たとえ、曇ったレンズでも
まえにこの記事を書いた。
書くのだから、ペンを手で握ってちゃんと「書きたい」そんな内容であった。しかし、現実はそうあまくない。結局いまだにパソコンでこのnoteを書いている。下書きのときにペンをつかってメモていどに書くことが増えたものの、やはり「便利なほうがいいから」と直接パソコンで書きたくなる。それが本音である。
ちなみに、パソコンでと言ったがスマホで書くこともある。パソコンに飽きたときや、外出中にささっとメモついでに書くときなどにスマホをつかって書くことが多い。あとは、パソコンで投稿した記事をあとからスマホで見て確認をするようにしている。逆もおなじだ。
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そこで気がついたのだが。
パソコンからスマホのように「書く手段」を変えるだけで、見える映像がまったくちがう、ということ。
おなじ文章でもパソコンからみるのとスマホからみるのとでは、まるで違う内容にみえるから不思議だ。
さらにいえば、「書く時間」もそう。僕は投稿時間について、「朝6時から8時のあいだ」を心がけている。ただ、書く時間はけっこうばらばらである。
ほんとうは余裕をもって前日の夕方までに書き切りたいのだが、忙しくて22時ごろまで書いていることもままある。当日の朝に書くこともある。ただ、そうであっても可能なかぎり「書いてから投稿するまで時間おく」のを意識している。たとえば、4時とか5時に目が覚めて書いたばあいは、時間をおいて7時ごろにもう一度確認をしている。6時とか7時に書くばあいは投稿するのを8時ぎりぎりにするとかだ。
ようは、文章を寝かせる、といったらいいのか。書いてそのまま投稿しないことが大切だとおもう。
ペンで書いたり、パソコンで書いたり、スマホで書いたり。前日の夕方に書いたり、夜に書いたり、当日の朝に書いたりしてるのは、僕がひとりで書いてるからだ。書く人は孤独だ。だから、「視点を変えて書くこと」でそのたびに新しい気持ちで、リラックスして書けるように工夫をしている。
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先日、「職場の」パソコンで僕のこのnoteをのぞく機会があった(どんなだ)。もちろんログインしているわけではないので、スキもフォローも何もできない、ただのnoteだ。
いつもと違う、ただそれだけなのに「もっとこうしたほうがいい」「なんかおかしい」が次々と浮かんで恥ずかしくなったことがある。
いつだって何度もなんども推敲して投稿をしている。アカウントのホーム画面だって、もう何百回と目に入っている。そのはずなのに、誤字ではないが違和感のある文章がいくつも見つかった。
いい文章をたくさん読むことで、目を肥やし解像度をあげたい。でもそれは、時間がかかるしむずかしい。それなら、手っ取り早く見方を変えるだけで意外とおもわぬ発見があるかもしれない。
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それでは、時間と体力がゆるすかぎり、自分が書いた記事の添削にいってきます。
僕の記事をここまでお読み頂きありがとうございます。これからもどうぞよろしくお願いいたします。 頂いたご支援は、今後の記事執筆のために使わせていただきます。