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ジープ島に一人旅した話(前編)

ここに行きたい!と思ったきっかけの話は、少し前に書いたので

今回は、実際に行ったときの話をします。
長くなりそうなのでひとまず「前編」として、さらに長くなったら「中編」が登場しそう。どうやってまとめようかな。楽しい記憶を飛ばしがちなのでちゃんと覚えてるかな~。


いざ、ジープ島へ

2014年11月の夕方、どうにかノー残業で会社を飛び出して電車で約1時間半。成田空港の旅行会社カウンターで旅券を受け取る時間に滑り込む。事前に空港に送っておいたスーツケースをピックアップして、ユナイテッド航空のカウンターへ向かう。まずはグアムまで。無事にチェックインして一安心。これが初めての海外一人旅だ。

ロストバゲージが怖いので、カメラ、ハウジング、水着、最低限の着替えを手荷物に。預けたスーツケースはダイビング器材でほぼいっぱいだ。

夜9時過ぎにグアムへ出発。たぶん4時間弱で到着。ご飯を食べてうたた寝をしていたらあっという間。長いのはここからだ。

グアム空港の入国審査はタイミングが悪いと他の飛行機と到着時間が重なり長蛇の列。軽く1時間は待つ。このときはたぶん2時間近く待った。時差+1時間の深夜2時過ぎ。眠い。ようやくイミグレを突破したら、税関を通過して出国ゲートへ。いま2時間かけて入国したばっかりなのに!昔は違ったらしいのだが、テロ対策か何かでグアム空港でのトランジットはすごくめんどくさい。

出国手続きを終えて、明け方近い4時とかそんな感じ。眠い。ジープ島のあるチューク行きの飛行機は朝8時頃出発だ。眠い。というわけで、待合室で寝られるところを探す。幸いにもイスはたくさんあるが、ほとんどひじ掛けがついている仕様だ。そのひじ掛けがなければな~!と思いながら、ほどほどに静かで若干人目がある場所を探す。なぜならこれは女海外一人旅だからだ。気が抜けない。結局、手荷物かばんを抱き枕みたいにしてイスでうとうとしてた気がする。

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気づいたら朝になって虹が出ていた。グアムの町と海が少し見える。

チューク行きの飛行機は、チューク以外の場所にも行く。アイランドホッパーというやつだ。飛行機版路線バスみたいなかんじ。これを読むと分かりやすい。

この記事は3回目にジープ島に行った2019年9月に現地でお世話になった方のもの。JICAの青年海外協力隊としてミクロネシア連邦チューク州政府観光局で活躍していた。色々教えてくれたし、帰国してから私の働いているところに遊びに来てくれたこともあるいい人。チュークのことならこの方の記事を見るのが一番分かりやすいし楽しいと思う。

グアムからチュークまでは1時間半くらい。乗客は現地の人と屈強な欧米人。後者のほとんどはチュークにダイビングをしにいく人だと思う。見た目はいかついが、場違い感のある日本人の小娘にはすごく優しかった。

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着いたのはミクロネシア連邦チューク州ウエノ島。タラップを降り、チューク空港の建物内へ。徒歩。暑い。グアム空港は冷房キンキンだったから感覚が麻痺していたが常夏の国だ。

ここでも長い入国審査待機列に並ぶ。ブースが2つしかないので仕方がない。荷物が出てくるのものんびりなので急いでも仕方がない。チューク行きの飛行機にさえ乗れればもう時間の概念を一度捨てるのが正解だと思う。

ここからブルーラグーンリゾートというホテルに向かう。空港の前でピックアップの車を探す。普通車のときもあればバスのときもあった。

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舗装がしてあるんだかないんだかよく分からないガタガタ道を約30分。ホテルに着いたら現地の日本人スタッフが迎えてくれた。

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ブルーラグーンの中にあるダイビングショップでパーミットの支払いをして、犬と一緒にいったん涼む。タイル気持ちいよね。11月の日本から飛んできたのでこの気温差はちょっときつい。ジープ島行きのボートを出す時間を言われるのでそれまでに済ます。あっ、時間の概念まだ捨てちゃダメだった。そして電波があるのはここまで。この先は何もない。さらば雑念。

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ブルーラグーンからボートで30分ちょっと。途中で一瞬だけイルカに遭遇した。ようやく水平線にジープ島が見えてきたとき、まだ島に着いてもいないのに「また来よう」と思った。憧れが目の前に近づく高揚感。きっとそれを何度でも味わいたかったんだと思う。実際、このあと2回行っている。

ジープ島初上陸

ジープ島の存在を知ってから約7年半。ようやく初上陸を果たすのだった。


ジープ島のざっくりした紹介

調べたらたくさん出てくると思うので本当に少しだけ。
日本からの距離やチューク内での位置関係は下の地図(ブルーラグーンジャパンから引用)で。場所の説明がややこしいので周りには「グアムより先の南の島」と言っている。


チューク州に関しては、さっきも紹介した青年海外協力隊の方が完成させた政府観光局の公式HPを読むと分かりやすい。日本が30年間統治していて、第二次世界大戦時の戦跡がたくさん残っている。ただきれいなだけのところではない。


そしてジープ島についてはこちら。この記事がとっても分かりやすいのでもう私の説明はいらない。

初めてジープ島に行ったときはまだこんなに現地からの情報は充実していなかったので、旅行会社のページや数件引っかかる程度の旅行記を見て最小限の情報を得てから向かった。分からないことが多かったが、それはそれで楽しかった。

島に着くと、すでに滞在している日本人の方がたくさんいた。初めて来たの?一人旅?お仕事は?なんて話をしながら島での生活方法を教えてくれる。

ごはんの時間は「ごはんができたら」だし、ダイビングに行く時間は「迎えのボートが来たら」「準備ができたら」だ。時計を見る必要はほぼない。日の出の時間より前に起きようと思って初日だけ目覚ましをかけたが、それより前に自然と起きたので結局時計いらずだった。

分刻みスケジュールで仕事をするのが普通になっていた私には、とんでもない解放感だった。時計を見なくていい世界があるなんて!さすがにダイビング中だけはちゃんと気にしていたが、時間の概念を捨てられるのは本当に最高だった。

トイレは思ってたよりきれいだし、バケツ1杯の水シャワーも平気。ご飯も基本的に日本人の口に合うものなので大丈夫。ちなみに私は野菜(特に生)が苦手なのでサラダが出なくても問題なし。ふりかけとインスタントのお味噌汁かスープを持ってくるといいよ~常連さんに教えてもらって、初回はおすそわけしてもらった。2回目以降は持っていくようにした。

快適かそうではないかは人によるので分からないが、私にとっては快適な楽園だった。


癒しの犬たち

海も空も最高だが、なによりも私を癒してくれたのは犬たちだ。

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犬、大好きなんだけど毎日仕事漬けの生活では飼うことができず、さらに生き物を飼い続ける責任や負担を考えるとなかなか……という気持ちで、小学生のときにちょっとだけドジョウを飼っていたくらいだ。

この島では犬と一緒に暮らすことができる。最高…!

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オスのジープ。泳ぎが得意。この頃はまだちょっと子ども顔。
2019年に再訪したとき、彼はいなかった。どこかに泳いでいったまま帰ってこなかったそうだ。


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メスのビキニ。ご飯のときはおこぼれをもらうために足にあご乗せしてくれるが、カメラを向けるとそっぽ向く。基本べったりしない。たまに近寄ってきてくれるのが可愛かった。病気で亡くなってしまったのを公式Facebookで知った。


広すぎる海と空

この島には蚊がいないので外で寝られる。コテージもあるので室内で寝ることももちろんできるが、外で寝る解放感は一度味わうと忘れられない。

夜は枕と掛布団を持ち出してビーチベッドにごろん。昼間は濡れた体を乾かすためにハンモックにごろん。これが寝床の光景。

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広角レンズが欲しくなる島だ。未だに買ってないが。

最初に行った2014年は島の周りのリーフ(ハウスリーフ)がまだ元気だった。このあと台風でやられてしまったそうだが、この頃の写真はすごくきれいだ。

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島の周りならダイビングじゃなくてシュノーケリングでも十分楽しめる。朝ごはん前にちょっと泳ぎに~なんてこともできる。朝は海がきれいでとてもよかった。

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コンデジの小さなレンズで半水面の写真を撮りたくて、どうにか撮れた1枚。ずっとスマホの待ち受けにしているお気に入りだ。

ハウスリーフ以外だと、というかチュークにダイビングに来る欧米人のほとんどはこれを目当てに来ているのだが、沈船がすごい。

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第二次世界大戦時に沈んだ日本の船だ。これは富士川丸。私は船そのものより船についてる生き物に興味が湧いてしまうのであんまりいいレポはできないのだが、日本から遠く離れた地で沈んでいる日本の船と出会うのは不思議な気持ちになる。大変だったんだろうなと思う。感じるものはあるが言葉にするのは難しい。


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環礁のはじっこあたりに白い砂と淡い海の広がる場所がある。いつもここには連れて行ってもらう。アジサシの仲間が飛び、環礁の外の深い色の海が見える。

私は勝手に「いいちこのポスターの世界」と呼んでいる。

2011年7月の写真なんてまさにここでは?と思っているんだがどうだろうか。

卵

アジサシの仲間の卵。日陰のないこんな暑いところでも大丈夫なの?


長くなりそうなので前編はここでおしまい!あと2回行ってるので中編と後編が必要な気がする…。時間のあるときに書いていきます。

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