、通信会社のこと?それとも本体のメーカーのこと……?』
しばし答えに詰まる。するとおじさん、
「会社のやつ?」
と、助け舟のような質問を重ねて来られた。

私はすかさずそれに乗っかった。もちろん自分用だったが「はい」とだけ答え、逃げるように立ち去った。
そして心から願ったのだ。一日も早くこのスーパーに通わなくても良い日が来ることを……。


余談その4:余談その3のその後

そして、約半年後の今現在(2020春)、その願いは叶ったかもしれない。
と言うのも、コロナ騒動により旦那の勤務形態が“通勤”から“自宅でのテレワーク”へ移行。
朝の時間にゆとりが出来たからか、ベーグル以外のパンでも胸焼けしなくなったのだ!
おまけに、この先も会社に出勤することはほぼ無いとのことで、もう定期的に通わなくても済みそうな雰囲気である(やった!)。
(と、文章を推敲している2023年9月現在、完全に通わなくてよくなっている。やったぜ!)


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