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作品と創る人

3時間の草むしりで死にかけてるめじろです。日頃の運動不足を感じつつ、草むしりってたぶん運動では使わないとこを使ってると思うので、運動してても死にかけるのは同じだろうと思っております(笑)

最近Twitterでフォローしてる好きな絵師さん達のツイートは楽しくて、何よりイラストのUPが待ち遠しいし、UPされてると嬉しいんですよねぇ。

中には政治に高い関心があってそれについて発信されてる人もいるし、ビジネス系マインドについて発信されてる人もいるし、単純に食べたものや生活を発信されてる人もいます。

読んでいてなんとなく、私は〝絵師さん〞が好きなのか、絵師さんが生み出した〝作品〞が好きなのか、そんなことを考えたので書いていきたいと思います。

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その絵師さんを好きになったのはもちろん〝作品〞を見たからですよね。
私は〝作品〞が好きであるってことがまず前提というか根底にあります。

私が好きな〝作品〞はイラストであったり、写真だったり、立体物だったり、クリエイティブによって生み出されたものがほとんどです。
今日の話の対象は芸能人みたいに〝人〞を作品(というか商品?)にしているパターンではないのであしからず

ってことは絵師さんの商品はもちろんイラストですよね?
イラストが好きってことと絵師さん自身が好きってことは必ずしもイコールではないけど、嫌いな絵師さんのイラストを好きになるかと言われるとそれもまた違うなぁと。

作品にはそれを創った人の人となりみたいな、その人の欠片が入ってるわけで、ある側面から見れば作品がその人を表しているとも言えると思います。

難しいのは作品には創った人のエッセンスが入っているけど、創った人自身ではないし、作品は受けて(見る側)によっても千差万別に変わるということです。作品は変化します。

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で、冒頭のTwitterの話。
どんな人が創ったのかとか、どんな気持ちから生み出されたのかとか、生み出す過程を見れる事に興味関心はあります。

そこで作品に関連した情報は見たいし、欲してるんだなぁと思い至りました。
正直それ以外の情報についてはあまり触手が動かないといいますか(笑)

逆に自分が創る人になったとしたらどうか妄想してみると、作品を通して自分を好きになって欲しいと思う気がします。

そうです!矛盾です!
お客さんの時は作品だけでいいと言っておきながら、創る人の時は自分を推したい、、、。

自分がメインの商品であって、作品はそのチラシという感覚かなぁ?
世の中に沢山の作品が溢れてる中で、「あなただから」「あなたが好きだから」って理由で選んで欲しいんですよね。

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自分が好きな作品を創った人がサイコパスとかだったらちょっとイヤだし、人としてクズだったらもっと嫌です。

でもあくまで作品が好きなわけで、作品と創った人を切り離した方がいいのか、作品は創った人の一部だから切り離さない(切り離すべきではない)のか、、、。
そんな事が気になりました。
みなさんはどう思いますか?


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