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古代ギリシアから見た、個と全体の調和

巨大化した組織の悩み

大企業から来る人財・組織面の相談事は、たいていこんな感じだ。
「わが社の社員は、言われたことはしっかりやるのだが、自分から考えて動こうとしない。」
「自部門の利益ばかり考えて、全体の目的を考えて連携しようとしない。」

経営者は常に、社員が全体の目的を「自分ゴト」として捉えて、自ら動くことを期待している。ところが、組織が大きくなり成熟すればするほど、この「自分ゴト」感は薄まっていく。大企業病の根っこは大概これだ。個が自分らしさを発揮しながら、全体のために動いている。そんな組織が最もパワフルな状態は、創業期などの期間限定イベントなのだろうか。それは、組織が大きくなれば消えていく必然なのだろうか。

このテーマを考える時、古代ギリシアの都市国家群を思い浮かべる。なぜ古代ギリシアのポリス群は、オリエント国家のように領土を広げなかったのだろうか。古代ローマのように帝国化しなかったのだろうか。彼らは意図的にポリスの形態を保ち、それが最も人間的で、最上位の共同体の形だと考えていた。

ポリスとは何か

一言でいえば、原始的な村落共同体に住む人々が集住してできた都市国家だ。紀元前1200年から700年くらいの間、ギリシア周辺が民族移動でカオスになっていた時代、食糧確保や防衛上の理由から先祖代々の土地を離れて、みんなで固まって住むようになった。こうした都市国家の生成は世界中どこにでも見られるが、古代ギリシアのポリス群がユニークなのは、以下のような多面性を持つ点にある。

  1. ポリスとは宗教である。ポリスには必ず創生の物語があり、守護神がいる。神々への祭祀は何よりも優先された。ポリスはそのまま信仰の対象だった。

  2. ポリスとは政治システムである。彼らは良い共同体とはどうあるべきか、それはどう統治されるのがよいかを考え、各々が独自の政治システムを構築した。

  3. ポリスとは法と国制である。特定の支配者がいるわけではなく、何が支配しているかといえば、そのポリスの法と国制だ。

  4. ポリスとは軍事組織である。市民イコール兵士である。このエリアの特殊な歴史と宗教観により、独自の戦術を発展させた。

ファランクス

Wikipediaより

ギリシアのポリス群が発展させた、重装歩兵による密集陣形戦術を「ファランクス」と呼ぶ。兵士は左手に円形の大盾を持ち、右手に長槍を持って、隊列を組んで戦った。重装歩兵は市民によって構成された。装備は自弁だ。

ここでは、隊列を乱すような英雄的行為は許されない。一騎駆けして大将首を取るような戦い方は許されないのだ。よく考えるとこれは強烈な戦い方だ。「全体のために盾になって死ね!」と言うに等しい。しかも個人への手柄はないのだ。すべてはポリスの防衛が優先した。全体に対して個が犠牲になることを美徳とし、それに反する生き方は末代までの恥とされた。

こうした特殊な戦術は市民間の集団意識を強化し、ファランクスを形成する個々人の発言権を高めていく。それはやがて市民による民主政へとつながる。

合理性を超えた戦い方

実は戦術的に見ると、ファランクスには弱点がある。ある程度広い平地で、正面からぶつかれば最強だが、側面攻撃に弱く、動きが遅いので旋回もできない。よって伏兵や騎兵に弱い。山がちで平地が少ないギリシアの地形は、必ずしもファランクスに向いていない。

にもかかわらず、まるで暗黙のルールでもあるかのように、すべてのポリスが重装歩兵主体で戦う。わざわざ平地に陣を取り、ラグビーのスクラムのように正々堂々とぶつかり合う。負けたらポリスが破壊され、殺されるか奴隷にされるような戦争であるにもかかわらずだ。甘い戦いではないのだ。そこには合理性を超えた、倫理観、宗教観、人間観が垣間見える。

このファランクス一辺倒の戦術は、やがて騎兵や軽装歩兵を組み合わせたマケドニア式ファランクスによって破られるまで続く。

全体と個、自由と従属

ポリスはいかなる個人よりも優先される。個はポリスの盾となる。こうした全体に個を完全に従属させる世界から、やがて個の力による文化が花開く。政治、哲学、数学、自然科学、芸術、様々な分野で人類史上空前の知的創造が沸き起こった。

ここで最初の問いに戻る。個が自分らしさを発揮しながら、全体のために動く。個が自由に考え、自由に議論し合い、新しい文化が次々に生まれていくのと同時に、個が国家の盾となって死ぬことを良しとする。19世紀の文化史家ヤーコプ・ブルクハルトの言葉を借りると、「自由と従属は、調和的に溶け合って一つとなった」。この直観的には相反すると思われる価値観が融合したのは、なぜだろうか。

小さく閉じた共同体

一つには、小サイズでクローズドな組織を意識的に保ったことによるのではないか。

ギリシア人は、一つのポリスが養える人口を超えてしまった時、新しい居住地を求めて植民した。そうした居住地を統一して単一国家をつくることもできたはずだ。だが、彼らはそうはせず、各々が独立したポリスを建設した。植民都市同士のつながりはあるが、あくまでそれぞれが独立した国家であり、独自の政体と行政の仕組みを持った。

全盛期のアテネは、デロス同盟というネットワーク型の支配体制を築いたが、決して領土国家にはならず、帝国化しなかった。アテネ市民権は制限され、成員が大きく増えることはなかった。市民権を開放して帝国化したローマとは対照的に。

これは明らかに意図的になされていた。アリストテレスは、ポリスを人間にとって最高に完成された共同体とみなしたが、それは大きすぎても小さすぎてもならなず、山の頂上から国全体を測量できるほどのサイズで、人口も適正な規模であることが理想だと述べた。その教え子であるアレクサンドロスが、空前絶後の大帝国を築くというのが面白い。

自由民と奴隷の魂

もう一つの理由としては、ポリスにおける自由民とは、ルーティンな仕事から解放された人々であることだ。そうした労働は奴隷が担っていた。奴隷の数は自由民の3倍に上り、ポリスによっては10倍以上の奴隷を抱えているところもあった。市民は、理想の追求、自己の鍛錬、創造的な仕事に多くの時間を費やした。

自由民が不幸な出来事により奴隷にされてしまうこともある。あのプラトンも奴隷として売られたことがあった。逆に奴隷が解放されて自由民になることもある。プラトンは、「奴隷の魂には健全なものは何もない」と述べている。これは、奴隷を優生学的に劣った存在として見ているというよりも、誰しもがルーティンな仕事に埋没し、尊厳を奪われた生き方をすれば、人間の自由な魂は死んでしまう、と見ていたのではないか。

ひょっとすると、当時のギリシア自由民から見たら、私たち現代人のほとんどが奴隷に見えるかもしれない。

全体の自分ゴト化

改めて最初の問いに戻ろう。個が自分らしさを発揮しながら、全体のために動こうと思うには、自分の行動が全体に影響を及ぼしうるという実感が必須である。また、自由な創造に費やす時間と魂が不可欠である。

帝国に住む一般民衆は、全体の目的や利益を考えない。巨大化した企業もしかり。自分にとっての全体が、身体的に掴める範囲に限定しておかなければならない。そして行き過ぎた分業は、全体を見えなくし、目的を失った作業に個人を埋没させ、自由な魂を奪う。

組織が全体最適によって巨大化、成熟化したら、一度組織を細分化し、それぞれに自治の権限を与える。それをネットワークでつなぐ仕組みをつくる。ただし、どんなに意識的につないだとしても、細分化された組織はやがてタコツボ化する。全体としては非効率が上回る。そうなったらまた組織をかき混ぜて再構築し、外の血を入れながら新陳代謝を促す。同時に全体として共有する”物語”を伝え続ける。絶えず変化を起こし続けながら全体を保つ。動的平衡状態をつくる。そのような運動を起こし続けることが、サイズの大きな組織において個が自律的精神を保ち続ける方法ではないだろうか。

ギリシアのポリス群がその後どうなったかといえば、互いが争い合っているうちに、やがて帝国に飲み込まれていった。ギリシア北方の領土国家マケドニアに。続いてローマ帝国に。ペルシア戦争以降、ギリシアが全体として連帯することは決してなかった。彼らの全体は、最後までポリスの範囲に閉じたままだった。


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