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オフィスビルのトイレで慰めて下さったご婦人(2012年 43歳)

オフィスビル5階にある和やかな雰囲気の広告代理店にて、週1・2回のアルバイトをしていた時のこと(この年4年目)。
休憩中に気分転換をしたくなった私は、いつも使う同階のお手洗いではなく、一般の方も利用する「1階エントランスホールのお手洗い」になんとなーく向かった。

たまに利用するこちらのお手洗い。割とコンパクトなスペースなので、中の人に入り口扉をぶつけないよう、ゆっくり押し開ける。
パッと見人影は無く、安心して扉を全開して入ると、壁で見えなかった2つの個室も開け放たれていた。

……が、なにやら左側の個室で何やらガタゴト音がする。
『え、何だろう?お掃除の方?立て看板とかなかったけど……』
少々ドギマギしながら、そろーり覗く………と、ちょうど死角になっていた奥の方で、一般の方と思しきおばさまが、トイレのあれこれをガタガタしながら、懸命に何かをチェックされている。
それがまた、私にも気づかない程の凄まじい集中力。

『……ど、どうしたんだろう。かなりお取込み中のようだけど……』
質問が喉まで出かかる。……い、いやでも待て。場所が場所だけに、放っておいて欲しいプライベートでシークレット案件かもしれない。
うーん、私に気がついて下されば良いのだが、どうにも生来の「気配けはい圧」が足りないようだ。

『だったらもう、ここはひとつ見なかったことにして、そのまま隣の個室へ』とも思った。
でもこの状況じゃあ、落ち着いて用が足せぬかもしれぬ。……と言うことで、お節介ながらも勇気を持って尋ねると、「水の流れがあまりに悪いので心配になり、貯水タンクの蓋を外してチェックしている」とのこと。

「あ、ここはタンクに水が溜まるのがものすごく遅いので、待っていれば大丈夫ですよ!」
私があっさり告げると、おばさまはホッとしたご様子でようやく個室戦線から離脱。出て来られるなり、
「教えてくれてありがとう!どうしようと思って慌てていたの!私この近所に住んでいて、たまにこのビルのカフェテリアに来るんだけど、トイレには初めて入ったのよ~!」
と朗らかに笑われた。
そんなことがきっかけで、二人は洗面台の前で立ち話を始めたのだった。

会話の話題は流れに流れ、おばさまの身の上にまで及んだ。
おばさまは当時83歳。おひとりで暮らされていた。
「もちろん寂しいとも思うわ……。でもね、周りの人にあまり迷惑をかけたくないから、出来る限り何でも自分で完結しているの」
毅然とおっしゃったお言葉には、全く上滑り感が無かった。実際そのように生きて来られたからであろう。接していると、なんだか底知れぬ安心感を覚える。
お姿もご年齢以上に若々しく、43歳の私よりも断然エネルギッシュ。イキイキ輝いておられた。

『なんて素敵な方なのだろう。こんな方がいらっしゃるなんて!』
胸のすくような礼賛が体中を駆け巡る。……と同時に、私の中で何かがカチッと噛み合った。
『あ!やっぱり間違いじゃなかったんだ!』
今度は胸の底に熱いものがドクドクと込み上げ始めた。

そう、実はその頃、非常に思い悩んでいることがあった。
それは、感情的にも思考的にも依存関係に身を置きたがる「シニア世代の大先輩方(実親や義親含む)」との関わり合い方。
そのすがりつくような生き方に、以前からなんとなく悶々としていたのだが、ここ1・2年、明らかに疑問と苦しさを感じ始めていたのだ。

『人付き合いは大切だけれど、何かをしてあげることで無理に繋がろうとしたり、それとなく見返りを求めたり、関係をコントロールしたりするより、まず自分の心をしっかり立てることが先では?』
『何かをしてくれるかどうかで好き嫌いが決まってしまったり、相手の存在価値を決めるのはどうなんだろう。何かをしてくれないことに対して、相手に罪悪感を植え付けるのはおかしいのでは?』
『年齢と自立心は比例しないのだろうか?自立精神に溢れ、キラキラ輝く大先輩は存在しないのだろうか』

そんなことを思いながら、目には見えない皆さんの重い感情と圧力に、息苦しさを感じる日々。
状況は圧倒的に多勢に無勢。この感覚を分かり合える人も後ろ盾もなく、私は孤独を抱え、ゾワゾワとした心細さに足元をすくわれた。
更には、あまりにこの期間が長すぎて、『こんなことを考える自分は、人としてどうなんだろう』と、罪悪感と自己否定にジワジワ蝕まれていったのである。

そこへおばさまが降臨されたのだ。
まさに心の救世主、これまで抱いていた考えを証明して下さる顕現であり、人間の可能性の光であった。

私は、歓喜のあまり息が苦しくなった。鼻の奥がツンとする。
胸はワナワナ震え、気づけば大量の涙がドコドコ流れていた。

「う…うう……。す、すみません」
驚かせないよう息を止め、なんとか堪えようとする。
けれど、そんな心配は全く要らなかった。
おばさまは突然の号泣にも全く動じることはなかったのだ。
「私の話を聞いて泣くなんて、今よほど辛いのね……」
ほのかに感情を帯びた穏やかな声色で泰然とおっしゃると、素早くバッグからティッシュを取り出し、鬼のように泣きじゃくり始めた私の手にしっかりと握らせて下さった。
私はその素晴らしい感知力にますます胸を震わせ、ごうごうと涙を流した。

……おっしゃる通り本当に辛かった。
大先輩の方々とのことだけではなく、ちょうどその頃は「人生の大暗黒期」で、怒涛の如く押し寄せる様々な問題にも孤軍奮闘していたから。
……いやでも違うのだ。ここまでの大泣きの原因はそれじゃない。
「自分の親達(70代)よりも年上の方が、素晴らしい信念を持って逞しく生きておられる、その美しさ」と「今このタイミングで出逢えた喜び」に、魂が大きく揺さぶられたからなのだ。

『この感動をおばさまに伝えなければならない!』
熱い衝動に駆られた私は、喉をヒグヒグ詰まらせながらも、切れ切れに話し始めた。
ところが、必死になればなるほど、色んな感情が溢れてしまって言葉に出来ない。
もう、思考回路も顔もぐっちゃぐちゃ。とんでもない大醜態である。

しかし、そこまで晒しても、おばさまは決して慌てることはなかった。
そればかりか、私の顔をまじまじと覗き込むと、心を寄せるようにおっしゃったのだ。
「あなたは悪い人じゃない。そして世の中には悪い人ばかりじゃないから。……大丈夫よ!」
そして、私の肩を力強くゴシゴシ擦りながら、
「顔のバランスも良いわよ!大丈夫!」
と、何故か唐突に顔相占いまでして下さったのだった。

「!?」
突然の占い結果に、ふと意識がそれた私。涙でしわくちゃな顔を、キョトンとおばさまに向けた。
「……いえね、私、昔東京タワーの近くで喫茶店を営んでいたの」
「え!そうなんですか。すごくよい場所でしたね!」
「そう、日々沢山のお客さんがいらっしゃって。ほんと、色んな方がいたわね……。……でね、そんな皆さんと接しているうちに、顔つきと性格の相関性が何となく分かるようになったの。それで結構当たるようになったものだから、顔相を見て欲しいって言う若い女の子も沢山お店に来てたのよー」
「えええー!そんなことが!」
意外なご経歴に心底驚く。……そうか、終始私を見据えておられたのは、顔相診断中だったということもあるのかもしれない。
いやはや、それにしても人気の顔相占いで太鼓判をいただくとは……。

照れながらクスリと笑う。
その様子を見極めたかのように、おばさまも力強い笑顔を浮かべられた。
「もう大丈夫かしら?もし良かったらカフェテリアで話聞くわよ?どうする?」
私は本当に嬉しかった。だが、勤務中であること理由に、お気持ちだけありがたく受け取りご辞退した。
「じゃあ、耐え切れなくなったら連絡していいからね!」
おばさまはそう告げると、小さな紙にお名前と電話番号をサラサラと書き記し、私の手を包み込むように渡された。
そして、「来月は足の手術をするので、電話に出られないかもしれない」と言い残し、笑顔で去って行かれた。

小さくなってゆく後ろ姿。
私は感謝とも感動とも何とも言えぬ気持ちで、ただひたすらに見送った。

ふわふわとした揺らぎの中でふと現実に返り、漫然と腕時計を見る。
……ここに来てからまだ10分も経っていない。
なのに、何かが確実に切り替わった感じがするのは何だろう……。

不意に不思議な感覚に包まれる。
今さっきの出来事が、徐々にぼんやり曖昧な記憶へと風化していったのだ。
『遠い過去のことだった?それとも別次元で起こっていた?』
『というか、そもそも本当に起こっていた?』
妙な疑問まで湧く。
でも、すかさず手の中の紙が「現実の出来事であった」ことを主張した。

あらためて紙に目を落とす。
……見ず知らずの私に残して下さったメモ。
手術を控えたおばさまの笑顔に隠された感情を思うと、なんだかとても切なくなった。
だから思ったのだ。「まだまだひとりで頑張れる!」と。

私は顔を上げ、何事もなかったかのように職場へ戻った。
おばさまの手術の無事を心から祈りながら……。






余談その1:実は知人に見られていた泣き顔

おばさまとの別れ際、エレベーターホールにて、偶然にも同部署男性社員さん(関西ご出身で、軽やかにトークされる方。たまに接する機会アリ)に、泣いている姿を見られてしまった。と言うか、ガッチリ目が合った。

社員さんは、かなり不思議そうな視線を送って来られたものの、その後オフィスで再会しても事情を尋ねるようなことはなく、あくまで自然体。
そのスルー具合が逆にありがたかったのだった。



余談その2:我が気配けはい圧の希薄さ

個室を覗き込んでもおばさまに気づいてもらえなかった、「我が気配圧の希薄さ」。その自覚は子供時代からある。
例えば、よく買い物中の母親とはぐれたり、幼稚園のお芋掘りイベント(於:近くの畑)でも、ひとり置き忘れられたり……。(お芋掘りの時は、確かその時組の給食当番で、食後、食器などの返却所にて、うまく片付けられない下級生を手伝っていたら置いて行かれた)。

大人になってからだと、ただフツーに後ろに立っていただけなのに、振り向きざま「ビックリした!」と真顔でものすごく驚かれたり、自動ドアがなかなか開かなかったり……。
……なんだかちょっと悲しい。


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